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国生み神話が卑弥呼の時代を特定する

国生みは邪馬台国から大和へ、領土拡大の神話化と言われる。では卑弥呼の時代に、支配していた地域はどこまででしょう。それは魏志倭人伝の道程を紐解けば理解できるのです。その前に前話「最上祇園祭は最強怨霊スサノオの祀り」にて、漢委奴国王印の委は伊国の伊、奴国は長国と語りました。なぜ阿波南部の那賀に名を残す、長国王金印が九州にあるか。巨石の下に隠されてたなら、全国どこだろうと謎になります。

巨石がお墓なら博多湾志賀島近くにあった理由になるが、その痕跡は全く無く偽造説まで飛び出る始末です。隠されてなかったらただ単に難破して流れ着いたかもです。しかし丁寧に隠されていたのなら隠した理由があります。

一つ目は漢王が交代したから、金印の有効期限が切れた。新王の印綬を下賜してもらうため返却に行こうとしたが、漢王朝が滅びたので返せないなら、隠す必要は全く無い。それこそ卑弥呼の親魏倭王印同様、お墓に埋葬すればいい。57年に光武帝が印綬したと定説になっているのですが、光武帝は57年3月29日に死去、光武帝は後漢初代皇帝。次代明帝の退位は75年、第14代献帝の220年まで続く。次代の明帝まで有効としても、いくらでも返す機会はあった。

二つ目は委奴が匈奴と同じ意味と知り、持ち帰らずに隠した。匈も奴も中国語では悪字、紀元前200年ではありますが、前漢劉邦から匈奴冒頓単于に、匈奴単于璽が供されている。印綬の効果無く寧ろ敵対心を生み、匈奴に中国は翻弄される。小野妹子も初回の遣隋使の折、随の返書を無くすが許される。あまりに無礼な返書だから受け取らないことにした。侮蔑の金印を長国王に差し出せず、捨てる度胸はなく隠した。

しかし王がそんな理不尽とは思えず、一存で決めなくていい。色々とシナリオは考えられるが、最も納得するのが三つ目。帰路海を渡り九州に上陸しようとしたら海賊に襲われた。大事な金印を奪われないよう隠したが、敢え無く全滅した。襲われるのは自国の領土でないから、安全な朝貢を目指して邪馬台国は王権拡大、その順番を国生み神話は語ります。

日本神話最大の目的は日本団結、各氏族の神様を登場させて、みんな仲間だよと盛り上げる。正確な記録や伝承はないから、魏志倭人伝通りにシナリオを書き、重要な神様を配役した。手に汗握る展開は、今後のお楽しみにして欲しいですが、邪馬台国連合の誕生は、筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原。イザナギの禊による、三貴神の誕生に神話化しました。

邪馬台国は倭国の倭の訓読み、倭国は伊国、魏志伊人伝。倭国大乱は伊国内の小競り合い、天津神と国津神の争い。これを黄泉比良坂のイザナギとイザナミの争いに神話化。高天原を治めるアマテラス、海原を治めるスサノオ。邪馬台国連合を導く卑弥呼には、ツクヨミを配役しました。阿波内で争うより王権拡大がツクヨミの宣託なのです。

ツクヨミは憑く黄泉、お伽もするのが夜の食国の知らせです、ツクヨミの宣託は大当たり、いち早く四国を版図に収めます。国生みの一番目が淡路島、二番目が四つの顔を持つ四国です。顔は面にて海岸線、伊国の面に港があって「伊面津」は橘。国津神首都の橘を陥落して、天津神は邪馬台国連合結成です。

四つの顔の解釈ですが、阿波国のオオゲツヒメは食物神。伊予国のエヒメはオオゲツヒメの兄媛かもしれません。讃岐国の飯依比古は飯野山に鎮座する飯神社の主祭神。飯野山の形状はお仏壇に供えるご飯の盛り方にそっくり。

実際播磨国風土記には、妾の飯盛大刀自が揖保郡へ渡り住み、飯盛山の由来と記し、飯盛山は全国に50以上名を馳せる。飯の盛り方は自由、形状が違っていてもいいかもですが、飯野山の形状に似つかわしくなくても飯盛山の多さは、阿波忌部同様に讃岐忌部も全国を開拓したと物語っている。

そして土佐国は建依別、別は飯依比古の比古と同様に尊称。特に別は軍事的指導者に使用されて依が共通している。依は依存の依、飯依比古が飯野山に依存していたのなら、建依別は建に依存する軍神。建と言えば何と言っても建御雷。日本書紀は四つの顔を記さず、建御雷神を武甕雷神と記す。

藤原氏は武甕槌命を氏神として奈良の春日大社に祀り、茨城県の鹿島神宮から白鹿に乗って来たとしているが、別名の建布都神は布都御魂大神として石上神宮に祀られる。奈良の石上神宮は物部氏が祭祀、土佐には物部川が流れ物部氏の始祖は建御雷神、物部川辺りが出身地でしょうか。

そして3番目の子が隱伎之三子島、4番目が筑紫島の九州。5番目の伊岐島が壱岐にて、6番目の津島は対馬でしょう。魏志倭人伝の邪馬台国への道程を一直線に遡るとしたら、3番目の隱伎之三子島は出雲の沖の隠岐島ではありません。その謎を解く鍵は、アマテラスとスサノオの誓約にあります。互いの神器を砕き、五柱三女神を生むは自らの力で領土拡大。スサノオはアマテラスの勾玉から五柱の男神を生み、アマテラスはスサノオの剣から宗像三女神を生みます。

三女神は同時に生まれた三つ子、宗像大社は三女神を祀る。宗像市田島の辺津宮、筑前大島の中津宮、沖ノ島の沖津宮。それぞれ市杵島姫神、湍津姫神、田心姫神を祀ります。「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群と称する世界遺産。そして宇佐神宮では二之御殿に比売大神として祀られる。応神天皇を祀る一之御殿が右、神功皇后を祀る三之御殿が左。阿波邪馬台国説ではこの宗像から宇佐辺りまでが陸路です。

ここまでの国生みで安全に朝鮮半島まで行き来出来ますね。しかしなぜ船から降りて困難な山越えをするのでしょうか。理由を国生み神話は如実に語ります。7番目の子は佐渡島、大八島最後は大倭豊秋津島、秋津は奈良近辺に限定されます。

筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原、佐渡は狭戸、小戸と同意。関門海峡を通行するには下関側も版図にしないと無理です。潮待ちすれば潮の流れに乗って難なく海人族は航行する。佐渡は本州側を含むシマ、支配する地域である縄張りの意味。卑弥呼の時代は神武東征前、まだ奈良を支配していません。

#日本史がすき

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