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療育を受けないという選択~“あきらめ”て、ありのままを受け入れる。

こんにちは! ツナです。
今回は「療育」を受けない息子との向き合い方、そこから考えたことなどを書きたいと思います。
(以下は2023年6月に書いたLEE100人隊ブログを加筆修正したものです。)

医師の判断、「療育は勧めません」。

ASD(自閉スペクトラム症)の診断を受けている息子。うすうす感じてはいましたが、どうやら若干ADHD(注意欠如・多動症)の気もあるようです。

入学して4年たった今も学校生活は日々カオス。特別支援学級を利用していても、です。
今年度は比較的落ち着いていますが、昨年度は特にひどかった! 電話連絡をもらって学校に出向くと、そこには即記憶から抹消したくなるほど絶望的な光景が広がっていたものです。。

さて、わが息子は療育を受けていません。
担当医によると息子は「型にはめることで長所をつぶす危険性が高いタイプ。この子のやりたいように、伸び伸び自由に過ごさせるのが大事」なのだそう。
“苦手(凹)”を克服することより”得意(凸)”を伸ばすことに意識を向け、自己肯定感を高めていく…という考え方です。

2023年LEE3月号 P.176「本音で語る、発達凸凹な子どもとの暮らし」より引用しています。

正直、それを聞いた時は絶望的な気持ちになりました。
発達検査(WISC)を経てASDと診断されたのは、ちょうど息子の特性が強く出始めた時期。保育園での言動に頭を抱えていた私は「療育が解決の糸口になるはず」と思っていたからです。
療育は勧めないと医師から伝えられた時、「え…そうなんですか…」とがっくりうなだれたのを覚えています。。

でも保育園でのとある出来事から「息子を ”普通” に寄せること」に違和感をおぼえ始めていたのも事実。
 みんなと同じじゃなくていい
 変わった子と思われてもいい
 この子の個性を尊重して向き合っていこう
担当医の話を聞いて、そう考えるよう意識を切り替えました。

いい意味で「あきらめ」が肝心!

療育についてはあまり知識がないのですが、きっとお子さんにとっても、サポートする保護者にとっても負荷が重いんだろうなぁと想像しています。通い続けるには時間的にも精神的にも胆力がいるのではないかと。

とはいえ「療育を受けない=負担が軽い」わけじゃない!
お子さんのタイプによるので一概には言えませんが、少なくとも息子の場合、療育を受けないがゆえの悩みや葛藤が絶えないのが実情です。
凹を埋めようとせず自由に過ごさせるって、簡単なようで難しいんですよね。なにしろ、大小いろいろなことを諦めるところから始まるので…。

息子と過ごす日々には常にモヤモヤが付きまとうし、心が折れて泣きたくなることもあります。
でもしょぼくれた姿を見せて息子に罪悪感を抱かせるのだけは避けたい…!
「”諦める” とは ”明らめる” こと」とくり返し思い起こすことでなんとか乗り切っているような気がします。

“明らめる” とは現実を明らかに見ること、つまり「現実を直視してありのまま受け入れる」という意味だそう。もともとはネガティブな意味合いはないんですよね。

もちろん、諦めたくないこともあります。

凹を埋めず凸を伸ばす子育てを始めて丸4年、私もいい感じに適当さが身についてきました。”明らめ” がだいぶうまくなったなぁと自画自賛。笑

でももちろん、諦めたくないことはあります。なんといっても社会的なルールは身につけてもらわないと困る!
療育という場で専門家のサポートを得られない分、これについてはほぼすべてを親(といっても、おもに私)が教えるしかありません。

頭では社会的ルールを理解しているけれど、それを行動に移せないことも多い息子。近くで見ているとものすごーくモヤモヤするし、トラブルが起こるたびに「どうしてそんなことするの!? …でも特性上、どうしようもないんだよね」とやりきれない思いにとらわれます。

常識的なふるまいができるようになってほしい。でもそれは(少なくとも今の)息子に求めるのは無理な話なんですよね。
「せめてこれくらいは…」と思うような些細なことであっても、主治医に相談するたびに「今はまだできなくてもいいんです。求めすぎですよ」とやんわりたしなめられる。そんなやり取りを今まで何度くり返したことでしょう。。

見過ごせないトラブルが起こるたびにどう対応するのがベターなのか、今も試行錯誤中です。

そもそも学校生活に向いてない?

学校外で息子の発達凸凹が目立つことはあまりありませんが、学校では特性が強く出る(荒れる)状態が続いています。

昨年度は特にひどかった! 
そもそも集団行動が苦手なので分からなくもないのですが、学校の中と外では二重人格かと思うほど別人。教室に入った瞬間、目つきが変わっていたんです。
おそらくこれは「自分を守るため戦闘モードに入る」という本能的な工夫。つまり学校が息子にとって生きづらさを感じる環境になっているということです。
側から見たら「意味もなく怒ってる迷惑な子」だろうけど、親からするとただただ痛々しい。

かなしろにゃんこ。さんの『僕にはイラつく理由がある!』はおすすめの一冊。息子の就学後、この本に相当救われました。

頼みの綱と思っていた特別支援学級も、年度…というか担任やクラスのメンバーによって当たりハズレが大きい現実。
担任との相性が悪かった昨年度は特に支援学級がまったく機能しておらず、極力フラットな目で見ようと思っても指導に対してモヤモヤが膨らみました。
(特別支援学級については書きたいことがありすぎる!追って経験談を綴りたいと思います。)

息子を学校に行かせる意味ってあるの?
あれ、そもそも学校の役割ってなんだっけ?

(実は就学後、何度もあるのですが)とあるきっかけで「息子を学校に行かせたくない!」と思ったこともあり、昨年は春からそんなことをぐるぐると考えていました。

◆ 続きます↓


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