イマヘイ監督「豚と軍艦」_豚にふまれて、死んぢまえ!
軽蔑。
「大衆は豚だ」と「男組」の神竜剛次が言い放った頃から、
「豚」という言葉は、他人を軽蔑する時に頻用される様になったと思う。
それがどうした、何だというのだ。 と豚は、豚と呼ばれて、思う。
豚が猪に向って自慢をしました。
「私ぐらい結構な身分はない。食べる事から寝る事まですっかり人間に世話をして貰って、御馳走はイヤと言う程たべるからこんなにふとっている。ひとと喧嘩をしなくてもいいから牙なんぞは入り用がない。私とお前さんとは親類だそうだが、おなじ親類でもこんなに身分が違うものか」
「豚と猪」夢野久作・著 青空文庫から引用
映画監督・今村昌平はあぶらぎった男たち・女たちばかりを描き続けた。
「土着」という言葉がこれほど似合う映画監督は、他にいないと思う。
今はもう描くことのできない(技量的・時代的な)ねちっこさに溢れている。
本作は、養豚で一儲け企み、挫折し、自棄になる青年の物語だ。
ここでは、人間様がさいご、家畜=豚と同じ地位に落とし込められる。
水兵相手のキャバレーが立ち並ぶ横須賀ドブ板通り。そこでモグリの売春ハウスを営む日森一家は、当局の取り締まりで根こそぎやられてしまい青息吐息。行き詰った彼らは基地の残飯を使って豚の大量飼育を考えつき、今までハウスの客引きをしていたチンピラ欣太も豚の世話をすることになる。ある日欣太は、日森一家の幹部で胃病持ちの鉄次に流れやくざ・春駒の死体の始末を頼まれ、死体を豚に食わせてしまう。その後、一家の連中が食卓に上がった豚料理を食べていると、肉から金歯が出てきて…。
あらすじを見ての通り、とても要領が良さそうには見えないジャガイモ顔の主人公・欣太(演:長門裕之)が、養豚のシノギでのし上がろうと精を出す。
のし上がろうとするが、おいそれと出所不明の豚を引き取ってくれる所はないし、儲かったら儲かったで、その上澄みを丹波哲郎ほかスマートなヤクザたちがさらってく。
だましたりだまされたり。奪ったり奪われたり。当時、在日米軍基地の街だった横須賀ドブ板通りで、社会の底辺部に生きる人間たちの醜悪な欲望が暴れ回る。
その中で、欣太とその彼女・春子(演:吉村実子)は空回りしつづける。
そして最後、進退極まった主人公は、豚を街の中に放つ。
怒濤の豚の反乱。主人公も、悪いやくざも、みな、踏み潰されてぺしゃんこになる。野暮ったい少年の高笑いだけを残して、映画は終わる。
「わかりやすい」技法であるクロースアップを極限使わないカメラワークで醸す迫力。エネルギッシュな人間どもを、力でねじ伏せるように描く、暴走する猪の様に悪辣に。
惰眠を貪る豚は、豚のままではいられない。 いつかは、解体される。
猪はこれを聞くと笑いました。
「人間と言うものはただでいつまでも御馳走を食わせて置くような親切なものじゃないよ。ひとの厄介になって威張るものは今にきっと罰が当るから見ておいで」
猪の言った事はとうとう本当になりました。豚は間もなく人間に殺されて食われてしまいました。
「豚と猪」夢野久作・著 青空文庫から引用
※本記事の画像はCriterion公式サイトから引用しました。