「障害は治らない」という当事者の声がイヤだ
よくSNSやブログで代替医療を否定する当事者を見かけます。
代替医療とは、僕のマガジンで紹介してるオーソモレキュラーなどのマイナー医療のことです。
「科学的根拠に乏しいから騙されるな」
という話に共通するのは、
誰ひとり、自分の体験談ではないことです。
自分も書いてたかもしれない
いちおう僕も当事者として批判記事を書いてた可能性はあります。
20年試して無理だったら、ですが。
幸い社会復帰まで一年半でいけました。
成功した理由はシンプルです。
きちんと情報収集して原因特定から治療に入ったからです。
最初に疑ったのはリーキーガット症候群。
腸壁の細胞が壊れてあらゆる有害物が脳中に入りこむ。
ありうる話だと思いました。
でも半信半疑だったので、複数の専門家にヒアリングし「可能性70%くらい」と思うにいたって治療開始しました。
それに対して、代替医療否定派の記事は試行錯誤の経験がほぼゼロです。
エビデンスで持ち出すのは、
「FDA(アメリカ食品医薬品局)が否定している」
などという聞いたような話。
要は権威です。
僕は人の中で生きていきたいですが、他人に人生を左右されたくないです。
医者はヒマでも貧乏でもない
医者は安定して稼ごうと思ったら、普通の保険診療をしますよ。
患者が三千円払ったら一万円の売上になるわけで、経済的困窮とは無縁です。
それでも未知の症例を持ち寄って学会を作り、時間外に研究を行い儲からない保険外の臨床を行う。
これ、得するは患者だけです。
否定派の人、相手の立場に立ってものを考えたことありますか?
当事者側に必要なこと
・治療できた人がいる以上、可能性はある。
・が、自分にも効くとは限らない。
...という当たり前の思考です。
それがあると、治療症例と根本原因の関係性について情報をとりにいきます。
治った人と自分は同じ病態なのだろうか?
と考えるようになります。
それを確かめる検査はないものか、と調べ始めます。
自分の場合は精神科の病名がコロコロ変わったのがきっかけで、発達障害は発達障害でも病態は個人で大きく異なることを知りました。
肝心なところでしくじらないで
試さない、動かない。思考停止。
肝心なところでこれをすると人生は簡単に棒に振られます。
障害者、健常者、関係ないです。
交通事故で加害者になった。
大した怪我もしてない相手方が、毎日のように整形外科に通って痛みを訴え続ければ、それだけで後遺症認定がおります。
結果として法外な慰謝料を請求されます。
そういう時弁護士を立ててきっちりやる人とそうでない人、のちの人生の差は明らかです。
言いたいことは、
健常者でも障害者でも、自分の人生を良くしようとあがく人には心動かされるし、そうでない人には関心がありません。
僕は発達障害/精神疾患の根本治療をこの国に普及させたい側の人間です。
本人は良かれと思ってるんでしょうが、「注意喚起」目的で、自分の試行錯誤抜きにモノを言わないで下さい。
それはチャレンジに対する冒涜です。
自分はこういう治療を試したけどうまく行かなかった。
治療症例と自分にはこういう違いがあると思われる。失敗からこういう知見が得られた。
建設的な意見というのはそういうモノではないですか?
治療の詳細は ↓