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起立性調節障害

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起立性調節障害と言っても症状の重さは人それぞれ。時期によっても良い時と悪い時があるようです。親はこれまでの常識を捨てて子供にストレスを与えない。黙って見守り寄り添うしかない。
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娘、共通テスト受けられました。

娘、共通テスト受けられました。

中学2年の夏に起立性調節障害と診断を受け学校へ行きたくても行けなかった娘もなんとか試験会場へ行くことができました。午前中に体を起こすことすら難しかったあの頃から考えると本当に無事に試験会場へ行けたことだけでも喜ばしいことです。

ここ1年はこれまで学校へ行って勉強できなかった分を取り戻すべく自分で出来るだけのことをして頑張っていました。

3教科とはいえこれまで1日中座ることすら厳しかったので、体

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サポート校の担当者の古い価値観

女性が四年制大学へいき理系学部で学ぶということ。

私が高校生だったのはバブルも終わりになりかけていたくらいの頃なのだが、バブルだったことも影響しているのか周りの大人たちもどちらかというと女性も大学へ行き学ぶ意味があると思っている人が多くそういう環境で育ってきたから関西在住でありながら浪人して東京の大学を目指した。結果として東京の大学には手が届かず関西の大学に通う事となった。女子で浪人することもそ

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捨てる神あれば拾う神あり

捨てる神あれば拾う神あり

このコロナ禍で娘はコロナが落ち着いてもサポート校へは行かないと言い出しこのところ対応に追われていました。

ゆっくり詳しく話を聞いていくと、そもそも気の合いそうな子を休み時間などで紹介するから友達もできるし授業は個別だから受験勉強も大丈夫と言われそれを信じ今通っているサポート校を選んだ。そして1年間週に2回夕方からとはいえ、しんどくて動き辛いときも通っていたのに友達どころか知り合いすら出来なかった

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健康に良い食べ物は人それぞれ

健康に良い食べ物は人それぞれ

起立性調節障害になって病院で言われたのが「水分と塩分を積極的にとるように。インスタントラーメンやポテトチップも良いですよ。」

私が健康に悪いと思っていたものが全て娘には健康に必要なものだった。そう言えば私はだしで味付けしてあまり醤油や塩を多く入れないようにしていた。薄味、塩分控えめ、インスタントやポテチの油は身体に良くない、インスタントよりは手料理と一般的に言われていることをそのまま食生活に反映

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離婚を振り返ってみた

離婚を振り返ってみた

思えば最初から我慢していたのかな新しい生活が始まる頃、電化製品、家具など一緒に買い物していても私の買いたい物というよりは自分の買いたい物を買っていた。私はそこまでこだわりはないものの、好きな雰囲気とかあったけどあまり聞いてはもらってなかった。もともと小さなことでケンカするのはイヤだからまぁいいかとやり過ごしていた。

アレ?ちがう?えっ?生活が始まりアレ?と思うこともたくさんあった。でも、♪育って

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娘、編入学を悩む。

娘、編入学を悩む。

娘は現在通信制高校とサポート校に行っています。サポート校に入る前に勉強は個別の授業だけれど気の合いそうな友達を紹介したりすると聞いていた。起立性調節障害で体調が悪いこともあり週に一回夕方に通学していた。
そしてこの4月から2年生となったのだが、コロナによる休校となりその事を確かめるためにサポート校のブログを見ていた。
すると自分は誘われていないホームルームを行ったというブログがアップされた。
その

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ある起立性調節障害の子の1日

ある起立性調節障害の子の1日

まず最初に伝えておきたいことは人によっても季節、気温、天気、体調、様々なことが影響し症状が重い時と良い時などがありますので、ここに書いていることが全てではありません。一例として読んでください。

まず最近は朝8時くらいに目を覚ますこともあります。以前もっと症状が重い時はお昼を過ぎて目を覚ますくらいの時期もありました。
起こさないから起きないのでは?と言われることもあるのですが、以前ここでも書いてい

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今思うと…

今思うと…

起立性調節障害の娘はまだ体調が完全に治った訳ではないけれど、高校は通信制なのでサポート校へ週に1回夕方に授業へ行くのと、年に数回のスクーリングへ行くことで単位が取得できます。だから毎日昼頃までゴロゴロし動き出せるまで、自由に過ごしています。

夫は冷静な時に口では楽しく過ごしてくれたら良いとは言っていました。
ただ、冷静でない時や一番苦しい時期に私たち2人にそれぞれ許すことのできない言葉やトラウマ

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私たち親子は公立中学から見捨てられた。

私たち親子は公立中学から見捨てられた。

起立性調節障害により学校へ行くことができなくなった娘は勉強はしたいからスタディサプリやZ会で自宅で出来ることを頑張っていた。

しかし、中3の1学期の成績表により成績表は学校に通っていることが前提の評価であることを知り内申書が合否に関わる高校への進学はあきらめることにした。

無理をして全日制高校へ通ったところで環境が変わったからといって朝から通えるようになるとは思えず単位を心配しながら通うよりは

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起立性調節障害の子の親は甘いのか⁈

先日私の母と話す機会があった。母は娘の病気について自分なりに調べ数少ない理解者で感謝している。ただ身内に不登校児がいると色々な人が色々言ってくる。

私の兄弟が母に私が甘やかしているから朝起きないし学校へも行かないのだと言っていたらしい。

まぁ世間の大多数が起立性調節障害の子の親に対して持っている考えであろう。

なんだったら、一緒に住んでいる夫ですら起こす時にいないからそう思っていた。

でも

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結局学校とは何なんだろう〜学校の働き方改革

結局学校とは何なんだろう〜学校の働き方改革

結局学校とは何なんだろう娘が学校に通わなくなりこの問題を考えるようになった。

それまでは学校はとりあえず行かなければならないところで社会性を身につける場所と一般的な考えを持っていた。

しかし、いざ娘が学校に病気で通えなくなりその後体調が良くならないからというだけでなく自分の意志で通わないことを決めた状況になってみるといろいろな事が見えてきた。

つまりは、学校とは大半の人にとって将来企業の歯車

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価値観を捨てる

娘の不登校により私はこれまでの自分の価値観を全てと言っていいほど捨てることになった。自分が縛られていたことは誰かがその方が良いといったこと。自分がどうしてもと思うことは少なかったように思える。人に合わせて生きる。どちらかといえばその方が楽だからそうしてきたのだろう。まさに日本人に多いタイプの人間だった。

ただ娘が学校に病気で行くことが出来なくなり、そんなに無理していく必要などどこにもないことに気

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娘が学校に行かなくなった

娘が学校に行かなくなった

中二の夏休みの終わりくらいから娘が朝起きられなくなってきました。この起きられなくなるまで中学入学以来学校の成績は体育以外5、部活は全国大会を目指している毎日放課後も朝も土日も終日練習している吹奏楽部、夜ご飯もそこそこに週2日は塾へも通っていました。

最初は部活でいやな事でもあったのかと考え、チラッと聞いてみたり、とりあえず部活をしばらく休んだらまたいけるだろうと思っていました。

そうして二学期

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起立性調節障害とわかるまで…

起立性調節障害とわかるまで…

始まり…娘は小さい頃から朝ほおっておくといくらでも寝る子どもでした。別に遅くまで起きているわけでもなく、たいてい9時までには布団に入るものの寝付きが悪く、私が先に寝てしまい「眠れない」と起こされることもよくありました。それでも幼稚園、小学校と起こせば何とか起きたので遅刻することはなく通っていました。

中学生になり部活の朝練、学校、土日も休み無く部活、そして週2で塾の生活を今思えば1年以上よく続け

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