![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/31565292/rectangle_large_type_2_34b89eab2edbff44ca35e07baebd90e1.jpeg?width=1200)
絶望の隣で眠る夜だっていいじゃない
2020年に入ってから少しずつ、自分の中にあったあずの感情が抜け落ちているような心地で生きていた。
すり減ったり、擦り切れているわけではなくて、自然のことのように消えていく感覚になっていた。
元々の性質的に、感情の起伏が激しいことはなくて、基本的に笑っている方なので、感情というものがそもそもあったのかさえも定かではないんだけれど、少しずつ溶け出しているような心地。
それが先日久しぶりに絶望を感じていた。
なにが起きたわけでもなく、いつもと変わらない生活をしていたのに急に涙が止まらなくなったり、寝付けなくなったり、不安定な時間を過ごしたら今度は起き上がれないくらい体が重たくなったりした。
ほんの数日そんな時間を過ごして、今は落ち着いたところなんだけど、そこで改めて思うことは絶望を感じるということは希望を感じていた証拠なんだと思った。
頑張ったことが報われなかった時、
思い描いた理想と今ある現実に差を感じた時、
期待した思いを裏切られた時、
信じていた未来が訪れなかった時、
いろんな時に、わたしたちは絶望を感じる。
絶望を感じた時を振り返るほど、いかに頑張らないで、いかに理想を描かないで、期待せず信じずに生きてこれたら楽なんだろうと思う。
それでも、わたしたちは頑張りたいと思うことに出会ったり、理想を思い描いて心を弾ませたり、期待したり信じたりしてしまう生き物なのかもしれない。
絶望しない生き方なんて、もしかしたら簡単なのかもしれない。
絶望なんてしたくないし、傷つきたくなんかない。
それでも、絶望しない生き方なんてしたくない自分もいて、傷つかない程度の思いならいらないなんて思ってしまう。
きっと絶望した数だけ、希望を抱いていた。
そしてまたこんな夜を越えた先には希望を抱いている自分がいる。
だって希望を叶えるには希望を抱くしかないんだもの。
そのことをわたしたちは知っているんだと思う。
涙の数だけ強くなれると言われているように、絶望の隣で眠った夜の数だけわたしたちは人生に期待している。
それは悲しいことでも、辛いことでもない。
人生まだまだ続いていくから、笑っているだけじゃきっとつまらない。
時には泣いたり、絶望しながらも、挑戦したり希望を抱いて生きていきたいなぁなんてことを過ぎ去った絶望的な感情のおかげで思い出すことができた7月末。
\Twitterしてます/
《 #今日の積み上げ 》
— Aina ☺︎ @英語勉強してる人 (@yolo_ai_) July 31, 2020
今日もお疲れ様でした💫
✔️ #note 更新
✔️2分スピーチ
✔️勉強:参考書読む、演習問題の復習
明日から8月🌻
全然夏らしさはないけど、今年猛暑予想になってるから気をつけようっ!
もう少し勉強してから寝ます✍️
焦らず着実に。。 https://t.co/rPW4aUGdlk
◎noteを「スキ」すると、次回予告noteが見れます◎
サポートありがとうございます! とても励みになります( ¨̮ ) いただいたサポートは、今後のnoteに生かすための経験や他のクリエイターさんへのサポートに回していきます。 note内でやさしい循環を築きたい。