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世界はディーン・フジオカのため、だけにある。映画「結婚」。

2015年の連続テレビ小説「あさが来た」の五代友厚役で大ブレイクしたディーン・フジオカ。その色男ぶりにますますの磨きがかかって、2017年に主演した映画「結婚」より。

年齢も境遇も違う、様々な女たちの心の隙間に入り込み、その色気で翻弄していく結婚詐欺師・古海健児(ディーン・フジオカ)。ある時は小説家、またある時は空間コーディネーターと、次々と姿を変え、結婚詐欺を行っていく。騙された女たちは、ついに古海の相棒・千石るり子(柊子)にたどり着くのだが……。「結婚」という魔物に騙された女たちと、騙した男にうごめく秘密と哀しみ―。彼らが持つ孤独と欲望の行き着く先とは!?そして古海の本当の目的とは!?

filmarksから引用

テーマは一応「結婚は女を幸せにするのか?」らしいが、騙された方の言い分をなぞっているだけなので、脇においておこう。本作は、「ディーン・フジオカ」というスターに酔いしれるために作られた映画である。だから、監督も彼に惚れ込んだ人間がつとめているのだ。

フジオカがわれわれに向かってくる。ある時は狭い路地を抜けて、ある時は川べりを通って、こうつぶやきながら:

この花はいつか自分が枯れるのを知っているのだろうか?

角を曲がり続けるといつかは行き止まりになる。でもそれは今じゃない

小説かといって女を騙している以上、書いてみようと思った。赴くままに書いている。

始まりはいつも楽しい。この世界が始まりだけで出来ていればいいのに。

我々が呟いてもどうってことない台詞が、フジオカのモノローグだと、それは不思議、おシャレに聞こえてくる。

フジオカがわれわれの耳元で囁く。
女たちは忽ち恋に落ちてしまう。普段の仕事では小幸福を求める冴えない女たちが、フジオカと会う段になるとエメラルドグリーンだの真っ赤だの情熱的な色彩に身を包み、夜の街へと繰り出す。
とてもじゃないが「結婚」をただ望むような小市民ではない。それ以上に女たちはフジオカとのロマンスを求めているのだ。その証拠に彼女たちは非常に嫉妬っぽく、騙されたと分かった後でも、彼に何としてでも縋りつこうとする。

フジオカが囁く相手は五人出てくるが、このうち柊子は一番諦めが悪い。「騙された」のを「騙した方が悪い」と取って返して、「もっと女たちを騙して、女たちを幸せにしていきましょ」と言ってのけ、いたずらっぽい微笑みをトレードマークに上手くつきまとう、70年代邦画で言えば桃井かおりのような小悪魔感。フジオカとの間で、軽口を叩きながらの呼吸もぴったり

こんな魅力的な彼女すら放っておいて(劇中時間で言えば30分ほど)、萬田久子演じる有閑マダムに乗り換えるなど、節操なく軽薄に見えるフジオカの遍歴。それもこれもスターであるフジオカがモテるからで、仕方ない。

フジオカのために演出がある。夕暮れの波止場に(ギザついた)青字の明朝体でタイトル:「結婚」が浮かび上がる冒頭部は、昭和松竹映画のよう。
コントラストが強い夜景は昭和日活映画から頂いた様。
50年代にタイムスリップした感覚に襲われるバーが待ち合わせ場所に使われるのも、昭和角川映画または角川春樹監督作品のよう。
つまりこれは、昭和の「スターを見るためだけの」邦画のパターンを、そのまま現代に移し替えた作品なのだ。そう見てみると、最近の邦画らしくない、イヤミなほどキザな演出にも納得がいくのだ。

フジオカが結婚詐欺にこだわっていたのは、母の幻影に悩まされていたため。その幻影を突き放し、ラスト、干潟に生えた電柱を海の向こうの工場地帯へと消えていく。ロケ地はあからさまに江川海岸だ。
フジオカが果てへと立ち去っていく姿を延々とカメラが映し続けるのも、ATG的というか末期大映的というか、よく心得ている演出といえよう。


原作を抜根奪還して、何もかもをフジオカのために捧げた映画に仕立て上げているのが、たまらない。
むろん、あなたがディーン・フジオカの大ファンであれば、の話だが。


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ドント・ウォーリー
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