”最高善”という幸福に生きることが人間の究極の目的であるとアリストテレスは言った!
アリストテレスの名前はよく知られていますが、というか義務教育を受けた人なら必ず目にした名前であり、何をやった人だったかはボンヤリとしか覚えていなくても、昔の偉人・哲学者だったと聞けば、ああぁ~そうだったよねとなること間違いないはずですよね。(^_^)b
って、こんなまどろっこしい前置きを書かなくても、この note においてはそんな余計な斟酌無用ですよっていう人だらけだと思うので、これっくらいにして話を進めます。
・・・・・・
いや、話をすすめるもなんも、タイトルに書いてしまったので、とりあえずもう一度書くとすると
”最高善”という幸福に生きることが、人間の究極の目的であるとアリストテレスは言った!
はい、そうなんですよ。
あの偉大なる哲学者、アリストテレスが言っちゃったんです。
人間のすべての営みには目的があるって!
そのうちの最高善が人間の究極の目的だよって!
最高善っていうのは、幸福に生きることなんだよって!
そう言い切ってくれたのが、現在からさかのぼって2,400年弱前の・・・・たぶん2,350 年だか 2,360年だかの、そこそこ若くそこそこ年寄ったアリストテレスだったんですよ。
いやね、年代をはっきり特定できないのはですね、アリストテレスが紀元前384年にギリシャで誕生したことはわかっているんですが、37歳のときに師と仰いだプラトン先生が亡くなってから、プラトンの考えをまとめた著作を残したかと思えば、プラトンの考えに反対するオリジナルの理論を展開したりと、実に様々な業績を残したわけですね。
そしてその優れた学問からアリストテレスは、アレクサンドロス大王の少年期に家庭教師を務めているのですが、アレクサンドロスの即位とともにリュケイオンという学園を設立し、万学の祖と称されるように形而上学や倫理学・政治学・詩学・自然学について、重要な思想・考え方を残したんです。
リュケイオンという学園を設立した時に48歳だったので、現在から数えると2,358年前になるのですが・・・・ま、そんなことはどうでもよろしい。😤
要するに48歳のその頃から62歳で亡くなるまでのどこかで、”最高善”という幸福に生きることが、人間の究極の目的であるとアリストテレスは言った!ということなんですよ。😂
中でもアリストテレスの倫理学では、この最高善という幸福に生きる状態になるためには「中庸の徳」が重要であるとも言い切っているわけですね。
はい、中庸の徳・・・・ほどほどの徳ってヤツですよ。(^^ゞ
飛び抜けて良かったり悪かったりじゃなく、中、中程、中っくらいの、ってヤツですよ。
この「中」であることが、自分の幸福にとっても非常に重要な考え方であるとして、超過したり不足しないで中庸を目指すべきだと教え諭しているのです、アリストテレス先生が・・・。
言ってみれば、バランスですかね。
バランス良く中庸であることが、もっとも最高善の状態に近づけて幸福に生きることができるのだと、2,358年前から2,344年前のどっかで結論づけたということですよ、アリストテレス先生は・・・。(^_^)b
なので私も中庸の徳を目指して頑張ります・・・・って言いたかったけど、なんせ中庸ですから、ほどほどですから、そこそこでいいのじゃないかなんて勝手にシンドバッドですもんね。🤣
カタカナ並べてりゃ、どうにかサマになりそうなんていう浅はかな考えではないのですが、今日のこの記事はやたらとカタカナ出現率が高いのですよ。
だから、何?
っていうツッコミは無しにして、今日は朝から熱も下がり気分がよろしかったもので、つい幸せな気分になって最高善のことを書きたくなったんです。
ああぁぁ~~~~元気って、いいね!
身体のどこにも痛みが無いって、幸せですよね!
ってことで、今回は
「”最高善”という幸福に生きることが人間の究極の目的であるとアリストテレスは言った!」という幸せとは何ぞやっていう話題でした。(^_^)b
※見出し画像のイラストは、メイプル楓さんからお借りしました。
では!
時を超え 幸せのコツ のほほんと
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