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\\ ゴミ拾いエッセイ配信中!! // 実体験である「人生が変わるゴミ拾い」で、 自分らしく生きる人を増やしたいトラッシュアクティビスト。 🌍ゴミ拾いを通じて自分と向き合い、素直に心地よく生きよう🌏【instagram @trashmacomaco】

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最近の記事

誘惑が隣り合わせなら・・・。

会社員時代は、始業と同時にPCへ向かうのが当たり前で、下手したら9時間以上、トイレ以外の時間はPCと睨めっこしていたなんてこともある。業務の性質上、細かくて桁の大きな数字をずっと追い続ける時間も長く、お陰でメガネ生活になったくらいだ。自ずと、血糖値を上げて急激な回復をするために”甘いもの”に走っていた。コンビニに行けば、気休めの野菜ジュースとチョコ、パウンドケーキ、ビスケットなど。それが束の間の休憩であり、すっかりその誘惑に捕まって逃れられなくなっていた。(逃れる必要性を見失

    • 動植物と切り離された生活

      人工物に囲まれていませんか? 環境問題への関心やゴミがポイ捨てされている近所の道に違和感を覚えて勇気を出して始めたゴミ拾い。帰宅する頃には、味わったことのない気持ちよさや晴れ晴れした達成感に包まれた。あの瞬間からわたしは、自分と向き合い自分の軸で生きることができる別世界に降り立った。小さな一歩だったかもしれないけれど、やりたいことを成し遂げたことによる自信もついたし、自分が社会の一部として他者に貢献できているんだ!と教えてもらえて、心からの感謝でいっぱいになった。そして、ま

      • みんなを繋ぐゴミ拾い 2

        もらったお礼から巡り出した貢献 ゴミ拾いをしばらく続けていたらもらった初めての「ありがとう」という言葉。準備していなかったからただ照れることしかできなかったわたしは、帰宅しても止まないこのドキドキについて考え、貢献できることへの喜びに気がつくことができた。そして、「貢献させてくれてこちらこそありがとう」という感謝の循環を知ることができ、これを自分から繋いでみようと考えたのであった。 自分が自分の望む未来を紡ぎ出すために始めたゴミ拾い。それが想像していなかった誰かのありがと

        • みんなを繋ぐゴミ拾い 1

          小さなわたしの一歩から別世界へ繋がるゴミ拾いは始まった。街に落ちるビニールゴミが川を通って海に流れ、生態系の循環をわたしが望まない方向へ加速させているかもしれないという考え方に共感し、わたしにも何かができると踏み出した一歩だった。拾いきれないほど落ちていた自分の地域の汚さにショックを受けつつも、味わったことのない気持ちよさや爽快感、自信が広がる新しい世界に辿り着いたわたしは、少しずつゴミ拾いをライフワークとしながら、生き生きと暮らすことを始めていた。 初めてお礼をもらった日

          周囲を変えずに自分の感度を変える

          続けることで見えてきたもの睡眠と回復力 ゴミ拾いを初めて1ヶ月ほど。直近10年、全く外に出て運動をしたことがなかったわたしにとって週2回のゴミ拾いによる運動と瞑想は、それはもう別世界。4回目となるゴミエッセイでは、これまでにわたしに起こった発見を、少し冷静に紐解いてきました。気候変動への関心から始めたゴミ拾いだったけれど、見つけたのはゴミではなく自分自身の魂の叫び。そうやって社会に対して行動を起こし自分の決断に従ったことによって生まれた自信。そして、拾ってきちんと処理してい

          周囲を変えずに自分の感度を変える

          ゴミ袋に集めてきたのは、毒素?

          ゴミ拾いで人生が変わり始めた、わたし。なぜこんなに気持ちがよくてスッキリするのか、ゴミ拾いの魅力を紐解いていこう。初日で気が付いたのは自分との対話。そして2回目で知ったのは、自分が自信を掴んでいるということだった。 何を拾ってきてるんだろう? いくら同じ道を歩いたって、その時々で拾うゴミは別物だし、落ちている量や種類は全然違う。(まぁ時々デジャヴかな?と思うくらい同じ場所に同じゴミが落ちてることもあるw)わたしの探し方や体力によっても拾ってくるゴミは毎回変わる。これって当

          ゴミ袋に集めてきたのは、毒素?

          自信を掴み取るゴミ拾い

          自分を拾った、初日のゴミ拾い わたしの大好きなホッキョクグマと命を分け合って この世界で運命共同体としてつながり合っていくために。 (って当時そんなことまで深く言語化できてなかったけど) わたしの大好きなホッキョクグマが幸せであると思える方へ わたしができることで貢献したい。 (こっちの方が当時の間変え方には近いかな) まぁとにかく、環境問題や気候変動への関心から 一歩外へ出て、ゴミ拾い活動を始めた。 そしたら、あまりの気持ちよさと副次的効果に驚いた。 ゴミ袋を満

          自信を掴み取るゴミ拾い

          街に落ちていたのは、自分でした。

          通勤路のゴミ 当時のわたしの住まいは、駅から400mほどのマンション。 その短距離間にコンビニがひとつある。 出勤日は毎日その道を通るわけだが、転勤で越して来た当初からまぁまぁ汚い。おそらくそのコンビニで買ったであろうホットスナックや食料品の包装ゴミが「さっきゴミになりました」みたいな顔で風にパタパタと煽られている景色が日常茶飯事だ。田舎で育ったわたしにとってそれは相当な不快だったし、驚きであり、違和感だった。 紆余曲折あった後、わたしはある夜「明日あれを拾いに行くぞ」

          街に落ちていたのは、自分でした。

          最近話題の「手放す」

          ところで、何かと日常で使う言葉を勝手に自己都合で解釈していませんか? いや、それが悪いかいいかは問わないの。 日頃飛び交う、エネルギーを持った言葉たち。 その解釈はたましいごとに違いがあり、たましいごとに自己都合。 そんなことを考えながら、今回は「手放す」話を。 「手放す」の解釈を広げてみる「手放す」ってなんだろう 手から放つ。 その通りだ。 つまり、それまでは手に在った何かを放ち、手から何かが放たれた状態。 手の中が空っぽなのか、一部を残して放ったのかはわからない。 手

          最近話題の「手放す」

          貢献とはいったい

          あなたは小さなテーブルの上に、割れた1枚のお皿を見つけました。 いったい誰が、この美しいお皿を割ったのでしょうか。 その犯人はここにいます、そう、あなた自身です。 ところでわたしは、割れたお皿を元に戻すことができます。 あなたはわたしに何を話しますか。 いいでしょう、あなたの願いを叶えます。 ほらお皿は元通り。もう割れていませんよ。 あぁ、あなたの大切な人が帰ってきましたね。 わたしはその前に消え去ります。 その大切な人に、お皿が見つかったことを告げて、どうぞ返してあ

          貢献とはいったい

          迷い。

          迷うってなんなの。 迷わないってなんなの。 迷路をイメージするとわかりやすいかも。 迷う迷路。 まぁそりゃ大抵そうか。 迷わない迷路。 こうなってくるとちょっと頭にハテナが出る。 つまり迷うってことは、出口(目的達成)が在る、 または在ると信じていることが前提になっていて、 出口に行きたいって気持ちもあるものとして捉えた上で どうしたらいいかわからない状態であり、 且つ複数の選択肢が実行者にある場合っぽいよね。 迷わないってのはもうちょっと何パターンかあって。 出口

          困難。

          「大変そうだからやらない」って、 誰かがぼそっと呟いてた。 つまり大変じゃないことならやるのかな? 困難が伴わないことなら動くのかな? そうだとしたら、今現在って、 困難が伴わないことをやってるの? この世界にそんなことあるの? どんなことにも困難があって、 見ないふりしてるだけではないの? 現状に困難がないんじゃなくて、 現状にある困難に立ち向かってないだけなんじゃない? そんな人は新しい困難に挑戦できるはずないよね。 だから変わりたくないなんて思ってるけど、 本

          いま。

          今に執着しない 今を生きる 今しか生きることができない でも今に執着しない 今を手放すことに勇気を使う それは愛を持っていないとできないこと 他者に貢献することを知らないとできないこと 今これがしたい 今この人と一緒にいたい 今こうしていたい もしくは そう意識してないけど、実は現在を維持したいとか 現在が維持されて当然だとか思ってることもある。 例えば住まいはどうかな? 家賃を払っていればあなたのものなの? 所有権があなたならあなたのものなの? 1年前から住んで

          恥ずかしい気持ち、緊張する気持ち。

          わたしは誰かに馬鹿にされた!と感じたり 恥ずかしたらしめられたりすることに敏感だった。 それを気にして緊張することも多かった。 そうならないように平均を探すことにも時間を使ってた。 でも今は少し違う。 なぜなら、自分のしている途中経過にも自信があるし 恥ずかしいことの定義が少し変わったから。 わたしが今思う恥ずかしいこととは、 考えないこと、注意を怠って生きること、 他者に敬意や愛を使わないこと。 これに対して時間やエネルギーを使っていない自分は 心底恥ずかしい。 だ

          恥ずかしい気持ち、緊張する気持ち。

          比べない

          似ているだけものを比べない。 同じじゃないから比べない。 似ている同士は協力しいやすい。 似ている同士は共感しやすい。 似ている同士は受け入れやすい。 でも同じじゃないよ、 別々の役割を個性、貢献があるよ。 だから比べない。 ありのままでいい。 自分にできることを全力で取り組めばいい。 でも、ありのままを履き違えないで。 本来のありのまま、というのは 愛のある循環の中で魂の質を高めていくことに全力を注いでいいってこと。 不正や嘘や支配や怠惰で、精神性を下げていくの

          比べない

          みんなでやれば一瞬さ!

          自分の不幸は助けて欲しいのに、 他人の不幸は笑ってる。 それは、自分の不幸が笑われることを容認している行為だし、 そもそも不幸になることを必要としている人生を生きている。 その愚かさになぜ気づけないのだろうか。 そしてその愚かな行いをなぜ続けてしまうのだろうか。 なぜなんだろうか。 その理由は、味わったことがないからだと思う。 もしくは味を、感覚を、すっかり忘れてしまったからだと思う。 愛の本当の姿、平和な真の矛盾のない世界。 と言っても、まぁわかりづらいよね。

          みんなでやれば一瞬さ!