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「老子」 陰陽=物理的法則性? / 剣術 大人しい=音無しい
※前回の記事で「陰キャ陽キャ呼びを否定する」為に、それっぽい話しを持ち出して、煙に巻こうした結果、殆ど老子と武術の話しになってしまい、それは辞めて別の話しに作り変えました。
でも折角考えたのでそれを使い、もう一つ別の話しを作りました。よければ読んで行って下さい。
陰キャ陽キャ「陰陽」とは?
自分が「陰陽」で真っ先に浮かぶのは老子。次は陰流、新陰流、柳生新陰流(剣術)その次は「風林火山」の後に続く文言の「知り難きこと陰の如く」(孫子)です。
何故、剣聖と呼ばれる人達が、「陰」を名乗ったのか?そこに少し気を留めるだけで、「陰キャ陽キャ」呼びを軽々しく使えない。※「○○陽流」と付く流派も当然有ります。
「老子」=物理学のイメージ
自分は初めに読んだ老子本で、物理学のイメージを持っていました。最近気が向いてnoteで「老子」を軽く調べたらこんな文章が出て来ました。
この文章も今回の「陰」について書くキッカケに成りました。とても面白い。
「天網恢恢、疎而不失」の解釈
老子の有名な言葉に「天網恢恢疎にして漏らさず」が有ります。この意味は「天が張り巡らした網は広く粗いようだが、悪事を逃がすことはなく、必ず捕らえられる」という事。
この様に解釈されます、でも「天網恢恢疎にして漏らさず」の原文は「天網恢恢、疎而不失」です。 漏らさずでは無く「失」わず。
自分はこの「疎にして失わず」と、老子が多様する「道」を合わせて考え、網の様に張り巡らされた「天地を成り立たせる法則性」=現代風に言えば「物理法則」と、その影響を受けて天地の間に生きる「人の世のネットワーク」を合わせて、
『天地人には法則性が有る。それは形無く一見しても見えないが、失われる事は無く厳然として在る』
と置き換えて考えています。だから天の道理が真っ当される世なら、自ずと無為にして悪人は罰せられる。でも人の世が、天地の道理から外れているなら、悪は罰せられず栄えると解釈しています。(お!何かそれっぽい説明が出来ました、雰囲気として受け止めて下さい。)
「陰」とは単に目に見えないだけで、物事を成り立たせている、重要な法則や現象に使う言葉だと思っています。
陰陽とは直接関係ないけどこんなものも。この解説はnoteを始める前から、ホーム画面から飛んで直ぐに読める様にしている、お気に入り。
「ドアを出なくても世の中の動きを知ることはできる。窓から外を窺わなくても天の道理を知ることはできる。遠くへ出かければでかけるほど、悟りは少なくなる。こういう訳で、有道の士はそこへ行かないで状況を理解し、見ないで名をつけ判断することができるし、さらには無為にして事業を成し行うことができる」
この方の解説には老子は隠者では有っても、知識人のネットワークも持ち、お互いに繋がりが持っていたのでは無いかと、説明されています。実際最近の中国ドラマでは、知識人や名士の繋がりは、必ずと言って良い程描かれます。
当然、この様な境地に自分が達している訳では有りません。でもこの二つを読めば、「陰陽」「外に出る出ない」「お一人様」そんな単純な話しではない事は分かると思います。
最近の日本はどう成ったのだろう?と思う程、言葉が単純平面化している。
※ここから武術系の話しです。
「おとなしい=大人しい=音無しい」
1つ前の記事「陰キャ」で、大人しい=音無しいと少しだけ書きました。そこで思い出した事を書きます。
どの誰の本で見たのか?大人は音を立てずに所作を行う、と言う様な事が書いて有りました。
※多分、「黒田鉄山」敬称略の理由は会った事が無く、軽々しく「先生、さん」を付けて、自分が呼べる人ではない事が理由です)
音を立てずに動けないのは、未熟な子供のする事だと言う考えから来ている。古い日本の文化にはこの傾向が強い。能、茶道、忍者、剣術、等々。
(perfumeにも似たような傾向が有る。地面を強く蹴り上げるより、沈み込みつつ静かに動き、空中に浮いている系の動きが多いと思う)
自分は20年以上の間、足音をなるべく小さく成る様に歩く事を意識して来ました。この前見たショート動画に、厨二病は足音を立てずに歩くらしい。(漫画ハンター×2のゾルディック家の影響だと思う)自分は厨二病だと思うし、的を得た考えだと思うから全くその通り。
「自分にとって大事な経験」
ある中国武術の講習会に参加した時(20年前)、その先生が地面を蹴らずに歩くなら、足先から動くと良いと言われた。
自分はその時も足音をなるべく立てず、地面を蹴らない様にしていました。それは特に前後の話しに関係なく、全員に向けて話されました。でも動きを見て自分に向けて、言ってくれたのだと思っています。
10年以上この先生には会っていません、でも自分には重要な経験です。
「陰キャは師匠を探す方が伸びる」
今上手く行ってない人は、ファスト教養、how-to本を読むのは、余り良いと思いません。人にはそれぞれタイプが有るからです。
前回も紹介しましたが「事大主義」の説明です。「大(だい)に事(つか)える」。弱い者が強い者の言いなりになって身の安全を図ることです。「寄らば大樹の陰」「長いものには巻かれろ」と同じ意味です。↓陰キャには向かないと思います。
「陰の人」は能力やコミュ力以前に、単純に感性が多数派から少しズレている可能性が高い。沢山の人に受ける本や、多数派に向けた教えが合わなかったら、「労多くして功少なし」に成ると思います。
※こう考えるのは「体癖」と言う分類法を、ある程度分かって来た時に、「10タイプの比率」が全体としても、地域としても、「かなり偏り」が有る事が分かったからです。西と東では相当違いますSNSのおかげで、それが可視化さつつ有ります。
上に書いた武術の講習会の先生の様に、世の中にはほんの少し見るだけで様々分かる人達が居ます。「perfume」を子供の頃から教え育てた先生で、振り付け+総合演出の「MIKIKO先生」は、ダンスを見ればどんな恋愛をするか迄分かるそうです。多分本当に分かる筈です。
(ファンは「MIKIKO」では無く、perfumeに倣い「MIKIKO先生」と呼びます)
「陰の人」で上手く行かない人は、師匠を探す事を目指した方が良いと思います。「三年習うより三年良い師を探せ」こんな言葉も有ります。
尊敬する人が居ると窮屈に成ります、でもその窮屈さにより世間とズレても良いと言う、理由と窮屈な気楽さが生まれます。自分はそうやってやり過ごして来ました。陰の人達にこの文章が、少しでも役立つ事を願っています。
まぁ、お前みてぇな厨二病になりたくねぇよ、そう言われそうですが、、、