周囲を変えずに自分の感度を変える
続けることで見えてきたもの
睡眠と回復力
ゴミ拾いを初めて1ヶ月ほど。直近10年、全く外に出て運動をしたことがなかったわたしにとって週2回のゴミ拾いによる運動と瞑想は、それはもう別世界。4回目となるゴミエッセイでは、これまでにわたしに起こった発見を、少し冷静に紐解いてきました。気候変動への関心から始めたゴミ拾いだったけれど、見つけたのはゴミではなく自分自身の魂の叫び。そうやって社会に対して行動を起こし自分の決断に従ったことによって生まれた自信。そして、拾ってきちんと処理していたのはゴミではなく自分の毒素だったってことなど。
だから今日も、ゴミ拾いを続けた1ヶ月での変化や気づき、発見を紐解いていこう。
その気付きは、継続したことによって見えてきた。相変わらずの気持ちよさや達成感、幸福感、爽快感で満足はしていたんだけど、ただそれだけではないような好循環をぼんやりと意識し始めていた。
よく眠れてるなぁ。
最初はこんな感じの印象。そりゃあ元々の生活に運動をプラスしているから体力的には疲労する。家の中でスマホをいじっている時間から比べるとカロリー消費量の差はわたしにも容易く理解できた。それに汗をかくし、外気で体が汚れるのを敏感に感じたので、ゴミ拾いから戻るとすぐにお風呂に入り身体を温めていた。寝つきがよく、横になるとすぐに眠れる所以はこの辺りにありそうだ。
朝の回復も違った。
満足感を胸に、身体を温め徐々に体温を下げながら気持ちよく眠る。そして睡眠時間の量も時間帯も健康的だったことで、信じられないほど回復して目覚めを迎えていた。
体が軽く、目も冴えて、背筋が伸びやすい朝が来るのでその勢いでゴミ拾いに出かけるようになったりもした。まさに好循環。ゴミ拾いを終えて帰宅してもまだ朝7時台という日もあってそれから読書をしたり朝ごはんを作ったり。生活の量と質が確実に充実して行ったのである。
プラスの思考を見出せるように
いわば、ゴミ拾いを始めてなんだかルンルンな日々を過ごし始めたわたしはきっと目が輝いていたことだろう。「なんか最近楽しそうだね」「顔色がいいよ」「恋してる?」なんて冗談だか本気だかわからない声をかけてもらうようになっていた。当時は「ゴミ拾いで人生がお花畑になりました!」と大きな声で返事をしていなかった(と思う)けれど、間違いなくわたしの目の輝きが変わっていったのは、この時期くらいからだった。
ゴミ拾いを継続することで、自信を身につけデトックスをし、しっかり眠ることで回復し、意欲的に生活を楽しめるようになってきたわたし。それは、ある程度の誘惑や自分の気分を変えてしまうような周囲の出来事に動じなくなることでもあった。容易に挫けず、めげず、へこたれず、前向きな思考を維持したまま進んでいくことができる、そんな感じ。もちろん完璧に、ではない。ゴミ拾いを知らない過去の自分と比較すると、そんな思考が優先されていたのだ。
これって、なんのせい?
ゴミ拾いを継続するとなんだか全体的に楽しいな〜なんてその程度の感覚で過ごしていたわたしだったけれど、それはなんのせいなんだろう?本当にゴミ拾いのせいで、全部こうなったのだろうか。
運動や瞑想の面ではゴミ拾いがわたしに与えてくれた影響は計り知れない。頭と心が整理され、体が疲れることでしっかり休めるなんてことは、ゴミ拾い以外で経験したことがなかった。
でも変わったのは、それだけ。
周囲の環境は何も変わっていないんだ、そう思った。ゴミ拾いを続けてみて、どんどん思考や行動が変わったのはわたしだけってことに改めて気付いた。顔色がよくなったわたしをみて会社の制度や取引先の方針が変わることは今のところないし、わたしが恋をしているかのようにルンルンしていたところで通勤バスがスムーズに発進することも嫌味な上司の口癖が変わることもなかった。そう、周囲は変わってない。
わたしの感度が変わっただけ。
自分の世界への戻り方
当然のことにびっくりした。わたしが変われば世界が変わる。自己啓発本で何度かみたことのあるフレーズが自分の人生に落とし込めた瞬間だった。ここに戻ってくれば、この考え方に戻ってくることができれば、もう何も恐れなくていいし、複雑な理由をこしらえて悩み続ける場所に足を踏み入れなくていいじゃないか!と歓びが溢れた。
世界を変えるために自分を変えてみよう、だなんて高尚な考え方で行動していたわけじゃない。でも、ゴミ拾いを通じて自分が変わっていく様子を体感しながら、気付いたら別世界に立っていたのだ。取引先が方針を変えないのには何か自分が知らない理由があるかも。バスは毎日ちゃんと目的地まで辿り着いているのだから、好きな音楽でも聴いて気持ちよく利用しよう。上司の口癖に別のリアクションを加えて前向きに捉えよう。そういうことができる思考になっていた、ゴミ拾いのせいで。
そしたら、嫌な思いをすることがだいぶ減ったのと同時に、嫌な思いをすることにこんなに体力を使ってたの?!ってくらい、自分の中に体力が有り余っていることも知った。今まで嫌なことを思い出しては解決になんの加担もしないイライラやモヤモヤに使っていた体力。これを使って、もっとわたしがみていたい世界を自分自身の行動で創ればそれでいいんだ、とわかってからは、困惑するような状況になっても、自分の世界に戻ってこれるようになっていた。「この世界にわたしはいたいの?わたしの世界に戻せるのはわたしだけよ。」と。
小さなことからではなく…
自分の感度を変えることで、周囲の状況や環境になんの変化を加えずとも人生を豊かにすることができる。
そう言われると、正直重たい。
そんなことはわかっているし、言葉としては理解できている(はず)。でもどうやってそんなマインドに切り替えることができるわけ?決して簡単な一瞬の魔法ではないはずだし、相当な努力を要するような気配がする。そしてs立ち止まってしまう、もしくはみなかったことにしている人も多いのではないだろうか。わたしが言うことはもちろんこれ。「ゴミ拾いをやってみることだよ。」小さな行動を一つ起こしてみるというよりは、ゴミ拾いに出かけてみる、ということがわたしを変えた。運動と瞑想と好循環の習慣化。これが全部叶っちゃったのだから。
やっぱり、ゴミ拾いって奥が深いし全部叶えてくれるなぁ。
まだまだ紐解けそうだ。
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