終戦後の青空、そして父になる物語ふたつ。「狐のくれた赤ん坊」「東京五人男」。
1945年8月、敗戦を迎えた日本人たちの目の前に広がっていたのは
腹を空かした人間ばかりの侘しい眺めだった。
彼らは、明日もしれない不安の中で、呆然としていた。
夫を兵隊に取られたまま帰ってこない妻にとっては、さらに不安だった。
戦場帰りのお父さん、それも妻を亡くして子供だけを残されたお父さんにとっては、ますます不安な時代だった。
明日への不安にどうしても沈みがちな男たちの気分を晴らすべく?
「元気出せよ!」と喝を入れた、終戦後の混乱に生み落とされた「育児日記」な二つの映画を、今回は紹介したい。
気骨あるカツドウヤたちが乏しい資源の中で作り上げたペーソスと脳天気さ。
先行き不透明な時代だからこそ、何か、訴えかけてくるものがあるはずだ。
父が我が子に贈る言葉。 「狐のくれた赤ん坊」
1945年11月に大映系で公開された「チャンバラのない」時代劇映画。
お父さんを演じるのが、「雄呂血」の時代劇スター 阪東妻三郎、
息子を演じたのが津川雅彦である。
GHQにチャンバラを禁止された占領時の日本映画界が生んだ人情時代劇。
なかでも傑作の呼び声が高い作品。
大井川金谷の宿に酒と喧嘩に滅法強い寅八という男がいた。
ある夜、街道筋に悪狐が出没するというので、退治に出かけた寅八は、そこで捨て子の赤ん坊を見つける。
意地もあって「この子は俺が育ててみせる」と大見得を切る寅八。
年月が過ぎ、善太と名づけられた赤ん坊は7歳になった。
仲睦まじく親子のように暮らす二人だったが、やがて善太の意外な出生の秘密が明らかになる…
キャスト
寅八 阪東妻三郎
おとき 橘公子
辰 羅門光三郎
六助 寺島貢
太平 谷讓二
丑五郎 光岡龍三郎
蜂左衛門 見明凡太朗
七歳の善太 沢村マサヒコ(津川雅彦)
甚兵衛 藤川準
久右衛門 水野浩
松屋容齋 原健作
笹井正庵 阪東太郎
鎌田大学 荒木忍
齋田金十郎 津島慶一郎
勝谷英之進 原聖四郎
三歳の善太 原タケシ
賀太野山 阿部九洲男
角川映画公式サイト から引用
東海道の宿場町、金谷は大井川西の川縁にあった。金谷の川越人足、寅八は酒を飲んではケンカを繰り返す乱暴者。しかし筋骨隆々とは言えない、栄養不足で痩せた阪妻のハダカが、江戸時代の平民といった感があって、却ってリアルだ。
今日も飲み屋で商売敵:馬方人足と激しいケンカをしている。店の看板娘、おときがケンカを止めたところに、寅八の弟分が「狐にやられた」と駆け込んでくる。この街道筋には狐が出て悪さをする、という噂があった。 無鉄砲の寅八、狐退治に単身出陣する。
他の者たちは「狐を生け捕りにして帰るから待っていろ」と寅八に言われ、寅八の家に集まっていた…のだが、寅八はスヤスヤと寝息をたてて眠る赤ん坊を連れて帰ってきた。寅八は「狐が赤ん坊に化けやがった」と言うが、朝まで待っても一向に狐は正体を現さない。
どうやらこれは本当に人間の赤ん坊らしい、と寅八も仲間たちも気が付いた。
この子をいまさら捨てるわけにもいかず、育てる羽目になる寅八。
「あの乱暴者が子供を育てられるのか?」さすがに周囲も心配し、質屋の大黒屋に養子先を探してくれるように頼む。
このことを知った寅八は、大黒屋に養子話を断りに行く。
大黒屋は、意地だけで子供は育てられないと諭し、親には子供のために自分を犠牲にする情愛が必要。酒、サイコロ遊び、ケンカを、お前はやめられるか?と問いかける。
寅八は反発して、「意地だけで育ててみせらい!」とタンカを切る。
かくて落語の「芝浜」よろしく、博打も喧嘩も酒も絶った寅八。
初めての育児に戸惑い、時にスネそうになったが、それも慣れて、立派な親バカに成長する。
例えば…善太が高熱を発して寝込んだことがあった。何ぶんにも江戸の頃だ、大病は命取り。町医者に見せても、匙を投げられるだけ。人足の親方から「京の名医がちょっと前に川を渡った」と聞く:やいなや寅八は、家を飛び出す。
褌一丁で街道を走り、名医の後を追う。目を剥きだし、口をへの字に結んで、汗を拭いもせず、全力疾走する。貧相なハダカが逞しく、美しい。必死な思いに、寅八が気づかぬうちに、思わず涙が溢れる。
その熱意に、名医もうたれる。 名医の治療で、善太は一命をとりとめた。
寅八が人間として成長していく姿に、周囲もまた惚れ込んでいく。川越人足の仲間たちはもとより、ライバルである馬方人足、大黒屋、果ては、娘を寅八の婿に遣ることを渋っていたおときの親父まで、寅八を好きになっていく。
善太はすくすくと成長する。頭の悪い寅八とは対照的に、次第に目をひく利発さを見せるようになり、寅八は有頂天。
しかしある日、善太の吹いた法螺のとおり、「お迎え」が来てしまう。
要は、善太は「とあるお殿様の隠し子」だったのだ。お家の分裂を防ぐためこっそり捨てられた。しかし本来家を継ぐはずの若君が早世したため、代わりに後継として迎えたい、と。(年に一度、金谷の宿を訪れては、善太にお土産に力士人形を渡していた力士・賀太野山がキーパーソンだ:彼は、お目付役なのだ。)
ここからのあらすじは省くが、突然の別れを前にして、初めて起こった感情に突き動かされ怒り泣き咽び暴れる寅八が葛藤する様が、いじらしい。
そうこう言っている間に、善太の出立の日が来る。
日ごろの寅八の子煩悩ぶりを知る川越人足たちは、さぞ辛かろうと、みな泣く。
しかし当の寅八は善太の出立を明るく祝おう、と呼びかける。
善太は用意された蓮台を拒否し、「ちゃんの肩車がいい」とリクエストする。 そう、寅八は人足なのだ。
かくて大大名の行列の先頭に立って、寅八と善太は大井川を渡る。
善太を肩車した寅八、痩せた身体ながら、堂々とした歩み。
晴れやかな笑顔で、善太に対し、父は最後のメッセージを贈る。
「殿様になっても領民のみんなに優しくするんだぞ。」
父が我が子と歌う唄。 「東京五人男」。
1946年の正月映画として東宝系で公開された喜劇映画。
製作・原作は黒澤明 初期作品のプロデューサーを務めた本木荘二郎。
お父さんを演じるのが、「悲食記」の喜劇俳優 古川緑波だ。
特殊技術 ................ 円谷英一
配役
古川六郎 ................ 古川緑波
横山辰五郎 ................ 横山エンタツ
藤木阿茶古 ................ 花菱アチャコ
石田松男 ................ 石田一松
北村権太 ................ 柳家権太楼
日本映画データベース から引用
横山、藤木、古川、北村、石田の五人は徴用工として、東京から遠い軍需工場で働いていたが、終戦と共に焦土と化した東京へ帰って来る。
五人の男は互いに力を合わせ東京復興に努力しようと誓い、前の職場へ帰って行く。横山と藤木は東京都電の運転手と車掌に。石田は食糧配給所へ。北村は国民酒場へ。古川は妻を亡くし子供一人だけの失業者だ。
日本人にとって未曾有の異常事態、敗戦体験後、初の正月映画 ということで
社会風刺の方面も、笑いの方面も、大いに発奮している。
満員すし詰めの買い出し列車の場面とか、
勲章ぶら下げたモーニング姿で肥桶担ぐ意気揚々の闇成金の農民とか。
食糧配給所と国民酒場では、銭ゲバたちによる中間搾取も横行している。
戦後闇市の風俗も興味深いが、
いちばん重要なのは、終戦を生きる、憂きが中でも楽しい暮らしぶりだ。
特に良いのは、古川の悲惨すぎて笑える境遇だろう。
薬屋であるが売るべき薬は一つもない。妻を失ったヤモメの彼は疎開中の唯一人の子供のために買出しに出かけ、自分の衣服までも脱いで、我が子のため食料を持ってゆくのである。
そんな悲惨極まりない父を、息子は慕う。慕うからこそ、一緒に過ごし、貧乏を分かち合う。
そんな彼らに唯一残されたあばら屋も、洪水によってドドッと流される。
暴風雨によるこの洪水場面は、特撮担当の円谷英二の手によるものである:後のゴジラにおける大戸島の暴風雨の場面を思い起こさせるはげしさ。
元の場所にただ一つ残ったのは、ドラム缶の風呂だけ。
それでも彼は、缶に水を入れ、火を炊いて、湯を沸かし、息子とともに
殿さまでも、おいらでも、風呂に入るときゃ、みな裸
歌のひとつも浮かれ出る
とドラム缶の風呂に浸かりながら歌うのだ。ここの能天気ぶり、ロッパの歌声の洒脱さと相まって、実にステキな瞬間だ。
他方、他4名は、闇物資横流し商人を、嵐のどさくさに紛れ、とっちめにいく。
台風一過の朝:横山、藤木、北村、石田の4人は「ヤミを止めよう、清く正しく生きよう!」と市井の人々に訴えかける。これから新しい時代が来る!そう信じる古川と息子の顔も晴れやかだ。
高らかに労働歌を歌う、高揚とした労働者の行進をラストカットに、映画は終わる。
はたして数年後、以後の日本映画産業に多大な影響を与える東宝争議が起こる。ここに、本木荘二郎も、かの黒澤明も、巻き込まれる羽目になる。
なお、紹介しておきながら難ですが
ソフト化はされていないため、各所の特集上映でご覧ください。
いかがだろうか。
方や飲んだくれの乱暴者、方やまるぶち眼鏡の失業者
共にあるのは、おおよそ立派なものじゃないが
それでもなお、立派な父親であろうとする、気高い心だ。
機会があれば、ぜひご覧いただければ、と思う。