1) 本書によると、現在先進国と言われている経済的に繁栄している国は包括的な政治と経済が存在し、破綻国家などと呼ばれている貧困に苦しむ国には収奪的な政治と経済が存在する。この包括的な政治・経済とは、「多元的価値観」「富と権力の分配」「財産権の保障」「公平な市場」などを意味し、収奪的な政治・経済とは、「専制的政治」「富と権力の集中」「独占市場」「確固たる財産権の不在」を意味する。そのため国家の持続的な成長には包括的制度の確立が必要であり、収奪的制度の国は衰退したままでいる。
2) この包括的な政治・経済制度は自然発生するものではなく、政治経済の変化に抵抗する利権既得者とそれらの権力を制限したいと望む人々のあいだの、争いの結果である。その結果、既得者の支配力が弱まる一方で対抗するものの力が強まり、多元的社会を形成するためのインセンティブが生じる。歴史上で包括的制度が現れる例はイギリスの名誉革命や北米におけるジェームズタウン植民地の創設などで、イングランドにおいて産業革命が名誉革命の数十年後に始まったのは、包括的な政治・経済制度の確立に帰したものであり、決して偶発的に発生したものではない。
3) 収奪的制度の国ではごく一部の人が国富を支配しており包括的な政治経済制度によるイノベーション、創造的破壊や富の公平な分配は、支配者層を政治的、経済的敗者へと追いやることになる。そのため為政者の変化への恐怖が強い独占と支配を強化し、結果として集積された富がそれを奪い取ろうとする人々を生み出し内紛、革命、クーデター、内戦をまねく。
4) 民主主義は必ずしも包括的制度を生み出さない。例えばベネズエラやコロンビアなどは民主主義の国だが収奪的な政治・経済のもとにある。また収奪的制度の国でも経済的に大きな発展を遂げることがある。スターリン下のソ連や鄧小平以降の中国などがその例である。しかし現在の中国の成長はしばらく続くかもしれないが、長期的に見て持続的成長には繋がらないだろうし、将来自主的に包括的制度に移行するわけでもない。
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国際協力に携わる一人としてこの著書で最も興味深いのは、下巻の最後の方に描かれている国際機関などが長年に渡って破綻国家(収奪的な政治経済の国々)に対して行ってきた対外援助はほとんど役に立っていないという考察である。
もと世銀職員で「傲慢な援助」など批判的な著書のある開発経済学者のウィリアム・イースタリーの「The Tyranny of Experts: Economists, Dictators, and the Forgotten Rights of the Poor」には、恐らくここに述べられている欧米諸国のエコノミストたちの貧困国での経済アドバイスがまるで機能していないことを描いていると思われるが、未読なので近いうちに目を通したいと思う。
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(2020年5月3日)