言葉にならない、言葉にできない
いきなりですが、
ネットフリックス「マイ・ディア・ミスター ~私のおじさん~」を13話まで観終えました。分類としてヒーリングストーリーって添えてありましたが、確かに癒される内容で素敵な作品に巡り合えたことに感謝です。
「感情をデトックスする」みたいな例えを誰かが何かで言ってた気がしますが、自分としては、ここ何年かは特に日本ドラマよりは、字幕を配した韓国ドラマの方が確実に感動値が高いのは明らかかなと思っています。
ハングルの耳から入る聴こえ方、響きが丁度いいのでしょうか、言語学的な専門性のあることは言えませんが、ドンフンが掃除機を掛けるシーンを見るたびに、言葉にならない、言葉にできない何かが満たされていくような、全くもって静かに浄化?をしている自分がいます。
ちなみに「マイ・ディア・ミスター ~私のおじさん~」は、
選択: ②試練と成長を望む人向け:
序破急: ②平静・混沌・調和:
シテ面: ①男: 勇敢な戦士:
となりました。
これに当てはまるであろう演目を10つ挙げてもらいました。
なるほど。
ちなみに美月さん、「いしばし」じゃなくて「しゃっきょう」だからね。
出会いを通して人は変化していく、
あぁ、マイ・ディア・ミスター・・・思い返すだけでも気持ちがじんわりと潤ってくる感じ・・ま~だ余韻に浸っています。
色んな意味で急激に多様化していく中で、「これしか知らなかった」という人生って、自分は個人の意見として息苦しくて勿体ないなと思います。
開かれているようでそうでない場というのが、身近な生活環境の中にも案外あります。
予め申し上げておきますが、非難でも皮肉でもないということは先に表記しておきます。私感ですが、能楽というのは、現代では非日常であり特別なものという認識が強い(高い)ように思えて、日常を経由して感触を得る、興味や関心を阻んでいる「節」が出来てしまっているなとは思います。ただ、また、変わらないものを通して変化をしていく、能楽もそう、その他いくつかの世界においては「変わらない」と「あえて変えない」の違いがあったり、この変えないものを通して変わりゆく自分は、何かを「教え」てもらいに行ってるという感じでしょうか。
ツボる、ハマる、沼る、そして蓮の華がポカ~ンと咲いてくる感じ、
・・・意味が解りません。
私が演能を観覧している時ですが、確実に「入る」が身に付きました。
「入る」=「Zone」とでもいいましょうか、自らをチューニングするってやつですね。観覧前は極めてリラックスした状態に現在(その時)を戻すことも大切かと思います。
チューニング、一旦、思考を脇に置きましょう・・・とか、慣れてない人には「はぁ?」な話です。
この前、ふと「能とサウナ」っていう記事を見つけて読みました。
あの感覚、わかるような気がします。
例えばスーパー銭湯でいうなら、
「どこの風呂行こう⇒どの風呂入ろう⇒あぁいい風呂」
という感じでしょうか。………、
「チューニング⇒ゾーン⇒フロー」
と、被せてみました。
私が観覧しにいく際は、その日1日は「ゆとり」を大きく持って行きます。
それは朝のメンタルコンディションの「整え」から始まり、ゆっくりご飯を食べて、ある程度「満たされた状態」にしておくというところから始まります。
そういえば、翁を演じる前の演者さんは、数日前から心身清めの時を過ごすというのを知りました。
・・・今更お伝えしますが、後半は雑乱文です。
こうやって今までより多少ですが意識しながら、能楽に触れるようになってくると、身近な中に「それ」との接点が見えてくることがあります。
パートのおばちゃんの不機嫌な時の顔が「 」の面そっくりじゃんって1人で納得したり、能楽に関連する言語を街中で拾い聞きしてみたり、お菓子なんかもそうですね、由来を知るなかで、へぇ~ってなったり。
資生堂のCMで反町さんと松嶋さんの夫婦共演を観てて、何度も観返したくなるような気持にさせられました。一時、反町さんが歌う「POISON」っていうか反町さんの声、謡っていいましょうか、赤ちゃんの子守歌なんて話題になったりして、無意識レベルが大きい段階では心地よく響くのでしょうか、なんて、考えたりしましたが。
noteを書くことで色々と見えてくる物事があり、それはそれは有難き候。
見出画像はChatGPTにより生成されたものです。
能楽の解釈には多様性がありますので、1つの見方として参考になれば幸いです。
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