#コラム
長女は全員、自分の中の「押切もえ」と戦っている
正直に言うと、私は彼女のことが苦手だった。
私の大好きな選手と交際宣言をしたときも「えー、あの子と結婚しちゃうのかあ、やだなあ」と思っていた。
今になって思えば、この「苦手」な感情は、同族嫌悪に近いものだったのかもしれない。
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私がなぜ彼女を苦手だと思ってきたのか。
その理由が、「美人百花」に載っていた彼女のインタビューを読んではじめてわかった。
彼女は、あまりに「長女的」なので
自己肯定感が低いままで素直さを手に入れようとした話。
「他人の目が気になってしまう」「“自分なんて”と考えてしまう」そう思っている人は大勢いる。わたしもそのひとりだった。
むしろ幼少期から20代までずっと“自信がない人”の見本のような考え方だったので、「他人の目が気になる」という人に「そんなの気にしなければいいじゃん!」とはとても言えない。
自然に“そう思ってしまう”ことをよくないものだと抑えつけてウソのポジティブで身を守るのは危険だし、どんな感
「考えるってどうやるんですか?」と聞かれて考えた。
「サクちゃんはよく“考えて決める”っていうけど、どうやって考えてるんですか?」と聞かれた。
昨日、友人と話していて少しだけわかったことがあるので、書いておこうと思う。
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「どうしたらいいかわからない」というとき、そこには漠然とした不安がある。見えない敵はサイズも正体もわからないから怖い。
だから、その見えない敵=漠然とした不安 を、見える敵=具体的な課題 にする
自己肯定感が低いままでも、つよくなった理由。
『月刊 自己肯定感』というマガジンをつくっているので、いつもなんとなく自己肯定感について考えている。
このマガジンをはじめた理由のひとつに、一緒に書いているDr.ゆうすけくんに「サクちゃんは、もともと育った環境もよくないし、自己肯定感が低い要素が山もりなのに、どうやって今みたいな考え方ができるようになったの?」と聞かれて、「それ、後天的に自己肯定感は育つっていう希望の光だからな!」と言ってくれた
ガマンの鎧を着ている人の話
自分が「ガマンの鎧を着た人」だと気がついたのは30歳だった。
もちろん生きていれば誰もがガマンをした経験はあるし、「わたしは誰よりもガマンをしてきたのよ!」と不幸自慢をしたいわけではない。むしろ他人から見たら「さんざん好き勝手にやってきたじゃないか」と言われるくらいだと思う。
自分では選べないような家庭環境や経済状況でガマンすることは少なからずあったし、生まれ持った見た目や体質で他人を羨ましい