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既視

眼から取り込む情報にも鮮度がある。他人と共感して何かに取り組むこと、それを愉しむことにおいて既視のものは妨げになる。何かが欠落していると自覚した時は大抵誰かの価値観に合わせることが目的になっている。僕には見えない世界が誰かには見えているのだろうし、逆もあるに違いない。その上で収斂してしまう感性こそが面白いのであって、それに憧れて紛い物で満たしたところで何も感化されない。どんな経緯で見て何をどう感じるかを固定してしまえば全てがつまらなく思えるのは当然だ。

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