いのちのHomeは美しい
とてもとても、大切にしたい言霊がおりてきた。
わたしの言う、「おりてきた」というのは、どこか遠い宇宙からとか、素晴らしい神々から、とか、偉大なる何かからもたらされるなにか、とかじゃない。
種としてずっと、自分のからだに、いのちに、魂に、生まれたときから息づいていた音が、人間さやかが生きるなかで、人間さやかの生の鼓動を打つ言葉になったそれのことを、わたしは「おりてきた」と言う。
それは、わたしをうっとりとさせる、たったひとつの、生命の宇宙からのラブレターのようなものだ。
天啓は思考をはさまずにわたしのからだを動かして、まるで当たり前に存在する景色を構成するためのプログラムのように、瞬時に世界の景色を彩るけれど、ときどきふと、"おりてくる"この種のラブレターは、思考からスピリットからいのちから細胞から核から法則から魂から息の温もりに至るまでを魅了して、わたしを満たしてドキドキとさせ、それまでのわたしのすべてを一瞬で笑顔にする。
ひどく個人的な、わたし、という、世界への試み。
そのなかで再生されてゆく、ひとつの音。
天啓が、おそらく1000年とか、1万年とか、1億年とか、人の肉体の一生を超えたながいスパンの流れのなかの、ある点の存在を伝えるためのものなのだとしたら、生命の宇宙のラブレターは、たった今の肉体を生きる自分という生命に贈られた、この肉体生のためだけの天啓だ。
それは最も地に近い、なんなら地の底に埋まっているかもしれない自分からの、世界へのギフト。
そして自分という生命を生きるというのは、そのものが、送られてくるラブレターへの返信でもあるのだと知る。
おりてきた言霊は、じんわりとわたしを満たして、開こうとするわたしのSenseが新たに生きるのであろう世界を、伝えてくれる。
その音が意図する全貌を精査しなくても、わたしは最初から、その景色を知っている。
それで、うっとりと、しばらくひとりで抱きしめていようと思ったんだけど、嬉しくって、しあわせで、すぐに溢れちゃったから。
今日の日記は、地球でこぼれた生命の宇宙のラブレター。
その音は、いつも届いてますよ
ありがとう
2019.3.17
地球に暮らす、さやかより♪
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