いま。
今に執着しない
今を生きる
今しか生きることができない
でも今に執着しない
今を手放すことに勇気を使う
それは愛を持っていないとできないこと
他者に貢献することを知らないとできないこと
今これがしたい
今この人と一緒にいたい
今こうしていたい
もしくは
そう意識してないけど、実は現在を維持したいとか
現在が維持されて当然だとか思ってることもある。
例えば住まいはどうかな?
家賃を払っていればあなたのものなの?
所有権があなたならあなたのものなの?
1年前から住んでるから今日も明日もあなたの家なの?
本当は境なんてない、宇宙全体の共有物だよね?
今あなたがそこにいるだけで誰のものでもないよね?
電車やバスの席はどうかな?
先に座っていた人のものなのかな?
混む前からそこに立っていた人の空間なのかな?
鉄道会社の所有物なのかな?
友人知人、家族はどうかな?
今がトモダチなら明日もその先もトモダチ?
今日も一緒に喋ったし今も一緒に過ごしてるし、
当たり前に明日も一緒に生きられるのかな?
特に、一度成立して継続していることを
「今」という一瞬の連続であると捉えるのは
時間の長さと捉える難しさが比例する。
今、わたしが言いたいことは
「今」の成立条件って、一瞬ごとに変わるよね?
どこかの瞬間から、その状態が矛盾になることがある。
そしてある瞬間から、今までと違う状態に変わる。
それに気付くためには、「今」ってものに注意して、
今ってものがどうなってるのか考えて行動する。
そして今ってものを常に手放し続ける努力をする。
執着せずに新しい今に目を向ける。
「今」というものは、自分の内側から出てきたものが
認知できる状態になったもののことで、
本当は過去のことである。
つまり、いつもあなたの内側に未来が存在していて、
あなたが生きる現象世界は、
未来が過去になった様子を見えるようになっただけ。
だから、過去が未来を作るんじゃなくて、
未来がつくられて、今となって現れてはじめて過去になる。
こう考えると時間軸って全く逆なんだよね。
未来を創って外側に放出して、手放すことでそれが今になり、
それが次々に過去になっていく。
いつだって未来はあなたの内側にある。
その未来を、過去から作ったら意味がない。
未来は常にゼロからつくられる。つくることができる。
過去から未来をつくっていたら、それはいつまでも
今が過去の連続を繰り返すだけになる。
わかる?意味。
「今」は、過去の連続じゃないんだよ。
だから「突然何かが起きる」ことに驚くべきじゃない。
それが本来の、未来から来る今なのだから。
そう思うと、どんなことにも動じなくなる。
動じない自分でいることが可能になる。
あ、これはゼロの未来からやったきた今なんだなって
しっかり今をキャッチして、過去を手放す準備をして、
また新しい未来をつくれる。
過去から未来をつくる人は、
今まで見たこともない未来に驚くし、
いつか絶対に、受け入れるのに苦労する時が訪れる。
そして、その「今」を誰が定めた不条理なものとして扱い、
無理してまたその不条理なものから未来をつくろうとする。
つまりまた今を手放せずに抱え込もうとしている。
今、を支配しようと躍起になっている。
シンプルな話にしてしまうと、
そういうこともあるよね。そうだよね。
って思えるか思えないかの話。
どんな権力者も支配者も愚者も考えない人たちも、
手放すことが出来なさすぎる。
何も手に持つ必要なんてないじゃないか。
手は、奪うためにあるんじゃない、与えるためにある。
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