自己肯定感が低いままで素直さを手に入れようとした話。
「他人の目が気になってしまう」「“自分なんて”と考えてしまう」そう思っている人は大勢いる。わたしもそのひとりだった。
むしろ幼少期から20代までずっと“自信がない人”の見本のような考え方だったので、「他人の目が気になる」という人に「そんなの気にしなければいいじゃん!」とはとても言えない。
自然に“そう思ってしまう”ことをよくないものだと抑えつけてウソのポジティブで身を守るのは危険だし、どんな感情であれ、そう思ってしまうに至る原因があって、それを否定してなかったふりをして生きるのは、自分の人生ではなく「他人になること」だから、それはよくないと思う。
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「自分なんて」と自分の価値を低く見積もってしまう状態は「自己肯定感が低い」といわれている。
自己肯定感とは:
自己価値に関する感覚であり、自分が自分についてどう考え、どう感じているかによって決まる感覚。
そのままの自分を認め受け入れ、自分を尊重し、自己価値を感じて自らの全存在を肯定する「自己肯定感」の感覚は、何ができるか、何を持っているか、人と比べて優れているかどうかで自分を評価するのではなく、そのままの自分を認める感覚であり、「自分は大切な存在だ」「自分はかけがえのない存在」だと思える心の状態が土台となる。
わたしは「自己肯定感が低い」のを「高くしたほうがいい」とは思わない。生まれもった性質や環境からあたりまえのように自己肯定感をもっている人に憧れて「あの人みたいになろう」とすることは、前向きな行動に見えて “あの人みたいにポジティブに思えない自分”ばかり見えてしまって自己否定がすすんでしまうのではないかと思うからだ。
とはいえ、わたしはずっと変わりたかった。自己否定がつよく「わたしなんて」と思っていると、思考も行動も負のループに巻き込まれてぜんぜんいいことがないなーと気がついたからだ。それはちょっと困るなと。
自己肯定感が低いままで自分をよりよくすることはできるんだろうか。素直さや正直さをあとから手に入れることはできるんだろうか。できるかわからないけど、とにかくやってみよう とここ数年はそれをテーマに考えて行動してきた。
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結果からいうと、生まれ直さずに自分がよりよい方に変わるには、何を足して何を引けばいいのか最近ようやくわかってきた。
足すのは、知識と、あたらしい視点。
引くのは、感情を抑圧するフタと、思い込み。
だと思っている。
「自分なんて」と思ってしまう原因は人それぞれだけど、なにかをきっかけに、またはじわじわと「自分には価値がない」と思うようになってしまった。そしてその思考回路の先で「自分は人に迷惑をかける」「自分は人に愛されない」などの思い込みがつよくなっていく。
そうなってしまった原因はほとんどの場合他者との関わりの中にあるので、そこで植え付けられて育った「価値がない」「愛されない」「嫌われる」「迷惑をかける」という価値観は“他者にとって”で、それを信じるとすべてのことを他人基準の視点で見るようになってしまう。「他人の目が気になる」はここからきている。
他人の考えや気持ちは自分のことではないので正確にわかるはずがない。雑に言うとすべて「思い込み」で、まだ現実には起こっていない想像に傷ついている状態だ。すこし厳しい見方をすると、他人の目が気になると言いつつ実際には自分のあたまの中だけで展開されていて、他人のことなど少しも見えていない状態だとも言える。
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他人の目を基準に考えるクセがつくと「自分の感情は相手に影響がある(主に悪影響)」と思うようになってしまう。しかも想像なのでいくらでも悪い方に考えられるので、まさに負のループにはまり「自分なんかが好きだと迷惑だ」「自分なんかがよろこんでも相手はうれしくない」「自分なんかが怒ったり悲しんだら相手に悪い」と、自分の感情を悪いものだと捉えるようになる。
そうして本来の感情を自分で許可することができずに、出してはいけないものとしてフタをすることになる。
好奇心や、怒りや、よろこびなどあらゆる感情にフタをすると、その抑圧から知らないうちにガマンするクセがつく。その結果「何が好きかわからない」「やりたいことがない」「イヤなことをされても怒れない」に繋がるのではないかと思っている。少なくともわたしはそうだった。
他人の目を基準にした思い込みと、感情へのフタを捨てるのは、ガマンするクセをなくすため、その手前に何にガマンをしているのかを知るためだ。
「素直」の正反対にあるのが「ガマン」だから。
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わたしは昨年、「やりたいことがある人とない人がいるのはなんでだろう?」「どうしてわたしにはやりたいことがないんだろう?」という疑問がわいて、そのことについて考えていた。
自分の過去を遡って解明していくうちに、その原因に自己肯定感の低さや考え方の偏りが見えてきて、ここ数年のテーマ「自己肯定感が低いままでも素直になれるのか」と重なった。(気になるテーマは深層でつながっているものだな)
「やりたいことがない(またはある)」と言うとき、それは単に職業や仕事内容だけの話ではなくて、人の欲と居場所の話だと思っている。
さっき「よりよくなるために足すものは、知識とあたらしい視点」と書いたけど、足すためにはまず自分のことをよく知らないといけない。感情のフタや思い込みを剥がさないと、あたらしいものは入ってこない。
自分のことを「どうせわたしはこうだから」と斜めに捉えていると、何が足りなくて何を足すべきかが見えてこないからだ。
自分のことを過不足なく捉えて知ることができると、それを出すだけで誰かの役に立ったりそこに居場所ができたりする。
「自分なんて」と思ってしまう原因の思い込みを剥がしていく作業はもちろん口で言うほどかんたんではないし、道のりは長い。
それでも、自分の人生を自分で作るにはその道しかないと思う。というか、道を自分でつくっていいというのは、希望よね。