わたしのなかのあかいろ。
子どものころは、食べものというよりも、色を食べて生きていたきがする。
からだにいいとか、悪い、とかよりも。
美味しい、とか、美味しくない、よりも。
その色が、からだにシンプルに染み込んでゆくのが、わたしには大切だった。
はじめのうちは、白ばかり食べていたようなきがするけれど、言葉を交わせるようになり、物心のようなものがついて自分の世界で生きるようになってから、とくに好んだのは、赤色だ。
いちご、トマト、スイカ。
赤色の食べものがでてくると、普段は食の進みがおそかったわたしは、それを貪るように食べた。
紅生姜は、わたしのなかではオレンジ色にみえていたから、食べなかったけれど、梅干しは赤かったから、やっぱり貪った。
ほとんどの肉や魚は、わたしのなかでは茶色だった。
複雑な味わいと情報量をもつ茶色の食べものを食べるのはなかなか大変で、目の前に出されれば、ゆっくりとその時間をかけて、残さず食べたけれど、子どものころのわたしは茶色の食べものが苦手だった。
白と黒は、なんにも考えずに噛み砕き、飲み込めるからよかった。
複雑なのに、シンプルだから、消化にエネルギーを使わなくても、ストンとどこまでと腑におちてくれる。
そして赤は、わたしを魅了した。
小学校二年生の頃、喘息がひどくて、なんにも受け付けなくなって、食べても食べなくても吐いてしまっていたような時は、ほとんど毎日のようにされる点滴で生きていたのだけれど、そんななか、父から「何なら食べられる?何なら口に入れられる?」と聞かれてわたしの口から出てきたのが、「トマト」だった。
ほとんど二週間、家にいると吐き続けて、ぐったりとして学校にも行けなくなっていたわたしが、久しぶりにホッとしながら、口にしたもの。
消化にわるいから皮は剥く、と言われたけど、わたしは皮ごとがいいと強く主張した。
だってトマトは、あの柔らかなものが、薄いのにしっかりとした赤色の皮に覆われて在るのが魅力なんだ。
そして、外側も内側も、赤だから、嘘がない。
いちごの柔らかな無垢を隠した赤も、グロテスクなのに甘いスイカの赤も、わたしには必要だったけれど、生きるか死ぬかの瀬戸際で、わたしが欲したのはトマトの赤だった。
優しい赤なんか、要らないの。
内に残った、少しばかりの青くささは許すけど、正真正銘の赤が、わたしはいい。
それで、トマトを食べて復活したわたしは、そのあとも点滴をしながら学校へ通い、友だちと遊んで、自由に走り回るためにからだを鍛えるように、絡んできた男の子たちと休み時間中走り回って喧嘩するようになって、そうして夢中で生きているうちに、いつのまにか喘息と点滴は、わたしの人生からいなくなった。
苦手だった茶色も食べられるようになって、緑色の食べものがすこし、苦手になって、白をあまり食べなくなり、オレンジや黄色やピンクを好んで食べるように変化した。
でも、やっぱり何色を食べたいか、と言われたら、今もわたしは赤、なんだな。
白も黒も、好きだけど。
素直にもほどがあるわたしの肉体が、一切の嘘を飲み込めなくなったあのときに、わたしを生かした赤が好きだ。
いつでもシンプルに、いのちを生きることを教えてくれる赤が、わたしは好き(*^^*)
ちなみに青色は理想の青がなかなかなくて、仕方ないからかき氷のブルーハワイとラムネから摂取していたのだけれど、緑と黄色を混ぜたら青になることにきがついてからは、代替品の摂取はしなくてよくなった。
そして今は食べもの以外からも色と音を食べて生きられるようになったので、なにかを口に入れることは、わたしのなかで少しずつその意味を変えて、いのちを生かすため、から、いのちといのちで交わるため、に変化していった。
大人になるにつれ知った、甘さに関してだけは、味覚以外の発達が大変にゆっくりだったから、いまだにちょっとまだ、別腹だけど^ ^
世界でいちばん、わたし好みの甘さは、どんな色で魅せてくれるんだろう。
たっぷりとわたしのいのちに染み渡った赤と、わたしに様々な感情を与えた、たくさんの色。
それは原子よりも自由に、世界をめぐる。
そういうひとつひとつが、今のわたしの原点で、ここまで大切にされてきたものなんだろうな。
今日はご近所さんから、大切に育てられたトマトを一箱いただいたから、そんな話♬
2019.3.22 日本
地球に暮らす、さやかより♡
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