困難。
「大変そうだからやらない」って、
誰かがぼそっと呟いてた。
つまり大変じゃないことならやるのかな?
困難が伴わないことなら動くのかな?
そうだとしたら、今現在って、
困難が伴わないことをやってるの?
この世界にそんなことあるの?
どんなことにも困難があって、
見ないふりしてるだけではないの?
現状に困難がないんじゃなくて、
現状にある困難に立ち向かってないだけなんじゃない?
そんな人は新しい困難に挑戦できるはずないよね。
だから変わりたくないなんて思ってるけど、
本当は「困難」に背を向けてやり過ごしてるんだよね。
じゃあなぜわざわざ困難に立ち向かうのか。
それはそこにこそ本当の愛があって、
矛盾のない幸せがあるから。
困難が伴うから人生は楽しい。
困難に立ち向かうから人生が豊かになる。
…今のところはね。
困難のその奥にある幸福を目指すこと自体がもう幸せ。
困難への挑戦から逃れて、
矛盾を繰り返す楽な道を選択するなんて愚かすぎる。
そのままでは絶対に幸福に辿りつかない。
その状態で得ている幸福だと思っているものは、
誰かの苦しみを反転させただけの嘘の幸せ。
幸せは苦しみの反対じゃない。
苦しみがひとつもなくても、この世界は幸福に満たされるから。
幸せが苦しみの反対なら、苦しみがないと幸せがない。
でもそうじゃないんだよ、苦しみなんて要らないんだよ。
矛盾が全部解けて愛が通じ合えば、それが実現する。
今のシステムや生き方は矛盾と複雑なことが多すぎて
とんでもなく困難が多い世界。
それがなくなれば真の意味で困難はなくなるよね。
そこまで実現して初めて困難がなくなる。
それまでは困難の連続だよ。
そして立ち向かうことを諦めるとまた困難が増える。
なぞなぞみたいだけど、これが人生であり宇宙。
宇宙や私たちの世界は本当はカラフルな1本の糸なのに、
絡まりすぎてほつれそうになったり、
固く結ばれた障害は二度と取れないように見えたり、
この世界にはこの色しかないって勘違いしたり、
遠くに見えるものは全く別の関係ない世界って思ってる。
でもそう感じるのも無理ないよ。
とんでもなく狂ってるほど糸が絡まってるからさ。
そして、その糸の絡まりを
全員が誰かのせいでこうなったって思ってるからさ。
1本の糸だと気付いてない人、忘れた人も多い。
そして、ただの絡まりだと気付いていたとしても
自分だけの動き方の変化では
糸を解いて本当の世界を見ることなんて
できないって思ってる人も多い。
でも知ってるよね。この糸はもともと
カラフルな1本の素敵な糸なんだって。
だから大丈夫。
自分自身がこの素敵な糸を織りなす一部ってことも知ってるはず。
だからあなたにしか見えない景色や色がある。
それを見極めて落ち着いて学び続けて、
糸を解くという目的をどうか忘れないで、
時には流れに逆らわず、時には流れに逆らって、
糸を解くためにエネルギーと愛を使えばいい。
それは絶妙な力加減と愛し愛されることを赦す力が要る。
それが"困難"なのかもしれない。
不思議なことに思うかもしれないけれど
糸を解くほどに愛が結ばれる。
遠くの遠くの離れた糸とも繋がりを確かめられるし、
違いを認め合いながら、境をつくらず、
でもそれぞれがお互いに一緒の存在であり、
繋がりあった関係で、影響を受け合う
ひとつの存在だってことがわかる。
だから協力したり調和したり助け合ったりできる。
今のぐちゃぐちゃの糸では、
なにも周りが見えないし、
誰かがつくったコブが邪魔して
別の塊とは意思疎通ができない。
本当は"別の塊"という考え方自体が違うんだけれど…。
幸せの姿を間違えないで、
困難の先や過程の中にこそ愛があり、
それ自体が全部幸せであることを感じ続けよう。
誰の中にもその環境によって起こる困難がある。
だから取るべき行動はみんな違うけど、
どれも誰にとっても精神性を駆使しないと
乗り越えられない困難であることは間違いない。
誰の困難が大きくて誰の困難は簡単、なんてことはない。
エネルギーがいるよね。
そうだよ、生きるってエネルギーがいる。
生きるってエネルギーの使い方次第で決まる。
生き方って、どんなことに愛のエネルギーを使うかだよね。
糸を解く、本当の幸福への道を愛で進んでいく。
これぞまさに困難であり、どんな現実にも伴ってること。
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