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【書評】小川原正道「西郷従道」(中公新書)

 先日、自民党の総裁選が行われ、新しい総裁(つまり新首相)が選ばれました。史上最多となる9人の候補が立ち、各陣営の悲喜こもごもが報道されています。これを見ると、「政治家はみな、多かれ少なかれ総理を夢見ているのだなあ」と感じます。


総理に「ならなかった」男

 しかし、総理大臣になろうと思えばなれる立場にありながら、固辞し続けた人もいます。その一人が、西郷隆盛の実弟で明治時代の元老・西郷従道(さいごうつぐみち/じゅうどう)です。

 西郷従道(1843~1902)は、西郷隆盛が西南戦争で非業の死を遂げてからも明治政府で活躍。海軍大臣・陸軍大臣・内務大臣などの要職を歴任しました。

 しかし、従道は「逆賊」となった兄の影に終生苦しむことになります。

偉大すぎた兄の影

 隆盛は従道より15歳年長の兄であり、人格形成に絶大な影響を及ぼしました。しかし、隆盛が鹿児島の不平士族に押されて反乱を起こした際、従道は新政府側で働き、武器・弾薬の確保といった裏方に奔走しました。兄を敬愛しながらも、従道は自分のするべき仕事に徹していました。

 隆盛自決の報を聞いて従道は衝撃を受け、政府の職を辞そうとします。従道を説得し、イタリア公使のポストを用意した大久保利通も暗殺されます。相次ぐ恩人の死は従道に打撃を与えますが、従道は日本を近代国家として成熟させるため、力を尽くすことになります。

従道の働きぶり

 従道は兄と同様に度量が大きく、優秀な部下を使いこなすのに長けていました。彼が見出した人材に、後に首相となる海軍軍人・山本権兵衛や斎藤実がいます。ユーモアのある人柄で、多くの人に慕われたようです。

 一方、「逆賊」となった兄の負債は大きく、従道は幾度も首相への推挙を辞退しました。

 従道は薩摩出身の元老であり、藩閥政府のメンバーということになります。しかし、閣僚を退任後は板垣退助に協力し、社会改良に取り組んだ一面もありました。

意外な場所に残る従道の業績

 従道の業績として意外なのは、靖国神社の整備です。もとは「東京招魂社」といいましたが、西南戦争後に従道の指示をきっかけに、靖国神社に改称されました。

 周知のように、西郷隆盛は国家に反逆しているため祀られていません。国家のために死んだ戦死者を祀るのが靖国神社です。戦死者への国家祭祀の整備は、従道のたどった道を正当化する意味合いがありました。

 

 従道は、偉大であると同時に足枷となった兄を超えるため、生涯にわたって苦闘しました。本来は「情の人」でありながら、感情と自分の仕事を切り離す割り切った選択もしてきました。

 近代日本を作り上げた重要人物でありながら、総理を務めなかったこともあって知名度は低い西郷従道ですが、本書から伝わる人物像は興味深いものです。

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