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致死量の愛と悲しみを捧ぐ

「僕は君を救えない、救う気もない」

秋の風が吹き始めた夜、恋人に告げられた台詞は、ほんとうの愛だった。



つい先日、両親が離婚することを決めた。長らく争い合ってきた、崩壊しきった我が家。終焉を迎えるには十分すぎるほどの理由が積み重なっている。両親は家庭内別居を始め、わたしは日々伝書鳩。憎しみと疲労が滲み出る二人を見ながら、ただ悲しみにわたしも疲弊する。

「この子がこうなったのはお前のせいだ」と罵り合う二人を見てから、わたしの心は壊れてしまった気がする。精神疾患を患い、障害者手帳も2級。そんなわたしを二人は可哀想だと言う。憐れまれるたびに、割れた心にヒビが入る。わたしは、可哀想なんだ。そう思うたびに死にたくなった。

宗教3世として生まれ、家庭は崩壊。いじめに自傷、自殺未遂にうつ。あげればキリがないほどに、確かに可哀想な理由に満ちている。それを裏付けるかのように、元恋人たちはみんなわたしを救おうとした。

「君を救ってあげたいんだ」そう泣きながら寄り添ってくれた恋人たちは、みんなわたしを抱きしめた。時には悔しさを滲ませ、わたしを救おうと努力してくれた。わたしも同じく、救われたかった。誰かがわたしの腐った人生を変えてくれることを、ただ願っていたから。

けれど、誰もわたしを救うことはできなかった。わたしはいつだって死にたかったし、家庭の苦しみから逃れることもできなかった。恋人たちはみんな無力さを感じて、わたしの前から去っていった。

離婚して、はじめて気がついた。わたしはただのシンデレラシンドロームだったことに。この苦しい世界を変えてくれる王子様が現れて、おとぎの国へ連れ出してくれる。そして、めでたしめでたしな日々が続く、そんなことを夢見続けてきたのだと。気づいた時には愕然とした。だって、わたしが縋った未来は、誰かに頼りきったものだったから。わたしの物語は、わたししか作ってゆけないのに。

わたしたちの人生は、自分自身で決めるしかない。選び、進む。ひたすらそれを繰り返し、誰も責任を取ってくれることはない。残酷すぎる現実は、狂おしいほどに痛い。

それに気づいても、わたしはまだ、馬鹿みたいに生きていたかった。無様で、かっこ悪いまま、それでも明日を夢見てしまう。恥ずかしいほど辛くて、痛いほど悲しくても。ただ、生きることを諦めることができなかった。

そんな日々に出会ったのが、今の恋人。恋人は結構変わっている。わたしのことを可愛いと言うし、わたしのだらしないところが好きだと言う。変な人だ。けれど、彼はほんとうの愛を知っていた。

「僕は、絶対に可哀想だと言う理由で、君と付き合っていたくない」

ある日そう言われた。その言葉の衝撃は、まるで稲光のようだった。わたし、可哀想なのに!?と一瞬でも思ったことで、わたし自身にかけられた呪いを自覚する。可哀想という理由で付き合わない、それはひどく辛くて、ひどく嬉しいことだった。

恋人は、わたしの愚痴も悲しみも聞いてくれる。けれど、あくまで彼のスタンスは「側にいる」だけだ。辛かったね、と背中をさすってくれるが、彼がなにかアクションを起こすことはない。その距離感に、初めは悲しみを覚えた。けれど、徐々にわたしはこの人に依存しようとしていたのだと気づく。今までは依存することでしか、愛を感じられなかった。相手がわたしをどこまでも支えてくれることこそが愛だと、ずっと勘違いしていたのだ。 

「僕は君を救えないし、救う気もないんだ」

そう言われてはじめて、わたしは自分の愚かさと間違いに気づいた。



ひとは誰も救うことはできない。どんなに心を割いても、どんなに寄り添っても。誰も救うことはできないんだ。

わたしの物語は、わたししか作ってゆけない。どんなに苦しくても、歯を食いしばって血反吐を吐きながら、それでも選び取って進んでゆくしかない。ハッピーエンドを迎えるために、ただひたすらに毎日を諦めず、進んでいくしかないんだ。

誰かがわたしを救おうとしても、わたししかこの物語は変えられないから。わたしを救えるのは、わたししかいないんだ。

けれど、わたしは無力で。誰かを救うこともできないし、わたしはわたしさえも救えない。毎日致死量の悲しみに溺れては、生きることを諦めそうになっている。あなたを救いたいのに救うことはできず、その無力さに打ちのめされている。

でもね、わたしは実は、いつも救われているんだよ。あなたに、恋人に、世界に。

愛というのはほんとうに恐ろしいもので、呪いと祈りは似ているように、愛も美しく醜い。それでも、わたしを愛してくれるあなたがいる。わたしをまっすぐに、救えないと分かっていても、わたしをただひたすらに愛してくれるあなたが。その愛に毎日わたしは救われているんだよ。あなたの愛が、わたしをただ救ってくれるんだよ。

だから、わたしはほんとうの意味では"救われている"。救えないと自覚したあなたの、どうしようもないほどの愛に、ただひたすらに。ありがとう、何度言っても足りないけれど。あなたの愛だけが、わたしを救うんだと気づくまでに28年もの歳月がかかってしまったけれど。でも、わたしはこれから、きっとあなたの愛だけを信じて生きていけるんだ。

そして、歯を食いしばって血反吐を吐きながら、何度諦めたくても生きてゆくんだ。

だって、この世界にはあなたがいてくれるから。あなたの愛だけが、この世界の"ほんとう"だから。



わたしたちは誰も救えない。わたしはわたし自身すら救えないし、あなたも救えない。

それでも愛を、あなたに捧げます。あなたを救いたいと狂おしいほど願って、ただひたすらにあなたを愛し続けます。あなたの愛がわたしの生きる理由だから、あなたの生きる理由の一つにわたしの愛がありますように。

明日は呪ってもきてしまうけれど。生きちゃった、を毎日繰り返していこうね。

愛しています。

今日を生きててくれてありがとう。

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