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「嫌じゃない」もの

自分自身を知るためというか、心の整理のためというか、とにかく内面について書き出してみようと思った。

改めて好きなもの・嫌いなものを書き出せば、私という人間の好みや傾向、得意不得意、求めているもの・こと等がもう少し明確になるかもしれない。

しかし、現在、うつ状態でなかなか「これが好き!」と心から思えないことが多い。

解ってもらえないかもしれないが「好きなもの」をひねり出してみて、実はあまり好きではなかった、思ったほど何も感じなかった…という結果になることが怖い。

世の中の光や彩の一つが失われていくようで。

では「嫌いなもの」を書き出してみるのはどうだろう?

これもイヤな気持ちが増幅しそうで怖い。

不快感だけならまだいいが、怒りや憎しみという負の感情を呼び覚ますのは厄介だ。

どの感情にもいつか向き合わなければいけないとは思うけれど…。

そんな臆病さと慎重さ?から、「他の人は嫌がることが多いけれど、私にとっては平気なもの」「嫌ではないもの」を書き出すことにしてみた。

消去法の極みというか、我ながらすごく中途半端だな、と思う。

でも、他者との違いが分かって良いかもしれない。

01.雨や曇り

いわゆる「悪天候」。
雨の日、曇りの日は「気分が落ち込む」「憂鬱な気持ちになる」という人が多いように思う。

でも、私は逆で落ち着く。

しとしと静かに降る雨も好きだし、ザーザーと強く降る雨もドラマチックで嫌いじゃない。

災害レベルになるのは当然良くはないけれど、大量の流れる水を見ていると、何となく「浄化」を連想する。

02.無口な人(陰キャ?)

「あの人、おとなしすぎて何を考えているか分からない」と言われる人と仲良くなることが多かった。

私自身もあまりお喋りが得意ではないためかもしれない。

これは私の経験から感じることだけれど、無口な人は語らない分、頭の中で色々なことを考えているように思う。

打ち解けたときに「この人こんなにすごいことを考えていたんだ!」と驚くことが多い。

あと、これも私の偏見だが、自称「人見知りしないで誰ともフレンドリーに話せる」という人は、意外と人との距離感がおかしくて、図々しいだけだったりする。

「誰とでもコミュニケーションを取れる」のではなく、「誰にでも無遠慮に好きなことを話しまくる」だけの人も、過去結構いた。

もちろん、会話上手でコミュニケーションの上手な人もいるけれど。

おとなしい人は良くも悪くも考えすぎなところがある。

「こんなこと言ったら、この人は気を悪くしないかな…?」

そういった配慮が、口数を減らしているように思う。
(そうではなく、ただの口下手の時ももちろんあるけれど)

それは思いやりであり優しさだと私は思う。

ただ、例外は「察してちゃん」。

何も言わずに、ただ自分の気持ちを察して欲しがり、周囲が気づかないと勝手に不機嫌になる人…。

老若男女問わずいると思う。

こういう人は論外。

(あっ、嫌いなものは書かないつもりだったのに…)

03.爬虫類や両生類、虫など

嫌いな人・苦手な人が多い類のものだと思う。

私は生き物全般ほぼ何でも平気なほう。

例の黒いGはさすがに「得意」ではないけれど、自分で退治できる程度には大丈夫。

思えば、学校の教室やオフィスで虫が出たとき、駆除するのは私の役割だったな(笑)

爬虫類・両生類はどちらかというと好き。

ヘビも綺麗だと思う。

近所に大きな池のある公園があって、ときどき私は親戚の子どもと一緒に散歩に行く。

春先になると、その池の中に孵化したオタマジャクシがたくさんいる。

子どもと私はそのオタマジャクシの成長を楽しみに見ている。

「後ろ足が生えてきたね」
「来週くらいには、もうカエルになるかもしれないね」
「体の色が緑色になるのはいつなんだろうね」

そんな会話をしながらオタマジャクシを観察している近くで、大勢の大人が

「うわっ!オタマジャクシきっしょ!!!!!」

と大声を上げている。

好きになってほしいとは思わないし、「生理的嫌悪感」というものは私も理解しているので、その反応も仕方ないのかな、とも思う。

でも、子どもが興味深く観察しているところで、あまりそういうことは大きな声で言わないでほしいな…なんて思う。

大人が「これは気持ち悪いもの」と教えると、子どもも自分で考える前にそう思い込んでしまうから。

「危険なもの」については教えるべきだと思うけれど、好き嫌いに関しては、あまり大人の感性を押し付けたくないな、と思う。

04.鳩

これも03と同じく嫌われがちかなと思う。

たしかに「飛ぶネズミ」と呼ばれているほど病原菌を持っている可能性も高く、衛生面を考えても「良いもの」ではない。

私も触ろう、捕まえようとは思わない。

ただ、公園のベンチなどでのんびり見ている分には可愛いなと思う。

歩いている時に首を振るところや、時々うずくまって座るところ、また、実はかなり個性豊かな柄などが良いと思う。

適応障害でうつ状態になってから、のんびりと公園で鳩を見るような余裕がまったくなくなってしまった。

ただただのんびり鳩を観察するような休みがあってもいいのかな、と思う。

今はそんな風に休めないけれど。

以上、たった4つ挙げただけで、結構長文になってしまった。

読みにくい文章で申し訳ない。

誰かが苦手なものは、誰かが得意なもの。
誰かが嫌いなものは、誰かが好きなもの。

あなたの不得意分野が私の得意分野かもしれないし、その逆だって絶対にある。

そうやって、お互い足りないものを埋めあって、補完しあって人類は発展してきたような気がする。

なので、こういった「個体差」「個人差」は絶対に必要なもの。

「自分と違うから」という理由で排除してはいけないし、逆に排除されてもだめな、はず…。

なのに、今何となく世界から排除されてしまったような気持ちになるのはどうしてだろう。

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