マガジンのカバー画像

花に嵐の映画もあるぞ(邦画編)。

250
わたしの好きな映画を、「褒めること」意識してつらつら書いていきます。 取り上げる映画は、時にニッチだったり、一昔前だったりしますが、 そこは「古いやつでござんす」と許して、ご容赦…
運営しているクリエイター

#邦画

橋口亮輔監督、新作を待ってます。映画「恋人たち」。

じっさいゲイの作家である橋口亮輔が2015年に監督した映画「恋人たち」。自分に興味を持たない夫や反りが合わない姑と生活するパート主婦、ゲイの男性弁護士、妻を通り魔に殺害された男、オーディションで選ばれたこの3人の苦しみを描いたドラマ。 素材はある意味、2023年に上映された是枝裕和×坂元裕二の話題作「怪物」に似通っているが、当事者である分、ゲイとしての苦しみの描き方は、本作の方が、より真に迫っている様に思える。 高架道路の真下を流れる運河、殺風景な部屋、我関せずと決め込むお

世界はディーン・フジオカのため、だけにある。映画「結婚」。

2015年の連続テレビ小説「あさが来た」の五代友厚役で大ブレイクしたディーン・フジオカ。その色男ぶりにますますの磨きがかかって、2017年に主演した映画「結婚」より。 テーマは一応「結婚は女を幸せにするのか?」らしいが、騙された方の言い分をなぞっているだけなので、脇においておこう。本作は、「ディーン・フジオカ」というスターに酔いしれるために作られた映画である。だから、監督も彼に惚れ込んだ人間がつとめているのだ。 フジオカがわれわれに向かってくる。ある時は狭い路地を抜けて、

深作欣二監督「脅迫(おどし)」_凶悪犯との四十八時間。恐怖と暴走。

生涯に62本の映画を撮った深作欣二監督にとって、1966年公開、11作目の作品。この時点で既に、1973年の28作目「仁義なき戦い」の萌芽が見えている:男だけのざわざわとした確執と抗争の混沌の世界。 言ってみれば「日本のペキンパー」が作った「わらの犬」だ。 ある日突然、凶悪脱獄囚という闖入者に見舞われたとしたら、そして脅迫されながら幼児誘拐の片棒を担がされたとしたら……。 恐怖と戦いながら凶悪犯の手先にならざるを得なくなった男の四十八時間をドキュメンタリータッチで描破。深作

邦画「南極料理人」_全てが凍りつく世界で、もの食う人々。

おうちじかんにふさわしい「食」の映画を紹介しよう。 閉ざされた銀世界の中でもの食う日本人たちのものがたりだ。 冬の南極。そこは見渡すかぎりのすべてが氷河時代の形容のみ、空は氷の瀑布、吹きよせる漂雪に覆われ、地面は、見るかぎり白一色に結晶し、白金プラチナよりも堅く厳めしい大氷原がどこまでも続いている。いちめん真白の銀世界。 色彩といえば、ドームふじ基地の外装か、南極観測隊員たちの防寒着ぐらいなものだ。 そんな「南極の様に見える風景」を求めて、本作は真冬の北海道で大胆にもロケ

直進行軍、硫黄島、藤岡弘、しっちゃかめっちゃかなグループ・サウンズ映画3本立て。

ビートルズの影響を多大に受けた戦後生まれ世代の最初の音楽的挑戦、 若者のみによって支えられた日本発の音楽ムーブメント、それがグループサウンズ。 明朗すぎて、深みがなく、かといって洗練されている訳でもない歌詞。 インスパイア元のビートルズに比べて、遥かにスローでダルダルのメロディー。 数多くのヒットを生んだグループサウンズの曲も、今や記憶に残るのは、ほんのひとかけらだろう。島谷ひろみの(カバーした)「亜麻色の髪の乙女」など。 なお、 ヒット曲を手がけた作家には、 作詞家では橋

熊井啓「地の群れ」_差別、怨念、憎悪。マリアも崩れる日本の映画。

この邦画は、政治の季節の産物だ。 60年代末の日本に潜んでいた、あらゆる差別を告発する。と同時に「差別が憎しみあいを生み出す」構図も告発する。スパイク・リーや同様の烈しさで。 非常にラディカルな複数の題材をテーマに扱っているため、できるだけオブラートに包んで紹介する…そう、および腰にならざるを得ないほど、非常にポリティカルで、痛い映画だ。 だけど、書く。 過去に朝鮮人の少女を妊娠させながら逃げた男、宇南は医者として佐世保で診療所を開いている。その患者に原爆病と思われる少女

終戦後の青空、そして父になる物語ふたつ。「狐のくれた赤ん坊」「東京五人男」。

1945年8月、敗戦を迎えた日本人たちの目の前に広がっていたのは 腹を空かした人間ばかりの侘しい眺めだった。 彼らは、明日もしれない不安の中で、呆然としていた。  夫を兵隊に取られたまま帰ってこない妻にとっては、さらに不安だった。 戦場帰りのお父さん、それも妻を亡くして子供だけを残されたお父さんにとっては、ますます不安な時代だった。 明日への不安にどうしても沈みがちな男たちの気分を晴らすべく? 「元気出せよ!」と喝を入れた、終戦後の混乱に生み落とされた「育児日記」な二つの映

森崎東の「喜劇特出しヒモ天国」_ 振り返るな、ローエンドロー。

「夜の街」の住人たちが、目の敵にされる風潮。この手の住人がケガレを理由に忌み嫌わるのは世の常とはいえ、彼らの生き様にせめて少しは寄り添いたい。 「寅さん」の初期の脚本を山田洋次・宮崎晃と共作した森崎東。 彼が監督した本作では、「夜の街」の住人たち、すなわち ハダカの女性たち、それを支える男たちの、生々しい実態が描かれる。 彼らのささやかな喜びと共に、排斥される悲しみも同時に描いている。  後にも先にもない、70年代ストリップ劇場の実情を描いた、貴重な記録だ。 本作、冒頭か

北の大地の、静かで熱くてじんわりする物語。 ばんえい競馬を描いた「雪に願うこと」。

スタートダッシュで出遅れる どこまでいっても離される の歌詞が印象的な「走れコウタロー」。 いま、全世界非常事態の中で、どれだけこの国は、必死に走っているのか? ところで。 「走れコウタロー」といえば、ばんえい競馬も、変わらず、何とかやっている。 ネット販売による盛況、(予断は許さないが)10年前では考えられなかった。 2006年11月下旬の「ばんえい競馬廃止」 の報道が懐かしい方も、いるだろう。 結果からいえば、世界で唯一といわれ、北海道開拓の歴史のなかで生まれた馬事競

篠田正浩の冷血ハードボイルド「乾いた花」。_不毛な恋に賭け、ボロボロになっていく。

何か良いことはないか。 心の底で渇望し、何かにひたすらのめり込む。 人によってターゲットは異なる。 石原慎太郎原作を生きる主役二人にとって、それは博打だった。 だから詰まるところ本作はヤクザ映画なのだが、誰も刺青を見せない、ひたすら冷血でシャープな作品だ。 この映画の主役は、 色気や、毒といおうか、どこか身を持ち崩すような危うさ持った中年:池部良。 加賀まりこの花札を玩ぶ手つき、声と札束だけが静かに飛び交う賭場。 それだけ。非常にシンプルだ。 物語は池部良のぼやきから始ま

この子を遺して。ふたつの時代、ふたつの親の映画「日本の悲劇」。

「日本の悲劇」とは、 日本に生まれてきたことの悲劇なのか。 何の悲劇なのか。 ひとつ言えるのは、日本の悲劇というものに真っ正面から向かい合えば、自己責任に収斂できない、社会問題と切り結ばずにはいられない ということだ。 今回は、ふたつの時代、ふたりの監督の手による「日本の悲劇」を紹介したい。 どちらも、同時代の生々しい題材をテーマとした、子が親を捨てる物語である点で、共通している。 母のはなし。 木下恵介×田中絹代の「日本の悲劇」(1953)。 戦争が終わって8年後に作ら

イマヘイ監督「豚と軍艦」_豚にふまれて、死んぢまえ!

軽蔑。 「大衆は豚だ」と「男組」の神竜剛次が言い放った頃から、 「豚」という言葉は、他人を軽蔑する時に頻用される様になったと思う。 それがどうした、何だというのだ。 と豚は、豚と呼ばれて、思う。 豚が猪に向って自慢をしました。 「私ぐらい結構な身分はない。食べる事から寝る事まですっかり人間に世話をして貰って、御馳走はイヤと言う程たべるからこんなにふとっている。ひとと喧嘩をしなくてもいいから牙なんぞは入り用がない。私とお前さんとは親類だそうだが、おなじ親類でもこんなに身分が

心震わす歌:歓喜の歌をめぐる二つの邦画「バルトの楽園」と「俺たちの交響楽」。

ベートーベンの第九、歓喜の歌。 それは時代を超えて、人の心を震わす歌。 平時も戦時も変わることなく、人の心を震わす歌。 日本人にとっても心の歌である第九をテーマとしたふたつの映画を、今回は紹介しよう。 1918年6月1日、日本最初の大合唱。「バルトの楽園」。 「第九」をテーマとした名作として、いの一番に思い浮かぶのが本作だろう。 第九の扉が開くとき 軍人は「人間」に帰る。『交響曲第九番 歓喜の歌』それは「苦悩を突き抜けて歓喜へ!」と叫んだ、楽聖ベートーベンの心の雷鳴であ

映画「東海道四谷怪談」_ 罪の意識に極悪人が七転八倒、それだけでユカイ。

世の中には遅咲きの作家、というものがある。 江戸後期を代表する歌舞伎狂言の作者、鶴屋南北(4代目)が、それだ。 日本橋の紺屋職人の子に生まれた南北は、二十歳のとき芝居の作者部屋にはいったが、以後三十年無名下積みの生活を過し、ようやく『天竺徳兵衛韓噺』によってはじめて名を出したとき、彼は数え年五十になっていた。 彼は、『東海道四谷怪談』その他、時空を超越した構想と、爛熟した文化文政の闇の底にうごめく血みどろの人間像の描写で、後世まで人々の魂をとらえる名作を堰を切ったように書き