「どうか、私を殺さないでください」
物騒なタイトルになってしまった。
最近、ちょっと気になる新説を見聞きした。
よくSNSなどに購入した高級車やブランドバッグ、ラグジュアリー感溢れる旅行先の風景、美味しいものを食べている写真や可愛らしい自撮りをアップする人たちがいる。
それは一般的に「承認欲求を満たすための行為」と考えられているが、「それは違うのではないか」という意見が最近出ているらしい。
古代、人間の死因は感染症をはじめとした病、飢餓、事故など色々なものがあるが、古代人の化石を調べてみると、少なからず同族・同コミュニティーに所属する者に「殺害された」形跡があるそうだ。
殺される理由は、
年老いて労働力として使えないから
食糧が少ないので口減らしのため
コミュニティーに危機をもたらすような病に罹患したから
等々あるが、その他に
何となく気に食わないから
という理由があったようだ。
前述の上3つに関しては、現代の価値観からすると当然おかしいが、まだ理由として成立する。
今とは比べものにならないほど厳しい環境下で、より多くの人を生き残らせ、繫栄していくためには必要なことなのかもしれない。
しかし、最後の1つに関しては理不尽というか、生命体の生存戦略からもかけ離れた行為だと思う。
それなのに、集団の権力者の反感を買ったり、コミュニティーになじめなかったりする場合、殺害される、といったことがあったらしい。
そういった「コミュニティーに殺されるかもしれない」という恐怖が私たちの原始脳には残っており、殺されないために、私たちは自分の存在価値を主張するのだという。
「こんなすごい高級車を持っている私は有能です」
「こんな素敵な場所に旅行できる私は優れた人間です」
「こんなに美味しいものを食べることができる私はそれだけの価値があります」
「私ってこんなに可愛いんです。好きになってくださいね」
「こんなふうに、私は必要とされる人間なんです」
「だから、どうか、私を殺さないでください!」
…という、生存本能からの叫びがSNS投稿に繋がっているのでは?という説。
この説が本当かどうかは分からないけれど、たしかにSNS投稿だけでなくても、自分のすごいところ(世間一般的に優れているとされていること)をアピールしてくる人は多いなと思う。
年収とか学歴、大企業勤めとか…。
そういうのも含めると、人はそうアピールすることで、突き詰めると「自分は必要とされる人間なので排除しないでください」と訴えているのかもしれないな、と思った。
人間が人間らしく生きられるようになったのは、本当につい最近のことなのかもしれない。
(それでもまだまだ不完全だけれど)
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