意外と、自分の「こころの声」には無関心
パニック障害になり、自分が一番「自分」を知らなかったことに気づいたんです。
「今、何をしたい?」って質問しても、「分かんない」しか答えられない自分がいました。
不思議ですよね。自分のことなのに。
昔から、欲があまりありませんでした。何が欲しいとか言われても、「なんでも」って言っちゃう感じ。
無欲なのは、柔軟性があって良いことだ。そんな気持ちでいたので、特に不便にも思っていませんでした。
のらりくらりと生きていたような感じでしょうか。
でも……
いざパニック障害になった時、私は混乱しました。だって、別に何かくよくよと不満を考えていたわけでもなかったのですから。悩んだりする性格でもないのに……と。
ある日、今後の知識のためにと何気なく読んだある本が、私の考え方を変えてくれました。
『「言葉にできる」は武器になる』
梅田悟司 2019/4/9 日本経済新聞出版社
この本の中には「内なる声」という言葉が随所に出てきます。
「内なる声」すなわち、自分の心の声のことです。
楽しいことが起きた時、何を感じているのか。
「楽しい」「嬉しい」とひとくくりの言葉にせず、具体的に頭の中に出てきた複雑な言葉を認識する。文章力向上を目的に読んだ本なのですが、内なる心の声に耳を傾け、把握する大切さを詠っていました。
そこで、今自分はどう思ったのか、どういう気分あのか。そういった、自分の言葉を聞いてみるチャレンジを、本を読んだ機会に初めて行いました。
ここで、私は気づきます。
「自分が何を考えているのかさっぱり分からない」と。
「つらい」という言葉。今まで何となくつらいと思っていたけれど、具体的な言葉にしたことがありませんでした。だから、何がつらかったのか、何を当時考えていたのか、もやがかかったように分からない事態が発生しました。
これまでは自分の感情に蓋をしていたのでしょう。おおざっぱに感じることで、分かったフリをしていて、自分と全く向き合っていなかったようなのです。
「しんどい」
でも何についてしんどいのかは分かりません。
「すごい」
何がすごかったのか分かりません。
自分を知らなくて、具体的な言葉を無視をし続けたことによって、初めて自分を苦しめていたことに気付きました。
他人の顔色は窺うのに、自分の顔色は一切窺わない。
目から鱗とはこういうことを言うのでしょうね。
この本に出会い、私はやっと自分の心の内なる声に耳を傾けるようになりました。
まだまだ分からないことの方が沢山。
でも、少しずつだけど以前よりは聴こえている気もしています。
ちょっとずつ。ちょっとずつ。
「やっと、気付いてくれたのね」
そんな自分の声が聴こえてきたように思います。