鵠の倭建から白鳥の日本武尊へ飛翔
やまとみずほの国に生まれて 第ニ十八話
大佛鐵道記念公園から全長5kmも続く佐保川の桜並木は素晴らしい。その佐保川に名を残す、第十一代垂仁天皇の皇后が狭穂姫である。そしてその兄の狭穂彦の謀反が垂仁朝最大の事績。二人の板挟みになって、最後は幼子を残し兄と共に焼け死ぬ。古事記は皇子の誉津別を火中に生むが、日本書紀は豊玉姫と同じ出産シーンはまずいと考え、幼子を差し出して火に飛び込む。
そして狭穂姫の伝承地が、佐保山に鎮座する狭岡神社にある。藤原不比等が敷地内に祀ったと伝わるが、娘の光明皇后が建立した法華寺も邸宅跡と言われるからどんだけ広いことか。狭岡神社はその名の通りかなり石段を登り、天神八座が祀られる。素戔嗚の子の大年神に繋がる家系だが、大宜都比売が生んだから天津神でいいのだろう。穀物神は素戔嗚に殺されても再生する。
狭穂姫のととさんの彦坐王には4人のお后が記録され、狭穂姫皇后の後釜は息長水依比売との子の四道将軍になる丹波道主の娘の日葉酢媛なので、倭建は孫の孫だ。そして彦坐王かかさんの意祁都比売の妹の袁祁都比売との間にできた子が山代之大筒木真若王だが、こちらの家系の孫の孫が神功皇后だ。疑惑の叔母甥の異世代婚にして、二人の姉妹の名は大宜都比売に似ている。
誉津別とその子孫は活躍しないが、この後の誉津別のエピソードが詳しすぎて暗号としか思えない。日本書紀は箸墓伝説に変化したから鵠と遊ぶだけで喋るが、古事記では二股船で天皇と皇子が戯れているとき、皇子が天を往く鵠を見て喋りそうになったから、鵠を捕まえよと命令すると、紀伊・播磨・因幡・丹波・但馬・近江・美濃・尾張・信濃・越を飛んでから鵠は捕まる。
鵠は白鳥の古語。日本武尊は日本を征服後に白鳥になって飛翔する。皇子が喋れないのは大きな声では言えないの意味で、四国九州は別にして鵠は古の倭の象徴。この頃は鵠が飛んだ国しか実際に統治していない。そして皇子が喋れないのを国譲りの条件だった約束を果たさなかった大国主の祟りと夢枕で諭され、曙立王と菟上王に皇子を出雲へ拝ませて出雲大社を建立させた。
曙立王と菟上王のととさんが大俣王でその弟が小俣王で二人合わせて二股。その兄妹のととさんが彦坐王で、かかさんが山代之荏名津比売でまたまたよく似たお名前。そして仮宮を建てていたら皇子がようやく喋りだす。皇子は出雲で肥長比売と結婚するけど正体が蛇と知って逃げ、この後登場しない。鵠は第十二話「倭面土は伊面津(橘港)金印隠しました」、鵠川も流れる。
第四話「紀伊は木の伊の国にして狗奴国」以上の大発見に大興奮。大快哉。