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結婚ができない
ずっと心の中にあったことだけれど、あまりにも個人的な話すぎるかなぁと思って綴ってこなかったことがある。
読んでいた本に影響されたのか、よくわからないけれど、noteに書こうという気持ちになった。日がサンサンとしている時に書くような内容ではないのかもしれないけれど、太陽の下で考えてみても気持ちは同じだからきっとこれが本心なんだ。
わたしは結婚ができない。興味がない、とはまた違うのだけれど、いまいち頭とこころが追いつかない。
30を過ぎて、周りに結婚していない友人の方が少なくなってきた。
まして、女性は出産のタイムリミットも迫ってくる年齢だからこそ、周りにも聞かれることが多い。
「結婚しないの?」
「子どもほしくないの?」
子どもをほしいという感情も、正直なところよくわからない。
もしパートナーがいたら、この人との…という気持ちは生まれるのかもしれないけど、相手もいない状態で子どもがほしいというのはどういうことなんだろう。
この感情にうまい例えも、腑に落ちる答えも出せていない。
だけれど、子どもってコウノトリが運んできてくれる存在ではないわけで、事情があって片親になることはあるけれど、元々は二人の人間がいることで生まれてくるから…片方が欠けている状態ではなにも考えられない。
そんなことを省略して「子どもをほしいって気持ちが分からない」と言うと、人でなしみたいな、信じられないものを見るような目線を向けられることさえある。
母性がない女性は、人ではないのか。母性があるのかさえ、現状では分からないというのに。
友人の子どもだけではなく、まったく知らない人の子どもさえもかわいいとわたしは思う。子どもだけではなくて、人自体すきな方だ。
だけれど、子どもが好きだから子どもがほしいという方程式は、どうやらわたしにはないみたい。人が好きだからと言って、結婚できるというわけでもないみたい。
いままでの恋愛においても、結婚の話が出てくるとすこしずつ心がしぼんでしまった。
好きな人を生んで育てた相手のご両親は、尊い存在でとても大切だと思ってきた。
その人を取り囲む環境や、周囲の友人と一緒に時間を過ごすこともすきだ。
きっと結婚となっても、大きくは変わらないんだとは思う。
それでも、好きな人なのに結婚を想像すると途端に絶望的なきもちになってしまうことさえあった。
結婚の話が出たことがきっかけで、別れることになった人さえいる。
こんな考え方はどうやらマイノリティなようだ。
そんなことに気付かなくて、結婚願望を抱いている人と付き合って傷つけてしまったことは、いまでも申し訳なく思っている。
結婚願望はみんなが当たり前に持っている認識なのか、マイノリティ側にいると欠陥があるように思われることさえある。
恋愛をして、ある程度お互いを知って年月を重ねたら結婚する、という流れがどうやら普通のことらしい。
友人や親族の結婚はおめでたいと思うし、結婚式では最初から泣いてしまうくらい胸を打たれる。友人夫婦や家族と過ごす時間は居心地がいい。
だけれど、自分の人生にそれを当てはめることがうまくできない。
「まだ本気ですきになった人がいないだけだよ」と言われることもあるけれど、本気に好きになった人だけが結婚をするならば、不倫も離婚も簡単には起きない気もする。いや、こればかりは真実は知らんけども。
以前、友人が「もし彼が、結婚をしているから他にだれも好きにならないというなら、自分自身の価値はもう失ってしまったことになる」と言っていた時に深く頷いてしまった。
愛情ゆえ気持ちが揺らがないのではなくて、そういう決まり事だから表面上揺らいでいないのだとしたらそれは少し悲しい。それでも、一定の努力は必要ではあるのかもしれないけれど。
そもそも、気持ちだって不安定で移ろいゆくものだ。一生の愛を誓うこと自体わりと不毛のような気がしてしまうのは、ある程度の年齢を重ねていろんなものを見すぎたせいなのかもしれない。
さて、そんなわたしでも、人生に一度だけ結婚を考えたことはある。
だけれどそれは、当時の恋人がご両親のことで傷ついたり悩んでいたことを、自分の結婚生活を通して相手のご両親と同じ立場になったら、物事の見え方が変わるのではないかと考えたからだった。
結婚がしたい!というよりも、結婚を通してご両親を受け入れたり、許したりできる人生にならないかなぁという可能性を見出したかった。彼が今よりしあわせを感じることができるなら、なんでもよかった。
まぁ結果的に、結婚はしなかったのだけれども。
恋愛をしていても、一定の距離感はほしい。遠距離恋愛もきらいじゃない(むしろ好きかもしれない)
そんな気持ちがぬぐえないから、誰かと生活を共にすることや、その一定の距離感をくぐって近すぎる存在に嫌悪してしまう。
大切な人に嫌悪してしまう自分自身に嫌悪してしまって、気付いたら恋愛さえできなくなっている。完全に、文字通りの自己嫌悪だ。
とはいっても、両親との仲も良くて、友人にも恵まれているので、今のところ不自由もなければさみしさもない。
結婚生活を送っている人たちに対しては、心底尊敬をしている。
だからもし、この文章を読んで不快にさせてしまったらごめんなさい。そういうつもりではないんです。
いまの自分の感情を、自分自身受け止められるようになったのにも時間がかかった。
もしいつかなにかの縁で恋人ができたり、結婚することがあれば、それはそれで素晴らしいことだと思うけれど、大学を卒業してから周りの結婚ブームを横目で眺めるたびに向き合ってきたこの感情を記しておきたかったのかもしれない。
そして、もしかしたら自分は変わっているんじゃないかと悩んでいる人がいたら、変じゃないよ、自分自身の気持ちだから受け止めてみよう、とすこしでもメッセージになったらいいな、なんてことも思う。
おかしい人のように見られることさえあるけれど、もうこれが自分だからしょうがないよきっと。こんな自分のこときらいじゃないんだもの。
それでも人の気持ちは移ろいゆくものだから、いつか自分の気持ちも変わるのかもしれない。
だったらなおのこと、いま抱えている気持ちは今この瞬間のためにあるから忘れたくないと感じている。それだけは、今この瞬間にわかっているたったひとつの真実なんだと思った。
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