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世界を定義することの難しさ@本や学びやmerkkiの場合

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どうも、本や学びやmerkki(メルッキ)店主の、じーもです。
なんだか小難しそうな、胡散臭そうな、そんなタイトルに感じる方もいるかもしれませんが・・まぁそう言わずに少し見てってくれませんか?


世界を定義すること

さて。いきなりですが、ここで言う「世界を定義する」とは簡単に言うと、「ある言葉に対して新たな意味づけを行う」ということです。

例えば、「仕事」という言葉について。
よく言われるのが「仕事=お金を対価としてもらえる行い」という定義です。でも、そこで問題になるのが「家事は仕事ではないのか?」ということ。もちろん家事だけでなく。お金には直接的に結びつかなくても日々を生きる上で必要な行いはたくさんあります。

そこで「仕事=日々の生活を支える行い」と定義してみましょう。すると、「仕事」という言葉に対する見え方や感じ方が変わってきます。

このように、これまでとは別の見方を提示すること。新たな意味づけを行うことを、ここでは「世界を定義する」としておきたいと思います。

もう少し踏み込んでみると、現代の資本社会や資本主義に対する新たな社会を提示する方もたくさん出てきています。
わたしが読んだことのある本でも『ビジネスの未来/山口周著(プレジデント社)』や『撤退論/内田樹編(晶文社)』『ゆっくり、いそげ/影山知明著(大和書房)』など。挙げればキリがありません。

まぁ、そこまで大きな話ではありませんが、そんな話に似たお話を少しだけ。

お店を営むという提案

わたしは今、本や学びやmerkki(メルッキ)というお店を四国徳島にて営んでいます。まだオープンして1か月足らずというひよっこです。

お店の名前にもあるように、「本」「学び」をテーマにしていますが、いわゆる本を売る本屋、というよりは過ごせる本屋を目指しています。学びが得られる塾、というよりは気付いたら学びになってた、という場所を目指しています。

何がいいたいかと言うと、一言で説明したいけれども、一言で説明するにはまだ定義としてもそこまで社会に認知されていない、ということです。

もう少し具体的に話します。

うちのお店は、今、本屋として認識されており、ありがたいことに本を買いに来られる方が多数です。(それだけでも本当にありがたい。)でも、私としては、「本屋でもある」というだけなんです。

そのため、私の理想としては、「本を買うための場所=本屋」として認識されるのではなく「本がある空間でいろいろできる場所=本や」として認識されたいのです。

これはある意味で世界を定義するための提案でもあります。

だって、本屋さんと聞けば、本を買うための場所ですから。
新たに言葉として定義をしたいんです。(ちなみにきっかけは『これからの本屋/北田 博充(書肆汽水域)』)

本を売る場所?
いいえ、
本を愛でる。親しむ。
本に囲まれることに
心地よさを感じたから。
本屋、と名乗ります。

「本や学びやmerkki公式HPより」

じゃあこちらももう少し踏み込んで。
では私自身、どんな世界を提案したいと思っているのか?

それは、2つあります。
1つは、本がただそこに佇んでいるだけで尊いように、ここにいる私たちもただそこにいるだけで尊い存在である、そんな場所がここにあるよ、と伝えたいということ。(そのため料金も物品の交換代金としてではなく、座席料としてお支払いいただくシステムがあります。)

2つめは、学びとはおもしろいからするものであり、無理に学ばなくてもいいけど、ほんとはこんなにおもしろいんだよ、ということを伝えられる場にしたいということ。(そのため料金体制では、あえて教科を絞る必要はないこと。年齢も不問であること。などがあります。)

そうすることで、すこしでも世界がやさしくなれることを願って。
(そのためのお願いとして、「尊敬と妥協と少しのやさしさを。」をお願いしています。詳しくは公式ホームページにて。)

難しさともどかしさ

でも、そんな簡単にはいきません。
新たに世界を定義するということは、これまでにないことをするわけですから、わかりにくいんです。

今、ネット社会となり、情報が溢れるようになり、日々触れている情報も選ばれている(スマホの閲覧履歴などにより広告が出る等)時代。

短く、わかりやすいこと

が重要視されてきてしまっています。だから、より短い動画であるTikTokやYouTubeのshort動画、一枚で伝わる写真をメインにしたInstagramなどが全体として受けが狙いやすい(バズリやすい)ようになってしまっています。

そんな中では、わかりにくいことや、聞いたことのないことは、なかなか受け入れてもらえません。

もしかすると、そういう風潮が新しい考え方や物事を普及しにくくしている要因の一つかもしれません。

ここまで言うとただの言い訳にも聞こえるかもしれません。実際、まだまだ実践できていない時点で、ただの負け犬の遠吠え感は否めません。

新しい世界を定義することは簡単でも、それを定着させるためには時間と気力と体力、そして浸透させるための技術が必要なのかもしれません。

飲み込まれないように

では、浸透させるための技術とはいったい何なのでしょうか?

それは今あるルール(定義)にひとまず乗っかって勝負をする、ということではないでしょうか。早い話、まずは儲かってからモノを言えよ、的なことです。

ぶっちゃけて言うと、これは結構自分で自分を苦しめる考えだと思うんですが、なかなかにこういう考えは世間にも根強くある気がします。

だって、サバンナで草を食べる草食動物たちは誰かが気付けばすぐに仲間へ知らせる。それが妥当なものなのかを考えるよりも先に動かなければ、自分の命が危ないわけですから。

でも、そんなことを言ったって、社会や社会のシステムが変わるわけではありません。そことの付き合い方をうまくしなければ、すぐに飲み込まれてしまいます。

わたしの場合であれば、焦りがあります。

家族のためにお金を稼がねば。
この時間を無駄にしないようにしなければ。

そんな想いが無くなることはなく、日々その焦りとのにらめっこ状態のような気がしています。

最後に

実はわたくしの姉もお店をしていて。わたしとは性格などは正反対ですが、おもしろいことに目指している方向が似ていたりもします。

例えば、徳島で行われるイベントなどには文脈を意識するよりも中身を重視されて行われることも多くあります。(もちろんどの主催者さんも自分なりの想いは強いと思います)
なので、今、文脈やビジョンを掲げた上でのイベント運用を目指して、現在準備中のようです。

今日も最後までありがとうございました。
よければまたお会いしましょう。では。

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