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ただのエッセイ

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2024年9月の記事一覧

何故「狐の国のアリス」をNFTとして出したのかを説明したい。

何故「狐の国のアリス」をNFTとして出したのかを説明したい。

まえがき
私は、NFTが流行り始めた当時17歳(高校2年生)の頃から20歳(大学2年生)の今になるまで
何だかんだNFTを売り続けています。

その中で
①これまでに見てきた「NFTはパチンコ台の大量供給である」といった話を見て、これは確かにそうかもしれないと思ったこと。
NFT界(あくまでも全体平均)の「アート性」の低さへの失望など。
②そして現状としてあまりにも「NFTを買うよ詐欺」が多すぎた

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自分を大切にできる人にしか他人を大切にできない。
自分を大切にできる人は自分を幸せにできるし、他人も幸せにできる。

「根は悪い人じゃない」は様々な災いを引き起こす。
大概の殺人犯も窃盗犯も非行少年も「根は悪い人」じゃ無いだろう?

誰がピンク色を着ても良いし、それを批判することを正当化する理論は存在し得ない。
ピンク色を着る者を批判するなんて、ただ羨ましいだけだろうに。
その自由を羨むなら己も自由になればいいだけ。その方が生産的。
なのにそれをしない、臆病だからだ。
何故臆病なのか?自尊心が欠けているから。

逆張りという無自我。
認知的不協和によって生じた不快感のため反射的に「誤った手段」そのものを正当化したり、原因を悪魔化することで「違法的行為」を根本から肯定するといった行為を是としてはならないと思う。
それが色んな悲劇を生む。
顔造形が気色悪ければ殺されて当然だと、そう言うの??

荒波を立てない、和を乱さない、そんなことを良しとしないでほしい。
非生産的であまりにも無責任。
法に照らし合わせて、それが間違っているなら間違っていると言う勇気が必要。なのに誰も持っていない。
その空気感を打ち壊すことさえ怖がって何もしない。それが多くの悲劇を生みつづけるのに。

自尊心に満ちていない。これが問題。
自分の権利を侵害されることが不当である認識を多くの人間が持っていない。だから、法律という既にあるルールを無視して根拠のない非生産的なルールもどきでお互いを縛り続ける。
本質を無視し、何もしないことを正当化し、行動する者を冷笑する。
不幸になる。

責任を持つことを恐れることほど非生産的・反クリエイティブな行いも無い。

最近考える、「創造性」の答え。
それは、一般や定説とは異なった選択をするという勇気。
それが"本心であるならば"そうするべきだということ。
才能なんて存在しない。
才能と片付けられるもの、それは異を恐れぬ者になろうという勇気を出さぬ者のための欺瞞であり怠惰であり、まやかしだ。

勇気の元となるもの、それこそ自尊心だと思う。
自分の最近の主張の根拠はこの話に繋がる。
何故恐れるのか?それは自己存在そのものに自信が無いからでは無いのだろうか。
己を信じないならば独創性は生まれない。
適切な生活を以て少しずつ肯定していけると考える。
それが健全な創造に繋がる。

「よく分からないもの」を描くという勇気。写実画に於いても、抽象画やシュールレアリスムや印象派、全ての表現技法に共通のコツ。
「よく分からなさ」に向き合い、「よく分からない」まま受け入れたり表出できるかどうかが鍵だ。そう思った。

「誕生日じゃない日」を祝うという生き方、ある種の積極的ニヒリズム。これは自由や喜びのヒントだと思っている。
誕生日ではない日を勝手に祝ってたのしんでお茶会を開けば良い。そうすれば364日も「誕生日じゃない日のパーティー」が開ける。
ふしぎの国のアリスに学ぶ、ナンセンスという幸せ。