私にとって会社で働くことは全然楽しいものではなかった
休職してから、いや休職する前から「#はたらくってなんだろう」ということは漠然と思っていたけど、何となく考えないように頭の中に蓋をしていた。
でも働いて精神を病んで休職している今こそ考えないといけないよなあとも思っていた。そんな中で、「#はたらくってなんだろう」というお題を見つけて、少し運命的なもの感じた。
ので、ようやくこの命題に腰を据えて真剣に向き合ってみることにする。
働くってなんだろうか。
3日くらい考えてみた結果、私の中では「働くとは、自分が何かを提供する代わりに対価をもらうこと」という結論に落ち着いた。いわば等価交換、お金をもらっているのならまさに錬金術ともいえよう。
提供するものはその人の時間であったり、モノ(作品)、スキルなどがあるだろうか。それらを提供して、お金や経験、信頼・人気などの対価をもらう。これが釣り合えば釣り合うほどよい仕事といえるのではないだろうか。
じゃあ、なんで私は仕事を休職しているんだろう。
それは「提供=対価」の等式が「提供>>対価」になってしまったからではないか、という所に行き着いた。
始めに断っておくが、私はブラック企業に勤めていたわけではない。
確かに所属していた部署は忙しかったが、まあ常識の範囲内だと思う。そして給料も新卒社員の給料としては平均的だと思う。ボーナスも普通にいただいていたし。さらに言えば、新卒3年目の何のスキルも取り柄のない平社員なので、私が会社に提供できるものといえば時間くらいであったと思う。
ならば、なおさら「提供>>対価」になった意味が分からないだろう。
これについても、自分なりに考えてみたのだが、その結果、「私が提供しなくてもいいものまで提供してしまったことと、会社で得られる対価がそもそも私にとっては対価ではなかったということ」が原因ではないかと考えた。
提供しなくてもよかったものとは、私の無駄な我慢や、精神の健康だ。
私は内向的な性格のうえに、性格診断などでもINFJやINTJという少数派に分類されるような、要は生きづらさを抱えている人種だ。
本当はもっと静かな場所で誰にも邪魔されず仕事をしたいし、人に相談するのは正直苦手だし、本当は雑談やどうでもいい愚痴よりも、抽象的で本質的な話を好むし、無駄に煩雑な社内手続き、仕事の仕方に意味なんてあるのかと、生意気にも思ってしまっていた。
これは別に会社がいけないというよりは、私が組織の中で働くのがあまり向いていないのにも関わらず、我慢するという選択肢しか取らなかったのがいけなかったんだろう。勇気を出して上司に言うなり、正直に相談するなり、思い切って転職するなり、何かしらの形で発散させればよかったのに、人に頼らず、無駄な我慢や労働時間ばかりを提供して溜め込んで、結果それが爆発して鬱になった。そりゃそうだ、と今なら思うけど、じゃあ今からタイムスリップしてやり直したら違う運命を辿れるかというと、それも無理な気がする。二十数年間で培われた性質というものは、そう簡単に変えられるものではない。
対価はどうだっただろうか。
相応のお給料はいただいていたり、最低限の社会人マナーや経験はさせていただいたので、それ以外の部分を考えたいと思う。
所属していた部署は、個人主義な雰囲気の部署だった。それ自体は別に嫌ではなかった。私自身も本来は個人主義なので、むしろ好ましいとさえ思っていた。でも回ってきた仕事を何とかこなしても、担当の仕事を無事に終えることができても、何も言われず、あったとしても素っ気ない「ありがとう」や「おつかれさま」が精々で。そしてまた次の仕事を任されるという日々だった。
別に褒められるために仕事をやっているわけじゃないし、これを読んでいただいている諸先輩方からは、きっと「甘えんな、それが会社で働くってことだろ」とお叱りを受けることだろう。
でも前述の通り、無駄にこちらのものを提供した気になっていた私にとってそれは、等式に釣り合うものではなかったのだろう。だから余計な見返りを求めてしまったのかもしれない。
仕事のやりがいというものも、実感したことがあまりなかった。部署柄、お客様と直接かかわることが無かったのもそうかもしれないが、社内でも作ったモノの内容より、モノを出すことのほうが重要に見られているような感じで、せっかく苦労して作ったものもちゃんと内容を見てくれているのかよく分からずモヤモヤすることがあった。
携わった商品は性質上、千人、万人単位で人の目に触れるものだったが、たくさんの人に見られることより、私が自己満足に書き連ねているこのnoteの文章に対して「投稿楽しみにしてます」と一言いただける方が、何倍も何十倍も嬉しい。事実、有難いことにそういった声をいただいて、飛び上がる程喜んだ。私は承認欲求が強いだけの困ったちゃんなんだろうか。
悲しいことに、仕事をしていて楽しかったという感覚を全く思い出せない。いや、きっと部分的、瞬間的にはあったはずなのだが、何故か思い出せない。嫌だったことはすぐに思い出せるのに。私にとって会社で働くということは楽しいものではなかったようだ。
きっと、自分にとって、需要と供給が不相応な場所に身を置いていたんだろう、と今になって思う。
なので残りの休職期間で、私が本当に提出できるものと、私が本当に求めている対価についてもっと考えてみようと思う。その果てに辿り着く答えは、復職してやり直すことかもしれないし、退職して新しい道を探すことかもしれない。自分の中では既に決まりつつはあるのだけど、最終決定を下すのはもう少しだけ先にしたい。
「#はたらくってなんだろう」は多分、一生答えの出ない命題なのだろうけど、とりあえず、今の私の暫定的な答えは以上だ。
梨女(@xxnashimexx)