タクフォレストリー

心にワクワクを届けたい。奈良県東吉野村在住 エックスモバイルという携帯電話の代理店やってます。通信費をより安くして、可処分所得を増やす。 「おもしろきこともなき世をおもしろく」 サウナ小屋作りに興味あり。最近、キコリの仕事も始めました。

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心にワクワクを届けたい。奈良県東吉野村在住 エックスモバイルという携帯電話の代理店やってます。通信費をより安くして、可処分所得を増やす。 「おもしろきこともなき世をおもしろく」 サウナ小屋作りに興味あり。最近、キコリの仕事も始めました。

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東吉野村 移住滞在記③ 〜 今やってること、これからやること 〜

東吉野村に移住して、もう少しで2年になる。 何かを始めようと思い、まず、ケータイ屋をやることにした。 エックスモバイルの代理店である。 これは物価高と言われる現在に於いて、生活費を下げるには通信費の見直しが1番だと以前から思っていた。 その中で特に携帯代の見直しは、あまり知られていない様に思う。 山間部はドコモの電波が圧倒的に強いので、ドコモ回線を用いたMVNOのエックスモバイル社の代理店契約を取得した。 ケータイを売っている様に思われる事が多いが、回線を販売してい

    • ランバージャックの話③ 〜危険な仕事〜

      2004年に徳島県の祖谷で山師の仕事をはじめた。前回の伐倒方法とその格好についてもう少し詳細を書こうと思う。 基本的に杉や桧の立木を谷側へ伐倒するのは難しくない。なぜなら、枝は斜面に沿って生えており、立木の荷重はほとんどが谷側にかかっているからだ。逆に山側に倒すのは、とても大変な作業になる。 まず、立木の直径3分の1を目安に受け口を作り、その反対側から追い口を入れていく。 前回にも書いたが、ある程度切り進むとクサビを打ち込む。追い口はなるべく水平に切っていくのがポイント

      • ランバージャックの話②

        2004年頃、徳島県の山奥にある祖谷山村で山師の仕事をはじめた。 木を伐る仕事には、森林組合や大きな会社もあるが、この村では山師と呼ばれる個人事業が主で、人によってやり方が違うらしい。 森林組合や資本のある会社とは違い、人数がいないので、全てを3人で終わらせないといけない。 自分は国さんという親方の元で、山師の仕事を学ばせて貰った。それを少しずつ紐解いていこうと思う。 前回の伐採の方法について、もう少し詳しく説明しよう。教科書には、 「ロープと滑車を使って一本一本倒

        • ランバージャックの話①

          徳島県の辺境に大歩危(おおぼけ)、小歩危(こぼけ)という渓谷があり、そんな山奥に住んでいた頃の話を書こうと思う。 ラフティングのツアーガイドという仕事のため、この山奥に住み始めたのだが、週末の2日間しかお客さんが来ない日々が続いていた。 それでも最初の頃は、トレーニングとしてラフティングのボートで川を下ったり、カヤックの練習をしてスキルアップに努めていた。 しかし、客を乗せない事にはお金にならない。そこで山菜を採ったり、畑で野菜を作って何とかやり過ごしていた。 山師と

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        東吉野村 移住滞在記③ 〜 今やってること、これからやること 〜

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        • 完成品
          15本
        • 創作大賞2023応募作品
          8本
        • 山師の仕事
          8本

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          中2病症候群 ⑤ 〜 ケンボーの受験 〜

          昭和から平成に入って間もない頃、田舎町のとある中学校での物語である。 人生には、高校入試という避けては通れない岐路がある。今回はケンボーという同級生の話を書きたい。 高校入試が近づいている頃、ケンボーは、進学先が危ういにも関わらず、放課後にある受験の補習をサボって、駅伝の練習に参加していた。 そんなケンボーを見かねた彼の母親から、受験勉強を少しでもいいから、僕に見て欲しいと頼みこまれた。 「ケンボー、どこ受けんの?」 「M高やけど、先生が厳しいっていうからセーコウ(

          中2病症候群 ⑤ 〜 ケンボーの受験 〜

          中2病症候群 ④ 〜 コピーバンド 〜

          時代が昭和から平成になった頃、徳島県の田舎町にある中学校での、ありふれた日常を綴った物語である。 僕らが小学生の頃から、この地域では、ファミコンというTVゲームが流行り始めた。 しかし、自分の住んでいる周りでは、小学校を卒業し、中学生になっても、家でゲームばかりしている奴は「ゲーマー」と呼ばれ、カッコ悪い存在でしかなかった。 では、何がカッコイイ対象かというと、1番はスポーツ。部活動で活躍する事が、女の子にモテる唯一の方法だと、この地域の中学校では考えられていた。 野

          中2病症候群 ④ 〜 コピーバンド 〜

          中2病症候群 ③ 〜 オーマイガー 〜

          昭和から平成に入って間もない頃に、ある田舎町の中学校で起きた、ありふれた日常を綴った物語である。 この町で唯一の洋服屋「ニシキヤ」で1番巨大なパンティーのサイズ感を確認した3人が学校に戻ってきた。 さっそく真司と大輔は、職員室にいるルーシーの所まで行き、 「だいたいコレくらいやったな」 と席の後ろでコソコソ話していた。日本語の分からないルーシーは、 「ワッツ? エニシング トゥラブル?」 と凄く迷惑な顔をして、彼らを蹴散らすように言うと、大輔は、 「ノー ウォー

          中2病症候群 ③ 〜 オーマイガー 〜

          中2病症候群 ② 〜 ルーシー 〜

          昭和から平成に、入って間もない頃、田舎町のとある中学校での、ありふれた日常を綴った物語である。 一時期、給食に細長くてパサついたお米が出ていた記憶がある。1993年、記録的な冷夏によって米不足になり、タイ米が学校給食に使われるようになったのだ。 それはさておき、中学2年になって外国人の先生が、こんな田舎の学校にやって来た。名前をルーシーという。 当時、恐らくほとんどの住民は、初めて見る異国のリアルな人物であっただろう。 彼女は並はずれて大きな体躯をしていた。中学校で1

          中2病症候群 ② 〜 ルーシー 〜

          中2病症候群 ① 〜万引きなんてやらねーよ!

          これは、時代が昭和から平成に入って、間もない頃、ある中学校のありふれた日常を、綴った物語である。 この中学は、3つの小学校を卒業した生徒に分かれていた。僕らはその中でも、過半数を占める最大派のグループであったが、少数派の生徒から受けた影響は計り知れない。 それは中学生になるまでは、授業中に寝るとか、先生の話を聞かずにマンガを読むなど、あり得ないと思っていた。 ましてや先生から、注意を受けているにも関わらず、その友達は 「うるせぇ、バーカ!」 と言い返すのを見て、何と

          中2病症候群 ① 〜万引きなんてやらねーよ!

          パンチの不祥事 後編

          中学の部活について書いている。 パンチパーマがトレードマークで、みんなからパンチと呼ばれる先生がいた。 徳島駅伝の監督で僕は中学1年の頃に出合ったのだが、隣の中学校で不祥事を起こし、その当時は役場の中にある教育委員会にいた。 僕は、そのパンチ先生を訪ねて 「県総体の3000メートル走で優勝したいので教えてほしい」 と頼み込んだ。彼はそれを、受け入れてくれて、放課後になるとグランドに立ち、ストップウォッチを押してくれた。 ここで少し、陸上競技の長距離種目の解説をしたい

          パンチの不祥事 後編

          パンチの不祥事 前編

          自分にとって大きな転機となった中学の部活について書こうと思う。 中学校に入学して、サッカー部にするか、はたまた、陸上部に入るかで、長らく悩んでいた。 少年サッカーをしていて、その友達のほぼ全員がサッカー部へ入部し、自分だけが、まだ決めきれずにいた。 1993年。Jリーグ元年であるこの年は、ボールを蹴ったことがない者までが、サッカー部へ入るという人気ぶりであった。 さらにサッカー部には、昔から仲のいい先輩がたくさんいた。それに比べて、陸上部は知らない3年生が4人のみ、2

          パンチの不祥事 前編

          おい、福田(全4話 3,830文字)

          1.伝説の新聞勧誘員 高校の同級生である福田のことを書こうと思う。あれは21世紀を目前に控えた1998年、卒業と同時に上京して、2人は、たまたま近くに暮らしていた。 彼は品川区の荏原中延にある独身寮に住んでおり、僕も近くの川崎市に居たので、まだ都会に馴染めない2人は、よくつるんでいた。 僕らは、別々の会社に勤めていたが、常にお金がなく、蒲田駅のボロくて安い居酒屋で飲むことが多かった。そんな中、福田は給料日前になると 「タク、金借してくれ!」 と、こんな俺にたかっ

          おい、福田(全4話 3,830文字)

          転職ランナー(全6話 7,019文字)

          1.レッスンコーチとメッセンジャー シドニーオリンピックが閉幕し、次の北京オリンピックが3年後に迫っていた。僕は実業団ランナーとして勤めていた会社を辞め、トライアスロンに挑戦するという暴挙にでた。 3年勤めた会社を退職したのだが、しばらくは、辞めた会社の独身寮で暮らしていた。そこは、 「退職しても1年間は残っていい」 という親心のような緩い規則があった。 今から思えば、会社を辞めた人間が、その社員寮に1年近くも居続けるのは、どうかと思うが、当時はその規則に甘えてい

          転職ランナー(全6話 7,019文字)

          新ギザギザハートの陸上部 ⑨ 〜 エピローグ 〜

          母校の陸上部員にとって、部活動は高校生活の全てであり、すなわち駅伝が僕らにとっては全てであった。 前に書いたが、1年の時は、補欠にも入れなかったが、全国駅伝5位入賞という過去最高位を更新した。 その翌年は14位であった。この14位のヒーローである日裏先輩について書きたい。 走りのセンスが抜群の先輩であった。3年で始めた3000メートル障害で、インターハイ入賞という快挙を成し遂げる。 しかし、精神面での弱さがあり、プレッシャーに滅法弱かった。前回の全国駅伝は競技場で最後

          新ギザギザハートの陸上部 ⑨ 〜 エピローグ 〜

          新ギザギザハートの陸上部 ⑧ 〜 木彫りの熊 〜

          修学旅行の話を書きたい。徳島の田舎ヤンキーが♫ は〜るばるきたぜ 函館ー♪っと北海道に大挙した。 ニセコのスキー場に2泊して、札幌で1泊する行程であった。野郎ばかりの集団が、200人超、さぞかし引率の先生は、苦痛を伴ったであろう。 ニセコのホテルでは、ビュッフェ形式で朝、昼、晩と食べ放題であった。ほぼ貸切り状態のホテルでは、周りに最低限の迷惑で抑える作戦が順調に進んでいた。 しかし最終日は札幌である。徳島には、あり得ない大きな高層ホテルにやってきた。 そこで僕はホテル

          新ギザギザハートの陸上部 ⑧ 〜 木彫りの熊 〜

          新ギザギザハートの陸上部 ⑦ 〜 先輩のオカン 〜

          陸上部の夏合宿について書こうと思う。徳島の夏休みは蒸し暑く、走りこみをするには少し過酷すぎた。 そこで長野県の車山高原に2週間、鳥取県の大山に1週間、夏合宿をするのが陸上部の恒例行事であった。 真面目な話をまず書こう。この走りこみ合宿は、早朝6時、午前10時、午後4時からの3部練習が行われる。基本的に全て自己申告で 「何キロお願いします」 と監督に自分が走りたい距離を伝えて陸上部のマイクロバスに乗り込む。 そのバスは20キロ地点まで走り、部員を降ろし始める。次は15

          新ギザギザハートの陸上部 ⑦ 〜 先輩のオカン 〜