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映画「東海道四谷怪談」_ 罪の意識に極悪人が七転八倒、それだけでユカイ。

世の中には遅咲きの作家、というものがある。
江戸後期を代表する歌舞伎狂言の作者、鶴屋南北(4代目)が、それだ。

日本橋の紺屋職人の子に生まれた南北は、二十歳のとき芝居の作者部屋にはいったが、以後三十年無名下積みの生活を過し、ようやく『天竺徳兵衛韓噺』によってはじめて名を出したとき、彼は数え年五十になっていた。
彼は、『東海道四谷怪談』その他、時空を超越した構想と、爛熟した文化文政の闇の底にうごめく血みどろの人間像の描写で、後世まで人々の魂をとらえる名作を堰を切ったように書きつづける。

人間臨終図鑑 より引用

彼の趣向、それは同じく山田風太郎が書いた「八犬傳」(実の世界)において
1825年の江戸中村座での「東海道四谷怪談」初演後の楽屋にお邪魔した滝沢馬琴&葛飾北斎コンビに対し、鶴屋南北が告げる言葉

もし、あたしの怪談がほんとうにこわいなら、そりゃさっき申しましたように、あれが実の世界をかいたものだからでございましょう。あたしはこの浮世は善因悪果、悪因善果の、まるでツジツマのあわない、怪談だらけの世の中だ、と思っておりますんで。
(下巻p72)

が、的確に言い当てているのではないか。

※なお、これに対し、当時「南総里見八犬伝」執筆に四苦八苦していた馬琴は
「ツジツマの合わん浮世だからこそ、ツジツマの合う世界を見せてやるのだ」(下 p72)と、うめく。


ともかく、鶴屋南北の連打した歌舞伎狂言は、頽廃と怪奇の中に毒のある笑いを加味した作風によって、太平かつ腐敗した世の中に飽き飽きしていた(「八犬伝」の様な勧善懲悪など胡散臭いと思ってた)江戸町民たちの喝采を浴びた。


さて、同じ「遅咲き」という点で、世には偶然というものが存在する。
女の裸か、グロか、幽霊が登場すればお客は満足する(と思い込んでる)B・C級映画ばかり(「女体大渦巻」とか「女真珠王の復讐」とかタイトルまで禍々しい)を50年代中期から60年代初頭にかけて量産していた新東宝株式会社が、1959年の夏興行の大作として企画したのが、この「東海道四谷怪談」だった。
監督に指名されたのが、当時54歳の中川信夫だった。

この人、控えめで地味な人柄であったために、B級映画会社に身を置き続け、戦中は中国に行かされるなど、流浪の映画人生を送っていた。
「三四郎」「虞美人草」ほか文芸物から、
「真田十勇士」「家光と彦左」「水戸黄門」ほか時代劇、
「憲兵と幽霊」「亡霊怪猫屋敷」ほかホラーまで
どんなジャンルでも、かっちりこなす。
よく言えば「職人監督」。悪く言えば「便利屋」。
これといった代表作がないまま、気づけば50歳を過ぎていた。
生き方が下手なヒトだ。

彼は、ただ「四谷怪談」を映画化するだけで終わらなかった。当時であれば誰もが知っている四谷怪談のストーリーを斬新な映像表現によって描き出した。
それは血の匂い、妖艶なナンセンス、人の情性の中にうごめく邪悪さ というべきもの。人の心にある血みどろの地獄、といえるもの。
ちょうど高度経済成長の真っ只中。「繁栄」「進歩」といった言葉ばかりが街中を踊る一方で、グロテスクなものを内心で望んでいた人々の心を打った。

なお本作は「嗤う伊右衛門」とは違い、概ね原典の筋書きに忠実だ。

※キャスト・スタッフの詳細は以下を参照!


救えない男、伊右衛門。 救われない女、お岩。

浪人、民谷伊右衛門(演:天知茂)はお岩(演:若杉嘉津子)の父親に婚儀を断られたために、逆上しこれを斬り殺す。そしてその罪をアカの他人のせいにしておいて「仇討ちしてやるから」とお岩をだまして旅に出る。
敵討ちせんということで、お岩の妹であるお袖(演:北沢典子)とお袖の許婚の佐藤与茂七(演:中村竜三郎)も一緒についてくる。お袖に横恋慕していた下男の直助(演:江見俊太郎)は、真犯人が伊右衛門だと知っていたので脅迫、恋のライバルである与茂七を伊右衛門の手で滝壷へ突き落としてもらう。与茂七の代わりに直助が一向に加わって、江戸に向かう。

江戸で浪人生活を送る伊右衛門とお岩は、案の定どんどん貧乏になっていく。
お岩は体調を崩し、赤ん坊はぐずる。伊右衛門は途方にくれてしまう。
ここの貧乏ぶりはうんざりするほど。互いに恨みを募らせていく。

ある日、大商人、伊藤喜兵衛(演:林寛)とその娘、お梅(演:池内淳子)がゴロツキに絡まれているところを助けた伊右衛門に転機が訪れる。お梅が伊右衛門に一目ぼれしてしまうのだ。羽振り良い大旦那の婿養子におさまる機会到来。
直助の吹き込みもあって、伊右衛門は足手まといのお岩を処分することにする。つまり、お岩に毒を盛るのである。

それは面相の変わる毒だった。次のシーンが恐ろしい。
奥の部屋でお岩が化粧をつけ、髪梳きをしている。
お岩の、崩れた面体がクローズアップされる。
そこに髪を梳き、化粧を付けることで、さらに異様な容貌へと変貌していく。

自らの異変によって、お岩は伊右衛門の企みを知ることになる。しかし遅かった:錯乱し、伊右衛門を呪いながら、恨めしや、と息絶える。

お岩の死体は戸板に釘と縄で括りつけ、長屋裏手の隠亡堀に流して、証拠隠滅。
しかしまあ、おぞましい死に方をしたものだ。と伊右衛門は思う。
**
とはいえ、邪魔者はいなくなった。**
伊右衛門はお梅と祝言をあげ、直助はお袖と床をともにすることができる。
そうは問屋が下さない。ここからお岩の逆襲が始まり、伊右衛門は狂気に堕ちていく。


怯える男、伊右衛門。 死して怖がらせる女、お岩。

祝言の日。お梅が着替えのために退出し、伊右衛門は一人で茶を飲み、座っている。さっき人を殺した罪の意識を微塵も感じさせない、けろりとした表情で。
そこへ水音とともに、お岩の「伊右衛門殿、よくもこの私に毒を飲ましたな」という恨み言が聞こえてくる。
ただならぬ気配に、伊右衛門が辺りを伺うと、
天井に戸板に打ち付け られたお岩が張り付いている。
幻はすぐに消える。 気のせいだ、と伊右衛門はホッとする。
お岩は呪いだ。 それで終わるはずがない。

その夜、伊右衛門とお梅が蚊帳を吊った新床の中にいる。
祝言も終わって一息、あとは床を共にし、ねんごろにしよう
とした所で、お梅が、蚊帳の上 に這っている蛇を目撃し、驚いて悲鳴を上げる。
伊右衛門は蛇を蚊帳から落とす。お梅は安堵し寝床に横たわる。
伊右衛門が蚊帳の中に戻って、横たわったお梅に目をやると、お岩が起き上がるように画面下からフレーム・インして出現する。
驚いた伊右衛門は蚊帳の外に躍り出て、蚊帳ごとお岩に斬りかかる。
あとには、惨死したお梅だけが残されている。

お袖と祝言をあげてから、彼女(と、ついでに喜兵衛)を惨殺するまで、たった数分間。さしもの伊右衛門も罪の意識に慄き、自ら瑞正寺に蟄居する。仏門の加護にすがろうとする。(21世期であれば、これは法律事務所になるだろう)
どうして許されるものか。
エキセントリックな映像は、お岩の復讐がすすむとともに、伊右衛門の罪の意識が募ると共にエスカレートし、この瑞正寺で頂点を迎える。


逃げる男、伊右衛門。 逃さない女、お岩。

やはりお袖と一緒に過ごしていたところで、お岩の亡霊が現れ、怯えて家から飛び出した直助が、瑞正寺の伊右衛門のもとに駆け込んで来る。
(他方、お岩はお梅に優しく、ことの真相を告げる。)
この期に及んで直助は「喜兵衛の家から金盗んだでしょ?逃げましょ。」と伊右衛門に毒づく。この言葉に苛ついた伊右衛門は、直助を切り捨てる。 **
刹那、直助を切り捨てた座敷は、切られた後の直助の苦悶の表情に続き、
赤く照らされた座敷の中に出現する「かつてお岩を流した」隠亡堀の光景、
その中に横たわる 戸板の上のお岩、その水の中に倒れこむ直助、
のモンタージュ。
伊右衛門が非現実的な光景に目を疑うが、気づけばもとの座敷に戻っている。
切られた直助が倒れているのみ。
伊右衛門は「全ての元凶である」直助を斬ったことで、お岩殺しの原罪を更に引き寄せてしまった。それは、仏門の加護でも救えないことが、暗示される。
それでも、本堂に駆け込み、すがるように須彌檀へと駆け寄れば、
**須彌檀は彼を拒否するように闇の中へ後退し、彼がお岩に盛った毒薬の包みと同じ色彩の、赤と金の紙片が無数に舞い落ちて来る。

そしてクライマックス、お岩の亡霊に追い詰められ、それでもなお罪から逃れようとする(見苦しい)伊右衛門の狂乱が、凄まじいモンタージュで示される。

子供を抱いたお岩、天からの赤い蚊帳の落下、本堂の暗がりを逃げる伊右衛門、本堂に張られている赤い蚊帳、伊右衛門が倒れ込んだ床に散らばっている無数の戸板、お岩とを打ち付けた戸板の反転、宙を切りつける伊右衛門、無数の戸板の上に転がっているお岩の死 体、戸板の上を這いまわる蛇、落ちて来る赤い蚊帳、赤一色の画面、無数の戸板の上で叫び声を上げる伊右衛門。

畳は沼に変わり、仏壇は目の前から遠ざかり、亡霊は出現する無秩序の世界。
狂乱の中で伊右衛門は最後、「真の仇を知って」瑞正寺に駆け込んできたお袖と(実は生きていた)与茂七にトドメを刺される。
伊右衛門はお岩への謝罪を呟きながら絶命し、それを見届けたお岩の亡霊は元の美しい姿に戻って昇天。 勧善懲悪で映画は終わりだ。 凝縮された全長76分。

罪の意識に極悪人が七転八倒する様を、凄まじいモンタージュで魅せた本作。
「善人の皮を被った悪人、許すまじ」という暗い情念、それを追い詰める暗い喜び。ここにカルマがある。呻きがある。それは、鶴屋南北が、中川信夫が、心の内側に抱え込んでいた情念と(おそらく)一致する。


東海道四谷怪談の物語は、以上の様にして終わるが、作り手の人生は尚も続く。
鶴屋南北はこの後も戯曲を書き続け、当時としては長命の74歳で大往生する。
中川信夫もこの後、数多くの映画、テレビドラマ、果てはウルトラマンレオまで演出を行い、「怪異談 生きてゐる小平次(1982年)」を遺作に79歳で大往生を遂げる。


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ドント・ウォーリー
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