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何かを続けるより、辞める方が難しい

惰性で続けられることはあっても、惰性で辞めることはない。

何かを辞めるというのは、何かを続ける以上に、その意思決定に体力や時間を要する。

小中高と、一度始めたら最後までやり切るのが美徳と教わってきた。

部活や勉強、習い事、途中で辞めることは推奨されず、たとえ結果が出なくても、最後までやり切ればそれが賞賛される。


20歳になるまで、何かを辞めるということを経験したことがなかった。

物事を途中で投げ出さない人間性が自分の良いところと思うくらいには、継続力ややり切る力はあったと思う。

そんな自分が、大学を辞めた。

自ら大学受験したいと望み、そのために1年間塾に通い、第一志望校に合格したのにもかかわらず、その大学を辞めた。

自分にとって初めての「何かを途中で辞めた経験」がこれだと思う。

続けることは簡単で、辞めることは難しい。

退学届に記入して提出すれば良いだけなのだけれど、この時だけは事務室までの距離が果てしなく遠く感じた。

辞めることを躊躇っていたのではなく、今までの自分を否定することになるのが、どうしても気にかかっていたのだと思う。

たった一度の「辞める」行為により、何事も継続して最後までやり遂げる、そんな自分のアイデンティティや過去が否定されてしまう気がした。

最終的には辞めることになるけれど、何かを辞めようとすることは、自分と向き合うことそのものかもしれない。

自分が欲しいと望んで得たものであればあるほど、それを手放すハードルは高くなる。

あの時、確かにこれを欲しいと強く願った自分がいたはずで、それを今手放そうとしている、その何かを手放す行為は、ともすれば自らの過去を否定する行為だ。

何かを辞めるには、過去の自分というハードルを乗り越えなければならない。

そんな葛藤を繰り広げたまま、多少のモヤモヤを残しつつも、最終的には「大学を辞める」という決断をしたけれど、当時の決断は決して過去の自分を否定するものではなかった、と今では思う。

大学は辞めてしまったけれど、「より良い自分の人生を探し続ける」という行為は未だに続いている。

結局、大学に限らずその後仕事も辞めてしまうわけだし、きっとこの先の人生でも様々な「辞める」を経験することになるだろう。

ただ、それらの根底にあるのは「より良い人生を模索したい」という願望で、その願望があり続ける限り、何かを辞めても、時には投げ出してしまっても、自分自身が否定されることはないと思う。


そんなぼくは今、軽い気持ちで始めてしまった毎日投稿を辞めるか否かで葛藤している。

何かを辞めるって、難しい。


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おがたのよはく
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