よだれ痕いつの日か薔薇の刺青に 俵万智作『プーさんの鼻』
俵万智、といえばサラダ記念日の作家。あの歌は有名だけど、でもあの歌しか知らなくて、そもそも短歌というものはちょっととっつきにくいイメージがある。
少し前にNHKのプロフェッショナルでまちさん(親しみを込めて勝手に呼ばせてもらう)が取材されていて、興味を持って歌集『プーさんの鼻』を手に取った。
彼女には息子がいる。背景はよくわからないが、シングルマザー。この歌集には妊娠や子育ての歌が入っている。
読むと、全母共感の嵐間違いなし。短歌ってこんなに刺さるんだ。一部の歌を紹介する。
1. ぽんと腹をたたけばムニュと蹴りかえすなーに思っているんだか、夏
胎動のムニュ、と動く感じ。ペラペラのマタニティワンピースをぐおおおおとせり上げるお腹。夏の記憶。
2. バンザイの姿勢で眠りいる吾子よそうだバンザイ生まれてバンザイ
生まれるだけでバンザイだった。つい忘れてしまうね。
3. おむつ替えおっぱいをやり寝かせ抱く母が私にしてくれたこと
実母のことを、あまりよく思っていなかった。いらんものいっぱい送りつけてくるし、やたら私の写真撮りたがるし。
でも今私がエン様(赤ちゃんのあだ名)にしているように、母も私を可愛がり抱きしめお世話してくれていたのだ。母になってようやく、母の愛に気づいた。
4. おさなごの指を押さえてこの淡き小さき世界のふち切り落とす
エン様は爪の伸びるのがとても早い。他の赤ちゃんもそうなのだろうか。やすりでは追いつかず、週2回爪切りハサミで切っている。
爪切りは危険と隣り合わせで、気合を入れて格闘するもの。動くと危ないからテレビを見せてフリーズさせる、手を動かないようしっかり抑える、切りやすいように小さい指を動かす、じっとしている間にぱぱぱっと切る。
日常的で、ちょっとしんどくて、緊張する一瞬が、まちさんの手にかかると「この淡き小さき世界のふち切り落とす」天才かな。
5. 排卵日に合わせて愛しあうことの正しいような正しくないような
「タイミングとってください」という言葉が大嫌いだった。と言われても産婦人科医も困るだろうが、キリキリと心を削った。不妊治療の葛藤までも歌にされてしまった。
6. 励ましの言葉あふれるBBSみんな自分を励ましている
匿名は画面にあらず名を伏せて人は本音を語りはじめる
Twitterのママアカは今に始まったことではないようだ。この歌集が出たのは2005年、約20年前もママたちはインターネット上で仲間を作り、励まし、励まされ、現実世界では話せない本音を吐き出し、妊娠出産と戦っていた。
7. 記憶には残らぬ今日を生きている子にふくませる一匙の粥
そうだった、いくら私がエン様を可愛がっても、この子の記憶には残らない。覚えておいてもらえるわけでもないのに、手間暇かけて作るお粥、うらごし野菜、みじん切り、やわやわになるまで煮た野菜。
8. 一人遊びしつつ時おり我を見るいつでもいるよ大丈夫だよ
エン様は生後7ヶ月後半くらいから、機嫌の良い時は一人遊びしてくれるようになった。エン様がプレイマットで遊んでいて、私が台所で家事していると、まさに文字通り「時おり我を見る」。いつでもいるよ、大丈夫だよ。
9. 夜泣きするおまえを抱けば私しかいないんだよと月に言われる
絶賛夜泣き大変モードのママさん、いっぱいいるよね。なんとかしてあげられるのは私しかいないんだって。深夜の絶望をこんな素敵に変えられてしまった。
10. 幾たびも子に噛まれたる右肩のみみず腫れいや薔薇の刺青
いやちょっと待って、かっこよすぎんか。
抱っこのとき、うちの場合は左肩をぱくっとやられる。まだ歯が数本しかないので、よだれまみれになるのが関の山だが、これからみみず腫れになるのかもしれない。育児してる人の勲章、薔薇の刺青。
まちさんはみみず腫れを薔薇の刺青に変換してしまう言葉の魔法使いだった。どの歌も、ポジティブな余韻を残している。
歌集にはお子さんがもう少し大きくなった時の歌や、恋の歌も収録されている。
31字に凝縮された世界が美しくて、ちょっと真似してみたくなった。
ぱちぱちぱちぼくが覚えたぱちぱちぱち
嬉しいぱちぱち楽しいぱちぱち
えっこんなにあったっけ鏡覗き入る噂に聞いてた産後のシミよ
義母が来てハイテンションであやすから0歳疲れてぽて、と寝入りぬ
ふぁーふーと寝息にぎやか爆睡のきみは知らずや眠れぬ母を
今は4:40。2:30に夜泣きで起こされ、エン様は寝たけどこちらが眠れなくなった。もう夜が明ける。明日も仕事。
母の日常は基本しんどいから、ポジティブ変換していくのが大事だと思う。まちさんほどにはできなくても、きらっと光る言葉を探そう。
≪終わり≫