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たとえ汚い文章だったとしても、世に出し続ける

「毎日文章を書いて公開する」

と決めていると、正直なところ、雑然としていてあまり納得のいかない文章を不本意ながら公開する時も多々ある。

ただ、「毎日書いて公開する」と決めているから毎日文章を書けているし、継続して世に公開することができている。

もっと時間をかければ良い文章を書けるのかもしれないし、もっとリアクションの集まる文章を書けるのかもしれない。

そんなことを言っていたら、キリがない。

就職活動も恋愛も、多くの人生の選択は「期限」があるから成り立つ。

期限があるからこそ、いや、期限を決めるからこそ良い選択ができる。

「もっと良い企業があるかもしれない」
「もっと良い出会いがあるかもしれない」

確かにそうだけれど、そうやって決められずにいると、大切なものやチャンスを逃してしまうのも事実だ。

文章だって、たとえ自分が納得のいかないものでも、世に出しさえすれば、もしかしたらたった一人の誰かに刺さるかもしれないし、自分を救う文章になるかもしれない。

それもこれも、世に出してみないと分からない。

まとまった文章なんて、いつまで経っても書けないのかもしれない。

頭の中がすっきり整理されていたら、自分の思考がまとまっていたら、そもそも僕は文章を書いていない。

頭の中が散らかっていたり、言葉にできないモヤモヤがあるから、こうして書いている。

そんな状態で書いているのだから、そりゃ、取り止めのない文章が出来上がって然るべきだ。

「ああ、全然まとまってないな」
「あれ、自分はどう思っているんだろう」

そんな心の内に気づけるのも、こうして文章を書き続けているからだ。

「文章なんて書かなければ、モヤモヤしないのに」
「挑戦なんてしなければ、辛いを思いをしなくて済んだのに」

そう思わないといえば嘘になるけれど、ネガティブに思う気持ちも含めて「これも自分なんだな」と認識するあの瞬間は、意外と嫌いじゃない。


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おがたのよはく
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