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国譲りはユダヤ天津神vsインド国津神?

やまとみずほの国に生まれて  第十三話

スサノオオオゲツヒメを切った後、人が変わったように国造りをします。八岐大蛇の退治が吉野川の治水工事で、草薙剣をこの時に掘り当てたことははじまりの「草薙剣は剣山から吉野川支流に流れ出た」に記した。大国主の舅にすべく一人二役です。大国主は二度死にますが蘇るのは歴代の長国王を一人に纏めるため、しかも最後の大国主が高天原からの婿入りは極秘です。

アマテラスが国を譲れと言ったのは、最後の大国主で身内だから言いやすかったのでしょうか。阿波邪馬台国説は国譲りまでのスサノオと大国主が活躍する舞台が吉野川北岸に高志として残り、因幡の白兎の舞台は蒲生田岬にて伊島との間にある岩礁に白波が立つのを「兎が飛ぶ」と伝わり、その様子が彫られた神社まであると主張します。兎が包まる蒲が生える田、完璧です。

粟国の起源はもちろん穀物の粟ですが、長国の起源はナーガです。ナーガはインド神話が起源の蛇神、日本語はタミル語に似ている説が有り、海人族のルーツはインド南部とスリランカに住むタミル人かもです。そしてスサノオも大国主も長国王なのです。しかし王を主と呼ぶのは酷くないでしょうか。良くて池や湖に住む龍神様ですが、悪くとれば悪党のイメージになります。

アマテラス天岩戸からそう間を置かず国譲りを迫ったので、八岐大蛇からスサノオの舅の話は天岩戸から相当前の話です。なぜなら大国主は国譲りの返答を息子に聞けと言っているからです。最後の大国主が婿の根拠はこの話だけでなく、大神殿に祀られることも条件にしている点です。天津神を祀る神社は山の上を切り開いて建てられるので、必ず半端ない石段を登ります。

実際崇神天皇が神器のパワーが強いと祀った倭大国魂神社の石段も半端ありません。天津神になりたいのかと不思議でしたが、婿入りして国津神になったのを天津神に戻せでした。そして一人にまとめるのは、封印するのに都合がいいからなのです。神話では事代主がまず承諾し、最後にタケミナカタタケミカヅチとの力比べに負けて国譲りの完了ですが、実際は逆でしょう。

神話は信濃の諏訪大社に祀られるとしますが、阿波にも諏訪がありその地の多祁御奈刀弥神社に祀られると阿波邪馬台国説は主張します。祀られたのは戦死したからであり、それを見た事代主は船に乗って和歌山に逃げました。船の上に青柴垣を作って隠れたの青柴垣とは木の国の象徴です。当てもない航海でないのは「倭女王と狗奴国王の不仲は連合国の根拠」に書きました。

魏志倭人伝 陳寿
その(女王国の)南に狗奴国あり、男子が王となる。
その官は狗古智卑狗がある。女王に属さず。
女王国の東、海を渡ること千余里。また国あり、皆、倭種。

後漢書東夷伝 范曄
女王国より東、海を渡ること千余里、狗奴国に至る。
皆、倭種といえども女王に属さず。

狗奴国がまさかの邪馬台国連合国」⇒「紀伊は木の伊の国にして狗奴国

#日本史がすき

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