メタ認知 Metacognition
何かを学んでいるとき、自分の体の状態にどれぐらい注意を支払えているだろうか?
例えば、学習意欲が萎えて学習をやめてしまうとしたら、それには相応の原因や兆候があるはずである。そうであれば、その兆しを自覚(=自分の認知の状態を認知する=メタ認知)して、原因を軽減するような方向転換をおこなうことが重要である。なぜならば、そうすれば学習意欲はキープされ、飽きや退屈さを迂回しながら、学習を継続できるはずだからだ。
まず、学習意欲は実際には学びの結果(理解の手応え)と連動しがちである。すなわち、仮に問題を間違え続けるなどして学びの結果 outcome が悪ければ、学習意欲は下がり、ひとたび学習意欲が下がれば、学びもおざなりになって結果がさらに下がるという悪循環を招く。だから、理解可能な comprehensive 難度の適切な教材を選ばなければ、学びの達成が低下するばかりでなく、また次も学びたいという意欲まで失ってしまいかねない。
次に、仮に教材の難度が適切だとしても、教材の内部にも詳細さの濃淡があり、あなたにとって直観的でない配列の可能性もある。もしそうだとすれば、今たまたま目を通している部分のテキストの説明や描写が詳細過ぎて、それに自分が圧倒 overwhelming されてないかどうか、自分自身をモニターしたほうがよい。なぜならば、退屈を感じるとき、文字を目で追っているだけになったとき、内容に興味の減退を感じたとき、眠くなったとき、音楽を流しながらやりたくなったとき、それらは学びがうまくいっておらず、そのために勉強が単なる作業になっているばかりか、苦痛を伴う作業にもなっている身体からのサインだからである。もし何も対策をせずにその状態を継続するなら、意欲は萎え、学習は後味の悪いかたちで途絶えてしまうだろう。
ではどうするかといえば、そうなったときは、興味があるところ、既存の知識と関連づけられそうなところ、既知のフレーズや単語に出会うまで、スキップしたほうがいい。例えば、文章ならページを飛ばす、動画なら早く送りではなくシークバーを左から右に動かすなどである。そこから、なぜこの既知のフレーズがここにあるのだろう?とかこの単語は知っていたがこういう文脈で使われることもあると認識し始めれば、いったんはスキップしたところも次第にわかるようになる可能性がある。知識はお互いにつながっているものだから、必ずしも自分にとって理解しにくいところから手を付ける必要はない。難しいところは迂回してから、自分が既に知ったことを組合せて十分な準備ができたところで、改めて攻略すればよいのだ。
とはいえ、もし、どこに飛んでもそのような糸口に出会えそうもなく、すべてが退屈に感じるときはどうしたらいいのか。そういうときは、おそらく身体が疲れ切っている。だから、むしろ眠ってしまったほうがいい。起きて頭がハッキリした後に、教材を変更してみたり、なぜこの内容を学習したいのかを自分自身に問いかけ直し、それを紙に書き出して整理整頓してみる方がきっと有益だろう。
テキストを読むにせよ、レクチャーを受けるにせよ、座学で問題演習や調べ学習をするにせよ、それを継続しているときの自分の状態にもときどき注意を支払って、息切れせずに学習を継続したり、あるいは休憩を入れるなど意図的にできるようになると、もっと効率がよく手応えのある学習を達成し続けられるようになるだろう。
(1,419字、2024.07.21)
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