幸福度合いが低いのではなく幸福実感度が低いことに気がつけば幸せになる
幸せって、なんだっけ、何だっけ。ポン酢醤油のある家さ!
そんなCMを、あのお笑い界の大御所(ご自分でもおっしゃってるもんね)である明石家さんまさんも歌ってましたよね。😊
今日は敬老の日なので、幸せな老後を迎えるための秘訣、幸福実感のことについて語りたいと思います。
幸せというのは人それぞれで、どういう状況や状態であれば、人は幸せと感じられるのか。その状況や状態というところに個人差があるわけですね。
思うに人は、自分がじゅうぶん幸せな状況や状態にあるのに、そのことに気がつかず、的外れな不足感や満たされていない思いを、抱いているだけではないか。そんな感じがしているのです。
幸せであること、幸福であることを、他人の生活や境遇を横目で見て、羨望や嫉妬などの思いとともに、自分もああなりたい、なれればいいなと隣の芝生だけを見ているような気がします。
春になると桜の名所に花見に出かけ、秋には紅葉狩りとしゃれ込んで紅葉を楽しみに出かける人も多いと思う。その桜の花見でも、離れた場所から眺めてみると、満開の桜が咲き誇る格好の場所が目に入るわけですね。
で、その場所を目指していって、そこを花見の宴を張る場所に決めて座り込むと、周囲にもっと咲き誇っている場所があるのに気づくのですよ。
「おい、あっちの方が綺麗だ。あっちの場所にしよう」そう誰かが言い出して最初の場所から席を移すのです。
場所を移してから「いやいや、さっきの場所のほうが、桜もたくさん咲いていて綺麗に見えたんじゃない?」などと言い出す人が出てきて、またもや元の位置に戻るか、もっと良さげな場所に移るか、悩み始めるのですね。
こんな笑い話のような経験、ありませんか。
私は何度も経験しています。この、隣の芝生はよく見える現象。
話は変わって、富士山がとても綺麗だと感動して、あの富士山に登ってもっと綺麗な富士山を堪能したい・・・・なんて登り始めたとしましょうよ。
登り始めると、遠くから眺めていたときの秀麗な富士山の姿は、もう見ることができずに、暗い樹海を抜けたかと思えば、瓦礫の集まりのようなゴロゴロした岩場を、汗水垂らして登らなきゃいけない。
そうやって、汗水をたっぷり垂らして、足腰もがくがくするような苦行の結果として、頂上からの見事な絶景を目にすることができる・・・・なんてそう都合よくは行かず、頂上にたどり着いてみれば、雲か霧かでなにも見えない。
まぁね、そんなことって、あるわけですよ。
要するに、綺麗な富士山を眺めることに幸せを感じているのなら、眺めているだけで登っちゃいけない。
桜の花見も同じで、自分たちが決めた場所が、一番綺麗に桜が見える場所なんだと知って、そこからの景色を愛でるべき。よその場所から見えるその場所こそ、一番綺麗に見えているはずだから。
一番綺麗な場所取りを狙って、うろうろしている間に、最初の一番よかった席は、他の人に占領されてしまうという、愚かしさ。
こんなことが、よくあるのですよ、人生にも。
ほら、幸せって、そこにあるの。自分がそれに気づいていないだけで、拾い上げると輝きを増すものなのです。道ばたに転がっているときには、ただの石ころにしか見えないけど、ね。
ってことで、今回は
「幸福度合いが低いのではなく幸福実感度が低いことに気がつけば幸せになる」という幸せについての自分語りでした。(^_^)b
※見出し画像のイラストは、メイプル楓さんからお借りしました。
では!
幸せと 気づく幸せ のほほんと
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