【漫画】『源氏物語』ってどんな話? ー 夕顔の物語における源氏の悲しみと紫式部の皮肉 ー
古典シリーズ第7弾!『源氏物語』より夕顔のお話です。
このとき夕顔の暮らしていた五条のあたりは庶民が暮らす下町風の町で、身分の高い源氏にとっては物珍しいところです。
源氏は、その住まいから判断して夕顔を「下の品の女だろう」と思うのですが、素性を隠し、牛車も使わず、わざと粗末な格好をしてまで彼女のもとに通い続けます。
夕顔を「自分にふさわしくない身分の女だ」と考え世間の目を気にしながら、それでも彼女を自宅に迎えようと考えるほど、この“非日常の恋“にはまってしまう。その様子はまさに惑溺といってよいほどです。
それほどまでに源氏を夢中にさせた夕顔という女性は、彼にとってどんな存在だったのでしょう?
夕顔の死と源氏の悲しみ
夕顔が突然死んでしまってからの源氏の悲しみは悲痛なほどです。
“なにがしの院“で一日を過ごした2人ですが、夜半に突如もののけが現れ(※このもののけの正体は六条の御息所だとよく言われますが、原文では正体不明の女となっています)、源氏が廊下に人を呼びに出て戻ってくると、夕顔はもう息をしていないという、なんともあっけない死に様です。
源氏は悲しさと不気味さでどうしたらいいかわからず、従者で乳母子の惟光が駆けつけてくれるのをひたすら待ちます。待っている間にも、こんな寂しい所に夕顔を連れてきてしまったことへの後悔の念が押し寄せたまらない気持ちになりますが、一方で「藤壺(源氏の義理の母)との禁断の恋の報いだろうか」と怯えたり、「このことが噂になったら父・桐壺帝をはじめ世間の人々になんと言われるだろう」と今後の自分を案じたりもする。それでも気丈に振る舞い、泣きわめく右近を一生懸命に慰める源氏は、やさしいようにも哀れなようにも見えるでしょう。
夜明け近くになってようやく惟光が参上すると、源氏はほっと安堵すると同時に深い悲しみがわいてきて、とめどなく泣いてしまいます。
大人のように振る舞ってはいても、彼もまだ17歳の少年なのだと思い出させてくれる瞬間です。
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惟光も源氏とそう年は変わらないはずですが、さすがにおぼっちゃまとは違い、てきぱきと差配していきます。惟光の知り合いの尼が東山にいるので、そこに遺体を運ぼうというのです。
牛車に乗せて運ぶため、惟光が遺体を筵で巻くのですが、遠慮もあってきつく巻くようなことはできない。そのため筵の隙間からがこぼれ出てしまった夕顔の髪を見て、源氏は目のくらむほどの悲しみを覚えます。彼は自分も葬儀に臨みたいと言うのですが、惟光に止められてしまいます。
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そもそも、帝の息子という高貴な立場の源氏にとって、五条の家に住む女のもとに通うのは褒められた行為ではありません。ましてその女がもののけに殺され、しかもその場所は(今は使われていないとはいえ)皇室御領だったというのは、恰好の噂のタネになるでしょう。
当時の人々は今よりずっと身分や立場を重んじており、政治の世界も、狭い範囲の複雑な人間関係の中で動いていました。
上流貴族としての立場にふさわしくない振る舞いが目立てば、それを理由に仕事を追われるということもあり得ましたし、源氏の場合は特に、自身の振る舞い次第で父である天皇の立場も、その妻である(源氏の愛する)藤壺の女御の立場も危うくなる可能性すらあったのです。
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一度は自宅に帰った源氏ですが、それでもやはり最後に一目夕顔を見たいと無理を言って出かけていきます。一目を避けるため、また粗末な姿に変装し牛車ではなく馬に乗って行くのです。
加茂川を通るあたりでは前駆の者の松明の向こうに鳥辺野が見え、辿り着いた東山のあたりも「凄い気のする所」でした。夕顔の火葬を見送ったあとの帰りの道のりは辛いもので、朝霧が立ち込める中、源氏はしっかりと馬に乗ることもできず落馬してしまうのです。
やっとのことで自宅に帰った源氏ですが、そのまま病いに伏し衰弱してしまいます。
そのまま20日余り重い状態がつづきますが、その後は徐々に回復し、夕顔の忌中が明けるのと同じ頃、ようやく帝のもとへ出仕します。このとき源氏はまるで別世界にでも生き返ったかのようだと感じたということです。
紫式部による構成の皮肉
葬儀の具体的な描写や源氏の悲痛なまでの嘆きぶりは非常にリアルで、息もつまるようです。
紫式部は『源氏物語』を書くまでに、少なくとも母、姉、夫の3人を亡くしているので、そのことを思い出しながら筆を進めたのかもしれません。
…ところがですね、源氏の悲しみを思いやりながら物語を読んでいると、次のページでは空蝉の物語がはじまります。そこでは夕顔の死のショックで病いに伏している間、源氏は空蝉や軒端の荻といった別の女性たちと文のやりとりをしていたことが判明するのです…!
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思い返せば、そもそも夕顔との出会いのきっかけは、病気の乳母(惟光の母)のお見舞いに行ったことでした。
源氏が乳母に親身になって優しい言葉をかけ、乳母もそのありがたさに感激するという涙なみだのシーンです。
しかし、物語全体を見れば乳母の見舞いは源氏が夕顔に出会うための布石でしかありません。さらにいえば、源氏が乳母の家に行ったのも、恋人である六条御息所のもとへ通うついででした。
よくよく読むと、見舞いに同席していた乳母の子どもたち(つまり惟光の兄妹)は、母の態度をみっともなく思ったりとやや冷めた目で見ている様子もあり…
こうしたことからこの「感動の場面」は、源氏の多情な性格を表すための紫式部の”皮肉“とも取れるのではないでしょうか。
そもそも第4帖「夕顔」は、夕顔の物語とともに、空蝉の物語や六条の御息所のエピソードが交互に並べられており…こうした構成からも、作者・紫式部の源氏に対する冷ややかな目線を感じるのです。
源氏にとって夕顔はどういう存在だったのか? - 自由な気持ちを与えてくれた
では、源氏にとって夕顔は、大勢の恋人の一人にしか過ぎなかったのかというとそうではなく、やはり特別な想いがあったようです。
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12歳で成人して以来源氏は、正妻・葵の上や、恋人・六条の御息所とつきあってきました。
この2人はいずれも上流階級の女性で、容姿も教養も申し分のない「上の品」の女です。まさに源氏ふさわしいお相手だといえるのですが、源氏はこの2人との付き合いに堅苦しさを感じ、打ち解けきれずにおりました。
けれど、葵の上の実家・左大臣家は源氏の大事な後ろ盾で、六条御息所は亡き東宮の妻だった人。仲が上手くいかないからといってぞんざいに扱うわけにもいきません。
上流階級の女性との恋愛は、貴族社会の利害関係と決して無関係ではなかったのです。
その点夕顔は当初から貴族社会の枠から外れた女性でした。
しかもその性格は、驚くほどやわらか!
『源氏物語』では夕顔は「気楽で自由な気持ちを与えてくれた恋人」と書かれており…彼にとって夕顔は、身分も立場も忘れて心の底から楽しめる相手だったのでしょう。
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残念ながら源氏と夕顔の“身分違いの恋“は成就しませんでしたが、源氏は夕顔が与えてくれた自由な気持ちを忘れませんでした。
この後の物語で源氏は、葵の上、六条の御息所、朝顔の姫君など彼に"ふさわしい"身分の女性とは別れていきます。
そして後ろ盾のない女性や身分のともなわない女性など、源氏と釣り合いの取れない立場の女性を「妻」として選んでいくのです。
こうして源氏は六条院に桃源郷ともいえる町を築き、優雅に暮らします。源氏にとって身分にとらわれない自由な恋愛は、貴族社会からの解放ともいえるでしょう。
その解放的な気持ちを最初に教えてくれたのが、夕顔だったのです。
【参考】
瀬戸内寂聴(2008)『寂聴源氏塾』集英社文庫
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