通常非公開!金閣寺/銀閣寺の本寺「相国寺」若冲/応挙/足利の威信/京都五山【京都二条城・御所シリーズ/京都御所シリーズ/京都ツウシリーズ】
「金閣寺」「銀閣寺」は相国寺の塔頭寺院。あまり知られていないようだが、京都を代表する寺の1つで「京都五山」の第二位。権力者の足利家の威信をかけた神社仏閣で、伊藤若冲と円山応挙ゆかりの寺でもある。
正式名称は「萬年山相國承天禅寺」。山外塔頭として、鹿苑寺こと「金閣寺(私のNOTE)」、慈照寺こと「銀閣寺(私のNOTE)」、「真如寺(私のNOTE)」がある。地理的に見て、当初は相国寺の土地だったのか?もともと境外(寺外)だったのか興味が沸くところ。
通常非公開が多いのも事実なので、行くときは事前に調べてください。あっ「しょうこくじ」と読みます。「相」は「しょう」なのでご注意を!
だいたい「京の冬の旅」で塔頭とセットで公開しています。1か所800円と少し高めの設定ですが、3か所行くとちょっとしたお菓子が頂けます。
変更履歴
2024/07/15 初版
▼HP
バーチャル参拝できます!!これを見ながら本NOTEを読めば完璧??
▼アクセス
京都府京都市上京区今出川通烏丸東入
▼祭神・本尊と脇時
※後述「▼見どころ」参照
▼見どころ
▽概要
京都五山第二位の名刹
正式名称は「萬年山相國承天禅寺」
足利義満により創建
夢窓疎石や独園承珠ゆかりの寺
1605年、焼失と復興の歴史を繰り返し「法堂」を再建
法堂は日本最古の法堂建築
夢窓疎石を開山とし、創建当時は室町一条あたりに総門があったよう
北は上御霊神社の森、東は寺町通、西は大宮通にわたり、約144万坪の敷地に50ほどの塔頭寺院があったとか
相国寺を創建した足利義満は左大臣であり、相国であることから「相国寺」と名付けられた
1382年、法堂、仏殿の立柱が行われ「春屋妙葩」が最高責任者として建立開始
1384年、大仏殿立柱し、この時寺号を「万年山相国承天禅寺」と定める
1386年、三門の立柱上棟を行い、同時に足利義満は京都五山の第二位にする
(現在でいえば権力者の内閣総理大臣が仏教のランキングを変えてしまったような感じか。(現代ではできないですけど))同時に春屋妙葩は76歳で退職
1392年、相国寺が完成し、勅旨により慶讃大法会が修せられる
京の人は、強引な工事に対して「ミヤコニハ、ヒノ木スギノ木ツキハテテ、ナギキテツクル相国寺カナ」と皮肉ったとさ
1394年、寮舎からの出火で、堂塔・伽藍の全てを焼失・・・
等持院(私のNOTE)の僧が足利家に復興をしましょう!と焚きつける!?
1395年、仏殿、開山堂が立柱
1396年、法堂再建し、続いて大塔が完成するが、落雷で焼失・・・
1407年頃、相国寺は復興したが、翌年に義満が51才で逝去
1425年、出火でまたも全焼・・・
四代将軍・足利義持、六代将軍・足利義教によって再建の努力がされ、足利義政によって再建が進められる
1463年、法界門などが完成し再び大禅刹が出現
1467年の「応仁の乱」、1549年の「天文の乱」で全焼・・・・
1584年、西笑承兌が、千利休、豊臣秀吉、徳川家康に仕え、相国寺再建の資金を集める
1605年、豊臣秀頼の寄進により法堂が完成
1788年、天明の大火の惨禍にみまわれたが、「法堂」は難を逃れた
1807年、桃園天皇皇后の旧殿が下賜され「開山堂」として再建、「方丈」、「庫裏」等も再建
高浜虚子の句「行年の松杉高し相国寺」の通り松の木は高い
公式HPの『相国寺物語』が詳しいです
▽相国寺塔頭「金閣寺」
私のNOTEは次の通り。
▽相国寺塔頭「銀閣寺」
私のNOTEは次の通り。
▽今出川駅(西側)から境内へ
▽相国寺塔頭「端春院」文人墨客ゆかりの禅院
水琴窟の雅趣漂う『雁の寺』とも
1484年、創設
亀泉集證、鈴木松年、水上 勉氏など文人墨客ゆかりの禅院
本尊・阿弥陀如来の姿は来迎印で踏割蓮華座で、定朝様式
脇侍は、観音菩薩と勢至菩薩
所謂、「阿弥陀三尊」で藤原時代のものだが大きさはない
阿弥陀如来 像高:35.2センチ
観音菩薩 像高:20.1センチ
勢至菩薩 像高:20.6センチ直木賞作家である水上勉氏は9歳の時、瑞春院で得度し13歳まで雛僧時代を禅の修行に過ごした
1961年、小説『雁の寺』は瑞春院時代の襖絵を回顧し、モデルとしたことから瑞春院は別名を『雁の寺』ともいう
今も雁の襖絵八枚が本堂上官の間(雁の間)に残っている
他力本願です。
▽相国寺塔頭「養源院」
本NOTEを書いていて思い出した。三十三間堂近くにも「養源院(私のNOTE)」ありますね。やっとスッキリした。
ほお~ここの住職はテレビ番組にも出たようですね。本尊・薬師如来立像、毘沙門天立像を安置しているようです。動画をどうぞ!
▽相国寺「経蔵」
西側から境内に入ると養源院の次はここに着きます。
▽相国寺鎮守社「八幡神社」相国寺「天響楼」
経蔵北側に八幡神社ですね。東大寺などもそうですが寺の中の神社は「八幡神社」が多いですね。そしrて鐘楼が並んでいます。
まずは、足利義満が「石清水八幡宮(私のNOTE)」から勧請。男山八幡から御神体を勧請した時は男山八幡からここまでの沿道に白布を敷きつめたとか。。。って凄いな・・・。
2011年に建立した新しい鐘楼。この鐘は、中国開封大相国寺により二つ鋳造され、その一つが日中佛法興隆・両寺友好の記念として寄進されたもの。
なんで、日中友好かというと相国寺の寺名に関係している。中国に「大相国寺」という中国の五山制度の始まりの寺があり、そこから「相国寺」と名付けられたとしている。今でも「大相国寺」は現存在しており、相国寺と友好寺院の締結していることから、友好の碑があるという訳なんだそうな。
▽相国寺「浴室」
相国寺の浴室は「宣明(せんみょう)」と呼ばれている。
▽相国寺「法堂@重文/方丈/庫裏」有料地域外
禅宗なので「方丈と庫裏」でワンセットで、庫裏は寺務所と台所を兼ねている。法堂の正面は趣がある。鳴き龍は網越しから見えるかもしれないが、せっかくなので有料拝観をどうぞ!
法堂の裏側に回ります。拝観は法堂と方丈の間から入るようです。
拝観受付は方丈入口でした。ここで法堂、方丈、庫裏を拝観できます。法堂の堂内は写真撮影NGです。
2023年の「若冲と応挙」展が公表につき延長だったようです。行けばよかった・・。詳細は次の通り。(って、このNOTE公開時は終わっているでしょうけど・・。)
▽相国寺「法堂@重文」堂内 ※有料領域
現存最古かつ最大級の法堂建築で、正面28,72m、側面22.80mの大きさ。内部は通常非公開だが、春秋の特別公開などで拝観可能。天井には狩野光信筆の「蟠龍図」が描かれ、どこからでも目が合う龍「八方睨みの龍」「鳴き龍」である。
おそれることなく法を説くお堂として「無畏堂(むいどう)」と称されている。法堂の南側にあった仏殿なきあとは、仏殿も兼ねており、三方に高い階段を備えた須弥壇に、鎌倉時代の本尊・釈迦如来坐像、脇持に阿難尊者(あなんそんじゃ)と迦葉尊者(かしょうそんじゃ)が安置されている。
仏像は次のサイトに載っていますが、運慶作とも言われているとか・・違うな・・。
蟠龍が描かれた天井は「むくり」と呼ばれる技法が使われている。この技法は、て中央が少し上に向かって盛りがっているので、堂内のある場所で手を叩くと、音が反響し音が返ってくる仕掛けなんだそうな。
https://www.youtube.com/watch?v=6etG46LDJbM
アチコチで軽く柏手をしましたが、響くのは1箇所でした。明示的に場所を示しています。ちなみに響くのはその場所だけで、他の場所にいたら他の方が柏手を打っても響かないです。
あと須弥壇の彫刻が良かったですね。
▽相国寺「方丈/庫裏」有料領域
拝観受付は方丈入口でした。ここで法堂、方丈、庫裏を拝観できます。庫裏の右手奥に進むと若冲などの宝物がある「承天閣美術館」です。
方丈庭園は「表方丈庭園」と「裏方丈庭園」で、開山堂庭園は「龍渕水の庭」の枯山水である。
→方丈
写真NGなので他力本願です。
https://www.youtube.com/watch?v=nUk-LGe-tRI
→表方丈庭園と方丈
庭園は明るくないので、下の写真をどうぞ!
→表方丈庭園から裏方丈庭園(方丈横)
→裏方丈庭園と方丈
→方丈東側にある白砂敷きの坪庭
開山堂庭園(開山堂前庭)だと思っていたが違うかった・・(^-^;
→方丈
方丈ぐるっとわまって拝観完了です。
▽相国寺「開山堂(開山塔)」
法堂、庫裏の東側で、相国寺開山した夢窓国師像を安置している。庭園は白砂が敷き詰められた手前の庭に石があれ枯山水と思いきや、奥に奇岩を配した樹木が植えられている。
本来表と裏の二つに分かれている禅宗の庭が一つになった珍しい庭の形態なんだそうです。(庭園は詳しくないです・・m(__)m)
創建当時は、上賀茂から水を引き、ちょうどこの庭の中を通して御所に流してご用水としていたとか。
https://www.youtube.com/watch?v=CxFo0OczNqY
現在の建物は江戸時代後期に桃園天皇の皇后・恭礼門院の黒御殿を下賜され、1807年に移築されたもの。そのうち拝観したい。相国寺は春・秋の特別拝観があるが、ここは秋のみの公開なんだようですね。
▽相国寺「弁天社」
法堂より南東あたりに鎮座。池があれば弁財天ですね。神仏習合で宗像大社のイチキシマと習合していたかと思います。
春日造桟瓦葺の小社で、弁財天を祀る
この弁財天は古来から御苑内久邇宮邸にその守護神として奉祠されていた1880年、同宮家が東京にご移転された時に、相国寺が親王より寄進をうけ、弁天講を組織して広く信仰を集めた
1957年、弁天講が復活されるが、現在活動はしていない
1871年、寺地画図に描かれず、明治の銘が見られるので移築建物であるよう
▽相国寺「供音楼」
「洪音楼(こうおんろう)」という鐘楼。下の重が城の天守の石垣のように広がった「袴腰付鐘楼」になっているのが特徴。1843年に再建されたもの。
▽相国寺「宗旦稲荷社」
前述の弁天社は参拝しないけど稲荷社は参拝する人はいた。有名なのかな??2024年は事前調査なしで来たので分からなかった。
「宗旦」は「宗旦狐」の故事から来ているようだ
「宗旦狐」は次の通り
江戸時代の初め頃、相国寺境内に一匹の白狐が住んでいた。その狐はしばしば茶人・千宗旦に姿を変え、時には雲水にまじり坐禅をくみ、また時には寺の和尚と碁を打つなどして人々の前に姿を現していました。
宗旦になりすましたその狐は、近所の茶人の宅へ赴いては茶を飲み菓子を食い荒らすことがたびたびでしたが、ある時、宗旦狐は相国寺塔頭慈照院の茶室びらきで、点前を披露していました。驚いたことにその点前は実に見事なもので、遅れてきた宗旦はその事に感じ入ったといいます。これも、宗旦の人となりを伝えた逸話です。
その伝承のある「い神室(いしんしつ)」は現在でも慈照院に伝えられています。茶室の窓は、宗旦狐が慌てて突き破って逃げたあとを修理したので、普通のお茶室より大きくなってしまったとのことです。
宗旦狐は店先から油揚げを盗み、追いかけられ井戸に落ちて死んだとも、猟師に撃たれて命を落としたとも伝えられています。化けていたずらをするだけでなく、人々に禅を施し喜ばせていたという宗旦狐の死を悼み、雲水たちは祠をつくり供養しました。それが今でもこの宗旦稲荷として残っています。
この逸話は文献を調べてみると、儒学者として名高い尾張藩士の深田香実が1830年の『喫茶余録』の中に出てき、これが初出だとか
▽相国寺塔頭「林光院」田辺製薬の始まり
足利義満の第二子・四代将軍である義持の弟・義嗣が25歳で亡くなり、その菩提を弔うため創建
夢窓国師を勧請開山として京都二条西ノ京、紀貫之の屋敷の旧地に開創された
応仁の乱後、等持寺(現等持院)の側に移り、その後も移転する
1570年から1572年、豊臣秀吉の命により明・韓通行使となり、秀吉はこれに報いるため林光院を独住地とし、また相国寺山内に移設した
1600年、関ヶ原の戦いのとき、島津義弘を大阪・堺港より乗船させ、薩摩に帰国させることに成功
これにより、薩摩藩秘伝の調薬方の伝授を許された(現在の田辺製薬の始まり)
現在、林光院墓所に薩摩藩士の墓があり管理しているのは以上の話からのよう
現在の建物は、滋賀県蒲生郡日野町の寺の物を移築したもの
通常非公開なので他力本願です。
▽相国寺塔頭「光源院」足利義輝の菩提寺
2024年の特別公開はNHK大河ドラマの「源氏物語」繋がりか?と拝観時に思った。
相国寺二十八世元容和尚の塔所
1421年、創建され、「広徳軒」と称した
1565年、足利義輝が死去してその菩提寺となり、義輝の院号により光源院と改称
1896年、善應院に合併し、善應院を廃して光源院と改めた
1988年、本堂、庫裡を改修し、新粧なった本堂の仏間十二面の襖には日展特選作家・水田慶泉画伯が構想を練って、約半年がかりで描き上げた禅宗寺院にも珍しい干支を配した襖絵が描かれている
→行者堂
こちらは行者堂の外観。通常の参拝では入れないので、狭い格子窓から覗き見るしかありません。
特別公開時は堂内で見仏できた。行者堂に安置されている神變大菩薩(役行者)、弘法大師坐像、不動明王三尊が安置されてる。
中尊の「神變大菩薩(役行者)像」は前鬼・後鬼で「岩の厨子」に入った三尊形式だった。吉野神宮など相当の良い仏像。説明では建仁寺から遷されたようですね。写真はこちら(https://ja.kyoto.travel/event/single.php?event_id=9087)にあります。
さて、行者堂の説明で「前鬼・後鬼の末裔が生き残っているそう」とありましたが、これ本当ですね。
→本堂へ
平安時代の釈迦如来坐像が本尊です。定朝様式の良い仏像で、光背は新しく、化仏が10体あったので十大弟子かなと思い聞いたが不明とのこと。
襖絵には干支や昔話が隠れているので、好きな人は探してみては。次のサイトにも堂内の写真がありますね。
「風雷坊」は、風神・雷神を描くにはまだまだ実力が足らないので”坊”をつけて描いたようです。
→十二支の庭
配置した石で干支の動物を表現している。
▽相国寺「大光明寺/豊光寺/長得院」
→大光明寺:後伏見天皇の皇后
「京都十三仏霊場めぐり」の第4番「普賢菩薩霊場」なんですね。
1339年、相国寺が建立される以前に後伏見天皇の皇后が天皇の菩提を弔うため、伏見離宮の傍らに一寺を建立したのが始まり
皇后の法号大光明院を寺号とした
皇后は玽子内親王、光厳天皇、景仁親王、光明天皇の母として北朝を良く支えられた
皇后の孫・伏見宮祖栄仁親王が薨じ、寺内に葬り安置されて以来、伏見宮家歴代の御位牌をまつる菩提寺となった
その後一時疲弊したが、徳川家康により相国寺塔頭として再興した
1903年、塔頭の心華院と当時天明の大火で焼失していた大光明寺、及びすでに廃絶していた常徳院の3ヶ寺が合併され、大光明寺として再興
2012年に公開しているようです。仏像が気になるな・・。他力本願です。
次の写真の通り普賢菩薩かな~。
2012年の「京の冬の旅」から普賢菩薩っぽいですね。本尊・普賢菩薩は、辰年と巳年生まれの守り本尊で、福をもたらし命を延ばすとして信仰を集めている。六本の牙をもつ白象に乗っているようだ。見仏したい。
→豊光寺
1598年、豊臣秀吉逝去の後、その追善のため豊光寺を創立した
1607年、徳川家康は豊光寺を訪問している
1788年、大火で焼失し、廃絶のピンチ
1882年、子院冷香軒を合併で、客殿を移し、その後に庫裡、玄関等を新築
本堂には、本尊・釈迦如来像、脇侍に西笑承兌和尚像、太獄周崇(たいがくしゅうすう)和尚像。本尊は鎌倉期の作で近年修復されたようで金ピカ。
→長得院
「ちょうとくいん」と読む
1410年、国寺19世・鄂隠慧かつ(がくいんえかつ)が創建
当初「大幢院」と称していた
1425年、室町幕府5代将軍・足利義量の菩提寺
義量の法号「長得院殿鞏山道基」に因み、寺名を長得院に改めた
1788年、「天明の大火」で焼失
1820年、現在の庫裡が再建
1834年、現在の客殿が再建
2016年の京の冬の旅では、岸連山の代表作の襖絵「山水図」「波涛鷲図」「水辺虎図」などを公開
▽相国寺「慈照院」
前述の「宗旦稲荷社」の話がある塔頭ですね。
2013年に「京都の冬の旅」で公開しています。
▽相国寺「慈雲院」伊藤若冲が師と仰いだ大典禅師
1457年から1459年、創建
本尊は釋迦牟尼佛。
三十三幅からなる「動植綵絵」をはじめ多くの作品を世に残した天才絵師・伊藤若冲の恩師
1896年、現在の京都産業大学附属中・高等学校から富春軒に移した
「伊藤若冲」と親交深く、支援者でもあった「梅荘顕常(大典禅師)」が住持を務めた塔頭
拝観ルートは方丈を反時計回りに1周します。左手に方丈の3間、右手が前庭です。方丈の中央には本尊・釈迦如来像で平安時代のもの。脇侍は開山・瑞渓周鳳像、聖観音が安置されていた。
方丈の縁の1番奥に表は梅、裏は鶴の杉戸絵があり、岸連山の筆で旧二条家のものなんだそうな。
前庭は白砂の枯山水庭園です。
方丈の最奥の間には寺宝である別所如閑筆の釈迦三尊の掛け軸があり、方丈の裏の間には、涅槃図、梅荘顕常頂相、阿波公方の末裔の足利義俊筆の松鶴図、床の間には久世通根筆の松鶴図が展示されていた。
方丈裏庭は苔庭です。
方丈裏を回ると書院への廊下があり、ラストは岸連山の筆「虎の杉戸絵」です。
上の写真の真ん中あたりの小窓は、じっくり見ると庭がゆがんで見えるガラス窓があります。その窓のガラスは古いものです。古いガラス窓の特徴ですね。
→岸連山の筆「虎の杉戸絵」
旧二条家のものなので菊の御紋のものがあります。保存状態は良くないのですがリアル虎です。涅槃図、襖絵に虎の絵はあるが、猫っぽいのは想像で書いているからなんだそうな。この絵は中国で虎を見て、ガイコツを持って帰って描いたのでリアルな虎になっている。
次のサイトd確認できますね。
▼幻の七重大塔
京都タワーの高さ131メートルに迫る高さ109メートルもあった
1393年、建立開始
1399年、完成
1403年、落雷による出火にともない消失
1470年、再建したが落雷により消失
復元したら面白い??そんな動きもあるようです。ひとつは『まぼろしの相国寺七重塔を復元する -金閣寺における九輪断片の発見によせて-(https://www.kyoto-arc.or.jp/news/leaflet/336.pdf)』です。
▼伊藤若冲と円山応挙
▼メディア情報
これ以降は本NOTEの下にあるコメント欄で追記します。
→相国寺承天閣美術館
→2024年
▼旅行記
▼セットで行くところ
本NOTE周辺に絞り込み次の通り。
▼仏像展
→2023年:大分県立美術館『大本山 相国寺と金閣・銀閣の名宝』学芸員による見どころ紹介
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