みんなを繋ぐゴミ拾い 2
もらったお礼から巡り出した貢献
ゴミ拾いをしばらく続けていたらもらった初めての「ありがとう」という言葉。準備していなかったからただ照れることしかできなかったわたしは、帰宅しても止まないこのドキドキについて考え、貢献できることへの喜びに気がつくことができた。そして、「貢献させてくれてこちらこそありがとう」という感謝の循環を知ることができ、これを自分から繋いでみようと考えたのであった。
自分が自分の望む未来を紡ぎ出すために始めたゴミ拾い。それが想像していなかった誰かのありがとうを生み、わたしのありがとうに変わった。わたしには社会に貢献できる役割があるんだ!と知ることが出来たし、それを実行できていることに感謝しかなかった。お礼を告げてくれたおじさんにもだし、ゴミ拾いにもだし、わたしを生かしてくれている全てに感謝がいっぱいになった。生きてきてよかったって本気で思ったし、そう思っている時点でたくさん泣いていた。もう自分を蔑むことで自信をなくし、できないことばかりにピントを合わせてたったひとつの正解に向かって我慢したり苦しんだりする必要はないって、解放されていた。
わたしにはできることがあるぞ!
感謝を広げていく、ゴミ拾いへ
それからは、もらった感謝をわたしから広げていくために前を向いてゴミを拾った。下ばかり向いて必死にゴミを探すよりも、どんな人が歩いているかな?とか、みんなどんな表情かな?とか、やさしい気持ちでアイコンタクトをとってみることにした。
そしたら不思議なことに、お礼の言葉が増えた。
特に感謝の言葉をくれたのは、自宅からほど近い工業高校の生徒たちだった。朝の通学時や部活終わりの夕方にすれ違うと「ありがとうございます」と何人も声をかけてくれたのだ。今度はわたしも返事ができた。
「ありがとうございます」
どういたしまして、ではなかったんだよね。貢献させてくれてありがとうねって気持ちがやっぱり大きかったし、勇気を出してわたしにありがとうと声をかけてくれたことへの感謝でもあった。
それからは、わたしからも声をかけてみた。「こんにちわ」とか「おはようございます」とかとにかく笑顔で。ゴミ拾いがわたしに気づかせてくれた心地よく生きるコツを活かして、美しい好循環を意識して、自分が望む世界は自分の感度次第で変わるという成功体験も活用して、わたしにできそうな貢献をやってみることにした。
見られている、自分にも、みんなにも。
平日の天気のよい午後の太陽が高い時間、「こんにちわ」と声をかけたおばさんから意外な言葉をもらった。
「いつも拾ってくれてるわよね、何度も見かけてたわ」
その日初めて言葉を交わしたおばさんだったし、初めて見かけた気がしていたし、この道そんなに何度も通ったっけ?とか色々考えてたけど、嬉しい驚きだったことには変わらなかった。わたしが気付いていない範囲までわたしの存在や行動は伝わり、わたしのアイコンタクトやつながりを受け入れる挨拶がそれを証明してくれた瞬間だった。
ゴミ拾いは、自分を見つけられる瞑想。自分のことを自分で見つめて、見直して、見返して、見つける、まさに自分探しの時間。そして、ゴミ拾いは周囲のみんなからも見られていた、わたしが思っている以上に。
恥ずかしさはゴミ箱に捨ててしまおう!
こうしてわたしは、ゴミ拾いを通じて近所の人たちと挨拶を交わすようになった。きっとゴミ拾いしていなかったら、挨拶をしていないどころか目も合わせていなかっただろう。そして言葉を交わして笑顔で優しい気持ちをつなぐ幸せも知らなかったことだろう。それの必要性も感謝も感じていなかっただろうし、”それがどうした?状態”だったと思う。ゴミ拾いを始めて最初に声をかけてもらったあの時、照れくさかったのはきっとまだそんな思いがあったんだ。感謝の輪を引き受け、わたしが温めてそれをまた誰かに伝えていくことの大切さや愛に恥ずかしさがあって、わたしにそれをどう扱えるのかわからず、まともに受け取ることに慣れていなかった。
でも、ゴミ拾いが後押ししてくれたおかげで貢献と感謝に気付けた。
恥ずかしさになんか隠しておかなくていい、愛の本質を発見したんだ。
わたしから感謝を言葉にしてみる、わたしから優しくアイコンタクトしたり声をかけて交友を示してみる。それは自分の役割を認めることにも繋がるし、貢献させてくれている環境や他者への感謝を認めることにも繋がっていた。
そして何より、わたしとみんなを繋いでいることに間違いなかった。
うわぁぁ、ゴミ拾いってすごい効果だ。
こんなに世界を塗り替えていく、とんでもない効果。
もっといろんな効果を紐解いていこうと思う。
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