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「自分を偽らない」サロンやります。

こんにちは。宇賀神 亮です。

つらつら書くことって難しい。うん。ブログ書くときは尚更、頭ですんごく考えながら書くから、自分の本当の気持ちをいくらでも隠せてしまう。逆に言うとわかりやすくすることもできるし、表現を柔らかくしたりできる。何事も表裏一体ですね。

で、なんで「自分を偽らない」かをテーマに書くかと思ったかというと...

今という時を穏やかに過ごせていているのは、自分の気持ちに正直になれたから。思ったことをその時に表現できるようになったから。

自分を偽るって、見方によっては印象悪く感じるんだけど。今はすごく愛おしいことだなぁって思う。周りの人を様子をうかがって、空気を壊したくなくて、そうしていたから。

そもそも、自分を偽らないということがどういうことなのかがわからなかったんですね。周りの人からよく「自分に正直でいいんだよ」とか「自分の気持ちを味わっていいんだよ」って言われていたけど、なんかピンと来なかったし。

物心ついた時から、周りの様子や空気感をうかがいながら自分の言動を決めていたから、もう当たり前になっていたんですね。

ねるねるねるねが食べたいって思ったけど、節約のために(?)5円チョコ1個だけにしたり。本当は抱っこして欲しかったけど、忙しそうにしているから、ぐっと気持ちを言うのをやめたり。友達4人と遊んでいる時、途中トイレ行きたかったけど言い出せなくて、膀胱炎になったり。

すごくちっちゃなことだけど、それらが積りに積もったら、いつの間にか自分の気持ちが何なのかが分からなくなってしまった。自分の気持ちを相手の気持ちの違いが分からなくなった。「相手の気持ち=自分の気持ち」になっていたような。自分の思ったことを言うというよりも、周りにとって必要なことだったり、その場で一番ただしと思う正解を言動していた感じ。

大学行って、就職しても、どの環境にいてもそんな感じだった。

例えば、1年前の2月の寒い時期。8人定員の会議室に10人が入った打ち合わせ。暖房がガンガンと効いている中、途中暑くなってきたんですね。頭が痛くなってきて、大汗かいてきたけど、「ここで動いてしまったら、周りが僕に意識が向いてしまう」からと、微動だにできなかった。本当はジャケットやカーディガンを脱ぎたかったけど、それができなかった。最終的に意識朦朧として倒れたのだけど。

冷静に考えたら、ジャケットを脱いだらいいじゃん?とか、暖房の温度を下げればいいじゃん?とか、窓を開けたらいいじゃん?とか思うんだけど。周りのことを考え過ぎて、「自分がどうしたい」が全く出てこなくなっていたんですね。

今思えば、これは「自分を偽り続けた結果」なんじゃないか、ってことかなと。

もう自分で自分のことに気づけなくなっていたんだよね。習慣ってすごい。積み重ねって凄い。そこまで自分のことを追い込むなんてなんだMなんだと思いましたよね笑

自分を偽ることが積み重なっていくと、こうして「自分はどうしたい?」が分からなくなっていくんだなと思うのです。僕は6年前26歳の時に、自殺未遂したのだけど。その大きな理由は、自分を偽り続けることがイヤだったとわかったからだと思うんですよね。「自分がわからない」って、自分の命を絶とうとするくらいまでしんどいことなんだって今は思うのです。6年という、過去のことを振り返る時間をたっぷりと取ってきたから、少しずつ自分の身に起きてきたことを理解できるようになった。だからこうして文字に起こせるのかもしれない。

こうして書いていても、取り止めがない感じなんだけど。伝えたいことがあるんだなぁと思ってる。noteを通して少しずつ表現していこうと思いますので、ご感想いただけたら嬉しいです。

これからも「自分を偽らない」をテーマにつらつら書いていこうと思います。

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ご不明点などあれば、ご連絡くださいね。

宇賀神

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