落合陽一的な世界を迎えるための教育⑤ 2017年の佐藤ツヨシな思考
全5回にわたって、3年前の自分の考えを復習
あの時から何か前進できているのか?
という問に明日からの授業で答えたい。
では、はじまりはじまり。
これからの時代の教育というのはどういう形になるのでしょう。
これからも先生と呼ばれる人が前に立ち、生徒たちは前を向いてただひとつの情報を受け取っているのでしょうか。
画一的な集団の形成ということに対する価値はこれまでより低くなりました。
これからはよりその価値が低くなっていくことでしょう。
生徒一人ひとりの嗜好や価値観、また目指すべきものが多様化していくと今のような形態というものに価値は見出せなくなってきます。
ここの価値観に対応した授業というのが必要になってくると思います。
また、ある知識を積み上げていき、最終的にその技能が花開く、といった「基礎から応用へ」という一方通行の矢印が立つ授業というのは少なくなってくるのではないかと思います。
単語を覚え、熟語を覚え、構文を覚え、文法を学ぶ。
そうしないと英語を読み聞き話し書き、ということはできないのでしょうか。
技能が身につかないと応用ができないというのは本当でしょうか。
それは画一的な授業を行う、一方通行の授業を行う、というパラダイムでは致仕方ない授業形態だったと思います。
画一的で一方通行の授業では、基礎から応用へ、という矢印を置いておくことしかできなかったのです
授業形態では1つの答えを求めるしかできなかった、ということです。
ただ、今の世界では、生徒の価値観や求めることは一層多様化してきているので、この形態が崩壊へむかってきています。
教員も生徒もこの形態がもう既に終わった、過去のものだということがわかりながら、ごまかしながら授業を行い、また授業受けているのかもしれません。
ではこれからはどうなるのでしょう。
生徒個々の必要に応じ教員がその手助けを行う。
生徒が行ったことに対し助言を行うことで、応用から基礎へ戻る、また基礎から応用へ戻っていく、という繰り返し行うということが増えてくると思います。
基礎がスタートではないのです。
生徒がやりたいと思った、生徒が知りたいと思ったことがスタート、つまり応用がスタートということです。
このような授業を支えるテクノロジーが開発されてきています。
簡単なところで言えば、iPadをはじめとする個人用のタブレットや、また、張りめぐらされた4G回線などです。
ビジネスの世界でよく聞くようになったIoTですが、これは教育を変えるものでもあるのです。
ユビキタスコンピューティングの先にある5G回線やIoTの進展というのがこれからの教育を変えていきます。
ただ今でも4G回線を利用した、個人用タブレットを利用した授業ということが可能なので、個人ベースの授業展開が5GやIoTの本格導入に先んじてこれらが展開されることが望まれます。
生徒が個人ベースで授業を進め教員はそれに対し指針を出す。
うまくコンダクターとして立ち回れるか、ということが重要になります。
また、多様性への感性を高めることも必要です。
世界が個人ベースであるが故に、自分と他人の違いや境目への感性が必要です。
個人ベースが個人至上主義に陥らないよう、気づきが与えられるかがこれからの教育に必要な仕事です。
情報とニアリーイコールになる知識はウェブ上に落ちています。
教育者は子どもに、その分野で絶対必要になる思考のフレームワークやテンプレートを実装することに注力し、それが完了したら生徒のパラメーターを暗記から思考に振る役目を果たすべきです。
今の教育は、生徒も教員もパラメーターが暗記に触れ過ぎています。
暗記は所詮コンピューターに勝つことはできません。
機械学習、ディープラーニングにより計算や収集、分類などはコンピューターが活躍しそうです。
速報のような簡単な記事であれば、リオ五輪の時のようにAIが書き上げてしまうでしょう。
人がそこで争っても仕方ないのですから、別の分野に使うパラメータを育てないといけないわけです。
必要なのは薄っぺらい"共同学習"やアクティブラーニング“型”授業ではなく、タスクベースドな授業、問題解決型学習でもないのです。
生徒に寄り添った、生徒中心の授業、という耳障りの良い抽象的な授業でもありません。
(ところで、アクティブラーニング型授業をパッシブに受ける生徒について教育に関わる人はどう思っているのでしょうか。また、問題を解決しない学習とは何なのでしょうか?)
徹底的にstudyさせ、learningさせていく必要があるのです。
応用から基礎へ、基礎から応用へ。
さて、いつも以上に話がぼんやりしてしまいました。
ここまで5回が思考や思想ベースだったので、少し具体的な授業や実装について話をしないといかんな。