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この子を遺して。ふたつの時代、ふたつの親の映画「日本の悲劇」。
「日本の悲劇」とは、
日本に生まれてきたことの悲劇なのか。 何の悲劇なのか。
ひとつ言えるのは、日本の悲劇というものに真っ正面から向かい合えば、自己責任に収斂できない、社会問題と切り結ばずにはいられない ということだ。
今回は、ふたつの時代、ふたりの監督の手による「日本の悲劇」を紹介したい。
どちらも、同時代の生々しい題材をテーマとした、子が親を捨てる物語である点で、共通している。
母のはなし。 木下恵介×田中絹代の「日本の悲劇」(1953)。
戦争が終わって8年後に作られた「戦後の悲劇」の代表作とすら言われている、木下恵介作品の中でも一、二を争うほど重い作品だ。
冒頭、題名や出演者よりも前に、戦争終結から8年間の事件や出来事がニュース映画と新聞記事で次々と写し出される。 東京裁判、新憲法発布、国会乱闘、学生のデモ行進、第二十三回メーデー、再軍備反対、傷痍軍人、列車転覆事件、汚職、等々。 「博愛」のことばから程遠い、血生臭い修羅の8年間。
木下恵介の目は、その混沌のなかで生きる一人の母に注がれる。闇米を運び、温泉宿の仲居となって、二人の子供を育て上げた、教養はないが逞しい日本の母。
そして、(一見すると)この母にあまりに薄情すぎる二人の子供にも注がれる。
戦争で夫を亡くした春子は、戦後の貧困の中、生活のために身体を売ったことすらあった。彼女にとっては、我が子ふたりの成長だけが生き甲斐であった。しかし、ふたりは母の過去の商売を知って反発し、何かと反抗的な態度を取るようになっていた……。
スタッフ
監督・脚本:木下惠介
撮影:楠田浩之
音楽:木下忠司
キャスト
望月優子/桂木洋子/田浦正巳/佐田啓二/高橋貞二/上原謙/高杉早苗
松竹DVD倶楽部
戦争で夫を亡くした井上春子(望月優子)は、さまざまな苦労をしながら女手一つで、娘の歌子(桂木洋子)と息子の清一(田浦正巳)を育ててきた。夫が残してくれた焼け跡の土地にバラック小屋を建て、闇屋やあいまい宿(表向きは茶屋や料理屋を装い、娼婦 しようふ を置いて客をとらせる店)の女中など、危ない橋も渡って稼いできた。それも子供たちの成長に望みを託して、のことだった。
だが、義兄の言葉を信用し、土地の一部を貸して、幼い子供たちを預け、みずからは小田原の旅館に働きに出たのが、まちがいの始まりだった。酒屋の権利を取って商売を始めた義兄夫婦は、ことごとに子供たちに厭味を言い、厄介者扱いした。歌子は病で臥せっているところをいとこに襲われ、心に深い傷を負った。
春子の努力の甲斐はあった。娘を洋裁学校と英語教室に、息子を東京の医大に通わることに成功する。我が子に自分の将来の希望を見いだしてきた春子。
しかし、肝心の二人はだれも他人を信じない、母親をさえ邪魔者扱いする人間になっていた。歌子は好きでもない中年の英語教師・赤沢(上原謙)と駆け落ちし、清一は無断で開業医の老夫婦の養子になり、二人とも母親の手の届かないところへ行ってしまう。春子はふたりにもう一度「家族になろう」と説得するも、ふたりは耳を傾けない。
絶望した春子は、湯河原の駅のホームから列車に身を投げる。
以上、母の視点から見れば「子供に裏切られた悲劇」の物語なのだが、
この映画が上手いのは、「母親だけの視点」に偏りすぎていないところだ。
人間不信に陥った子供たちの悲劇も、生々しく描かれている。
母の商売のせいで、貧乏のせいで、学校で後ろ指を刺された姉弟がいる。
酔客相手に戯れている母の姿を見てしまった姉弟がいる。
何より義兄のネグレクトで心の傷を負ってしまった姉弟がいる。(上原謙は心の歪んだ義兄を、実にイヤらしく演じるのだ。)
母親も辛かったが、それ以上に辛い思いをしたのがふたりの子供だ。
「飢えさせたくない」母と、「飢えても母の愛に甘えたかった」姉弟。
(自然、情愛は姉と弟の間で強いものになっている。 母以上に。)
「そこまでして生き抜かなければならなかった」母の思いとは裏腹に
「そこまでして生き抜く必要はあったのか」娘と息子の心。
だから母が卑しいまでに縋っても、母への不信から、子供たちは冷たい態度。
母子の心の断絶。ここに真の悲劇がある。
そしてそれは、自己責任ではない、戦後8年の困窮の時代が「間違いなく」生み出したものであることを、木下恵介は描いているのだ。
さて、同じ題名の映画が、ちょうど60年後に公開された。
題材は(当時マスコミを賑わした)無縁死。年金不正受給。極めてナイーヴな題材で小林政広は「ありえないようで、しかし十分にありうる」寓話を描く。
「これから先、十分に起こりうる」生々しさのある 寓話だ。
父のはなし。 小林政広×仲代達矢の「日本の悲劇」(2013)。
大病を患い余命いくばくもないことを知った父(仲代達矢)は、失業中の上妻子に去られた息子(北村一輝)のために自殺して金を残す事を決意、病院から帰宅後、自室に閉じこもり、断食を始めてしまう。父は自分の死後も死亡届を役所に提出させず、年金を不正受給させようと考えたのだ。
木下恵介とは違い、現実の生々しい題材を導入部以外に持ち込むことはない。
仲代達矢の力量に、リアリズムの全てを賭けている。
時計を打つ音の使い方が、巧い。
子が父にどう呼びかけても、父は返事をしない。 会話は一方通行だ。
父は、沈黙の中、追憶に浸って、死ぬまでの暇をつぶす。
楽しかった過去、辛い過去、それすらすべて掘り起こした後、
虚無だけが残る。仲代達矢の何も見つめない眼差しだけが残る。
迫りくる死の中で、彼は何を考えていたのか?絶対的な孤独が、彼の心を支配しているのが、ありありとわかる。
例によって仲代達矢は最後「死ぬ」のだが
それは「人間の條件」「乱」「鬼龍院花子の一生」はじめとする
名だたる巨匠たちの手によって演出された、華々しい死にざまではない。
ただただ静かに、淡々と、死を迎える。
しかし悲劇的な死だからこそ、真に迫ってくる。
これは、自己責任ではない、バブル崩壊後の社会の歪みが「おそらく」生み出したものであることを、小林政広は描いているのだ。
CAST
仲代達矢 北村一輝 大森暁美 寺島しのぶ
STAFF
■監督:小林政広
■脚本:小林政広
■スタッフ:脚本・監督:小林政広
製作:小林直子 プロデューサー:小林政広
撮影:大木スミオ 照明:祷宮信 録音:福田伸
美術:山崎輝 編集:金子尚樹 助監督:石田和彦
製作:モンキータウンプロダクション
東映ビデオ公式サイトから引用
以上、ふたつの「日本の悲劇」を紹介した。
ふたつとも、タイトルに違わず、ナイーブな題材に果敢に切り込んでいる。
いまでは人を選ぶだろう、白黒映像のエッジ感を、巧みに操っている。
さて、20年代、私たちはどのような「日本の悲劇」を目撃する?
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