- 運営しているクリエイター
記事一覧
ポッカリと空いた宇宙。
一回きりのこの人生で見つめるすべてが愛しくわたしを揺らすのだけど、すべてははじまっていないのに、すべてはもう終わっているような心地で、ときどき、この世界にいる。
根暗なので、本性はとても無口なのだけど、だいたいだれかといると言葉が遊びだして、おしゃべりに花が咲いて、わたしは声を枯らしている。
まじりあえなくても、触れ合えなくても、ひとつに満ち足りたこの世界のなかで、ときどき、グッと、近くで熱や
いのちのHomeは美しい
とてもとても、大切にしたい言霊がおりてきた。
わたしの言う、「おりてきた」というのは、どこか遠い宇宙からとか、素晴らしい神々から、とか、偉大なる何かからもたらされるなにか、とかじゃない。
種としてずっと、自分のからだに、いのちに、魂に、生まれたときから息づいていた音が、人間さやかが生きるなかで、人間さやかの生の鼓動を打つ言葉になったそれのことを、わたしは「おりてきた」と言う。
そ
いのちの熱と核の火。
自分を生きるっていうことに、人間は知らず知らず、いのちを懸けているなぁと、時々おもう。
まことしやかに'正解"みたいに言われるようなことがあって、それが多数に受け入れられ、ある時代、世界を動かしながら、大きな絵を描いたとしても、その"正解"そのものは、本当はそんなに大したことじゃなくて(たとえそれで虐殺や戦争が起きたのだとしても)、本当のところは、みんなただ、生きている‥‥人間の場合はとりわ
裸足で掴む天と、靴下のなかで触れる自分の熱。
木製の床の感触が好きだから、家のなかを歩くときはずっと頑なに裸足だった。
寒がりなのに、素足で床を掴んで歩けるのが嬉しくて、冷えてる感覚はあんまりなくて。
寒い季節、服は着るけど、そっと包み込む感覚よりも、キュッとしめる感覚の強い服が好き。羽織ったり、柔らかく巻いたりすると温かいようなショールの類は、なんとなく動きづらくなるきがして、いちばん苦手だった。
それが、靴下を履くようになって、から
わたしのなかで流れるもの
例えば今日から突然、身一つで森のなかで生活をすることになったとして、初めましての森で、一匹の雌鹿に出会ったとする。
その時、その森でどんな風に生きることを、あなたは選ぶだろう。
正解も間違いも無い問いに、どんなこたえを持つだろう。
たとえば、彼らと目が合ったとき、その場でなにも口に出さなくても、なにかを働きかけようと行動に移さなくても、色んなことが起こる。
その時にしか発生しない、お互いの