見出し画像

インクルーシブな恐怖―ゴンサロ・M・タヴァレス著 木下眞穂訳『エルサレム』

 現代ポルトガルの最重要作家といわれるタヴァレスの、ジョゼ・サラマーゴ文学賞受賞作品。

 屋根裏部屋の窓から飛び降りようとするエルンスト。早朝、教会の扉があくのを待っているうちに激痛に襲われ、エルンストと電話がつながった途端に失神するミリア。

 読者をいきなり緊迫感に満ちた終盤の場面へ投げこんだのち、物語は時間を行き来しながら枝分かれした道筋をたどり、ふたたび冒頭場面へと収束していく。つぎつぎと切り替わるエピソードから登場人物たちの仄暗い過去を少しずつ拾い集めるのは、彼らが忘れていた(あるいは忘れたかった)思い出をふり返る行為に似ている。そして冒頭場面がふたたび巡ってくる頃には、読者はいくつもの視点を獲得している。

 目次にたくさん並んだ名前を見ると群像劇のようだが、主要人物はさほど多くない。不治の病にかかったミリア、ミリアの元夫テオドール、足が悪いにもかかわらずミリアのもとへ走るエルンスト、十二歳の少年カース。彼らが作品の核である。一方、〈殺し屋の顔〉と恐れられる元兵士のヒンネルクと、彼に稼ぎを分けてやる娼婦ハンナの存在もつねにちらつく。〝混ぜるな危険〟のにおいがするふたつの世界はいずれ交差してしまう運命にあり……。

 ミリアは十八歳のとき、自称「統合失調症」の患者として精神科医のテオドールと出会った。美しいミリアを妻にしたいがために彼が口にする言葉は、テオドールのすべてを物語っていると言ってもいい。

「忘れないで、医者はぼくだよ。その人が健康か病気かを決めるのはぼくだ」

  病状を気遣う素振りも見せない。診断に科学的な根拠はなく、ミリアという人間の運命を左右するのはもっぱら彼の主観である。そしていずれは彼女をゲオルグ・ローゼンベルク精神病院に入院させ、本来の自分を失わせ、世界と断絶させるのだ。

 テオドールの支配欲はとどまるところを知らない。彼は、人類の宝となるような偉大な研究結果を遺したいという野望を抱いていた。かなりのページを割いてその内容を語るのだが、「恐怖史」全五巻として結実するその論旨は狂気じみていて、読んでいて頭をかきむしりたくなる。図書館に入り浸って各国の強制収容所の資料を漁るのだが、事実をありのままに見ることをせずに、自説に都合のいいところだけを選びとる。そして、歴史上の恐怖を数値化しグラフを完成させれば、ひとりの患者を相手にするかのように、歴史を診断し、現状の悪化を防ぎ、未来をコントロールできるようになると信じている。なんという思い上がり。彼の態度そのものが過去の迫害者のありようと重なって、「恐怖」が作品全体のキーワードとして浮かびあがる。

 一方、図書館の司書がテオドールに紹介する小説『ヨーロッパ02』は、迫害行為の本質を突いて「恐怖史」との違いがきわだつ。当然テオドールは読んでも意味がわからない。少し引用しよう。

 過ちを犯した人間は追放される。箱に閉じ込められる。外にいる人間には箱しか見えない。だが、閉じ込められている人間、追放された人間からは外が見える。全部見える。彼らはわれわれのすべてを見ている。

 世間から隔絶され、中で何が起こっているのかわからない不気味な箱。外の人は見たくなければ見ないふりもできる箱。インタビューでタヴァレスが「神話的な」病院を描こうとしたと語っていたが、ゲオルグ・ローゼンベルク精神病院での治療について具体的な描写を省いたことで、この暴力と恐怖と怒りの物語は、世界のさまざまな箱を連想させるものとなった。恐怖を感じるのは中に閉じ込められた人間? それとも、見られている外の人間? その答えは、箱が取り払われたときに明らかになる。

 恐怖は一方通行ではないんだよ、テオドール。



12月5日、kyokoさんにお誘いいただいて、豊崎由美さんによる翻訳者向け書評講座を受けました。上は事前に提出した書評に訂正を加えたものです。

『エルサレム』はすごく力のある作品で、読後なかなか書き出せませんでした。合評の結果、わたしの得点は中の下。誤情報を書いてしまったのです。ひとえにテオドールが嫌な人間すぎて冷静に読めなかったせいです。(言い訳)
そんな出来の書評でも豊崎さんは「親切とは言えない時間の流れをまとめようと健闘している」と褒めてくださいました。

講評でいちばん印象に残った言葉は「あらすじは書評の華」でしょうか。あらすじは評者による作品の編集であり、それ自体の完成度が高ければ書評になりうるということでした。

ちなみに、ぜひ書き足したい情報を講座後に入手したのですが、うまくまとまらず、上は提出したものとほとんど変わっておりません。
あれもこれも書きたい、と言っているうちは感想文の域を出ないのかもしれません。どの情報を取捨選択してアピールするか、そして読者と本とつなぐか。書評という行為の一端、プロの書評家の矜持を垣間見た6時間でした。

『エルサレム』は解釈の余地が大きい作品なので、ひとつの答えでは納得できない、想像力たくましい読者におすすめです。

↑ こちらで受講生の書評を読み比べられますよ。書評って書くのは難しいけど、読むのはおもしろい。

いいなと思ったら応援しよう!