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写真日記

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2023年8月の記事一覧

活路

活路

仮に最後まで残り続けることを勝利とするならば、生存できる構造であることは武装を固めるよりも遥かに重要だろう。数々の武器を取り揃えていても、飾って眺めるばかりでは何の活路も見出せない。自分がどれだけ不便な環境で生きることができるのかを試すことは、攻められにくい環境に身を収めるためには必須だ。

遮断機

遮断機

ちんたらと歩いていると遮断機が降りてしまう。駆け抜けなければならない区間は生きていく中にもあって、一度逃したら無理矢理下を潜って生き恥を晒すか、次いつ上がるのかに怯えながら待つことになる。それが嫌なら、目の前の瞬間を見逃さないように前を向いて歩くべきだろう。

備忘録

備忘録

去年の夏を覚えているか。ここ数週間、数日前の記憶ですらあやふやになっているのだから、そんな問いに対して事細かく答えられる人なんてごく僅かだろう。何を感じて何を思っていたかは尚更判り得ない。だから1年前に日記を書き始めた。開くことのない備忘録だとしても、その時を真剣に過ごした痕跡としての価値はある。

風鈴

風鈴

身体に纏わる空気に骨の髄まで火照らされている僕は夏が好きなのかもしれない。賑やかな蝉の音も、流れる水の音も、楽しげな幼子の声も、靡く風鈴の音色も、遠くの祭の音頭も、この熱気があるからこそ心地よく感じるのだろう。

日常

日常

登山に対する意気込みが一転したこの頃は、山に登らず、麓をうろちょろとしている。のんびりと気ままでいることを第一と心掛けているからだ。気が向く対象は南の大山脈であり、膨大な時間を要する。捻出するために日常を管理して疲弊してしまえば本末転倒ではないか。

慧眼

慧眼

限られた場所だけを見て、飽きたかのような無気力状態になるのは勿体無い。仮に堕落して過ごす時間を全て移動に費やしたとしたら、未知は既知となり、既知は見識となり、見識は価値観へと昇華されるだろう。たくさんの景色を見ることで慧眼を得られるのだと信じたい。

故郷

故郷

僕は何に対しても飽きやすく、気分屋で、変化を求めていると公言している。にもかかわらず故郷に対しては変わらないことに喜びを感じる。瞬間を切り抜けば高揚したように思えるが、いずれはきっと退屈さに溺れてしまうだろう。僕はつまらない時間を過ごしたくないけれど、他人への要求も、譲れない理想もない。自由気ままに彷徨うことさえ許されれば他に執着はない。

一瞥

一瞥

一度立ち止まってしまえば次の一歩が何倍にも重たく感じる。だから動かないことを選択するのは満たされている時であることが多い。自分の居場所や辿ってきた道のりに満足しているからそこに居座るのだろう。どれだけ混雑していたとしても。西の空が紺色に染まってもなお、人集りは期待と困惑の入り混じった妙な静けさを醸し出していた。僕はそれを一瞥して見えない道を進むことにした。

夾雑物

夾雑物

稀有な出来事に対して的確に対応することは難しいが、金銭を払えば目当てのものを容易く手に入れられる時代だ。身のほどを知らなければ瞬く間に不満と後悔で景観が蝕まれてしまうが、見極めれば次の一手に躊躇いがなくなる。だから一面的格差について言及する気はない。とはいえ僕は消費を避けることを止めない。夾雑物が多く、簡単に振り分けられないものに惹かれているから。

既視

既視

眼から取り込む情報にも鮮度がある。他人と共感して何かに取り組むこと、それを愉しむことにおいて既視のものは妨げになる。何かが欠落していると自覚した時は大抵誰かの価値観に合わせることが目的になっている。僕には見えない世界が誰かには見えているのだろうし、逆もあるに違いない。その上で収斂してしまう感性こそが面白いのであって、それに憧れて紛い物で満たしたところで何も感化されない。どんな経緯で見て何をどう感じ

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誤差

誤差

懐かしい記憶を思い返す度に今と比べての良し悪しを測ってしまうのは僕が携える物差しが当時から変わっていないからだろうか。過去に見た景色がどれだけ美しくても、今見ている景色がどれだけ汚れていても、白と黒さえ見間違えていなければ他は誤差として許容したい。記憶なんて曖昧なものを掘り起こしても仕方がない。

繁栄

繁栄

暖かくて湿潤な場所には羽虫が群がる。湿地はもちろん、寒暖激しく凝縮が起きやすい場所もそうだ。夏の山間部ではブヨやアブに追われることを避けられない。食物連鎖の自浄作用とでも言うべきか、生きやすい環境が長く続くことはない。一度トンボが繁栄してしまえば素肌を覆い隠す必要がなくなる。それも僅かな期間に限って見られる現象だろう。人間の繁栄はいつまで続くのだろうか。

山

山に無頓着だった頃はどんな場所でも構わなかった。身体を酷使した上で帰ってくることが目的だった。それも一つの関わり方だと認めつつ、そうあり続けることが今の自分の望みなのかを考え直している。競争はいつまでも続けられないだろうし、山にいるだけで欲が満たされるのだから焦ることも危険に突っ込むことも必要ない。ただし時間が足りないのも事実で、僕自身が生み出せる量には限りがある。それで結局山へ行くことを諦めてい

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都合

都合

豊かな心は時間と選択肢によって保たれる。それらを探してどう使うかは人それぞれで異なる。自分にとって何が大切かを常に考えていなければ、使い捨てる毎日を過ごすことになる。それはつまり都合の良し悪しに気分を左右されやすいということだ。そこにある雰囲気を愉しむためにお膳立てが必要というのは勝手で場を台無しにしかねない考え方だ。