Wataru Ohno/ 大野 和

国語教育学が専門の大学教員。投稿は所属先とは関係なく、本人の責任で行います。

Wataru Ohno/ 大野 和

国語教育学が専門の大学教員。投稿は所属先とは関係なく、本人の責任で行います。

マガジン

  • 講義集(仮)

    刊行の計画があるため、各記事は原則的に有料にしています。国語教育学のテキストのようなものです。タイトルの案の一つは「構想力を育む国語教育の実践的展開」。よろしくお願いします。

  • 『一斉授業をハックする』から高大接続への展開メモ

    展開メモです。

  • 他媒体で発表した記事

    発表済みの文章です。よろしくお願いします。

  • 『一斉授業をハックする』と弾力的な国語カリキュラム

    いつか論文化するためのドラフトです。投稿後に本文を加除修正したり記事自体を削除することもあります。

最近の記事

自分で選べないことの責任をどのように考えるのか

 個人の努力や実績が強調される現代の日本社会では、成功の尺度として、自分がどれだけがんばってきたかが注目されやすい。しかし、実際にはどんな家庭に生まれたかということが学校での成功に大きく影響している。それは自分で選べないことだ。「いい学校に入学できたのは、自分が一生懸命勉強したせいだけではありません。受験勉強が許される境遇にあったことも、学校での勉強や有利になる家庭に育ったことも、見えないところで貢献している」(p.218)と教育学者の苅谷剛彦は言う。自分で選べずに恵まれた環

    • 言葉に媒介されたどのような発見がそこにデザインされているのか

       「国語科における言語活動の陥穽」と題された国語教育を研究する住田勝氏の巻頭言から。「主体的・対話的で深い学び」を謳う学習指導要領のもとで協働的な学びは盛んになった。つまり見かけの上で活発な授業は増えた。けれど、国語としての学びは深まっていないのではないか。「テクストの読みや表現の吟味という国語科でこそ錬成されるべき『ことばの力』の深まり」はどうなっているのか。国語科としての「深い学び」の成立、つまりテクストやことばの鑑賞や吟味を重んじる姿勢と協働的活動の両立がいかにむずかし

      • プラットフォームとしての中立性

         英国のリベラル系有力紙「ガーディアン」がXへの記事の投稿を取りやめるとの報道があった。NHKニュースサイトは「英有力紙 Xへの記事投稿取りやめへ ”有害なプラットフォーム”」という見出しで報じている(2024年11月14日付)。今回のことばはそのNHKのニュースサイトからのものだ。記事によれば、英国ではXについて「プラットフォームとしての中立性を疑問視する動きが出ている」という。これを読んで、「中立性」という表現よりも、「公平性」や「バランス」といった表現のほうがよかったの

        • 一号ごとにこめられる私たちの情熱

           明治図書出版の『教育科学国語教育』900号記念特別号において、現編集長・林知里氏が編集後記に引用した、創刊号当時の編集長・江部満氏のことば。教育雑誌記事の文章は、話題の新しいトピックを伝えるだけでなく、教育に寄せる論者の情熱をも伝えていく。きっと学術論文も講演も同じなのだろうと思いました。新規性の必要度はちがうでしょうけれども。  本号の目次は下記の通りです。読むのがとても楽しみ。この号で読書会をするのもよさそうですね。

        マガジン

        • 講義集(仮)
          21本
        • 『一斉授業をハックする』から高大接続への展開メモ
          4本
        • 他媒体で発表した記事
          5本
        • 『一斉授業をハックする』と弾力的な国語カリキュラム
          6本

        記事

          神秘的なことは馴染み深い場所で起きる

           アメリカの写真家、ソール・ライターの言葉。「私が写真を撮るのは自宅の周辺だ。神秘的なことは馴染み深い場所で起きると思っている。なにも、世界の裏側まで行く必要はないんだ」 すてきだ。言語生活も研究の着想もこのようにありたい。「ほぼ日手帳」の付録のカードより。

          神秘的なことは馴染み深い場所で起きる

          よく聞く話

           中学高校国語科教育法の講義の3回目をする。学習指導要領の総括目標で「理解」と「表現」のどちらの用語が先にきているかをみると時代の課題意識の一つを読み取ることができるという、国語科教育界隈ではよく聞く話をした。よく聞く話なので自分としてもその程度にしか受け止めていなかったのだけれど、先般の『成果と展望Ⅲ』で府川源一郎先生はそのことをしっかりと述べている。刊行当時、そこを読みながら、自分の認識が軽かったことをちょっと叱られたような気分になったのだった。

          「リレー詩をつくろう」の評価結果

          はじめに  講義の一コマとして、フィードフォワードする評価について、以前に書いたことがあった。共同詩の一種であるリレー詩の制作を通して国語科評価の本質に迫りたいという内容について、講義で活動に取り組むことを想定して書いたものだった(というか、実際に講義で行った内容)。  上の記事では書かなかったが、この講義の後半において、「自分の作ったリレー詩を評価する」、そして「リレー詩という国語学習そのものを評価する」という活動を設けていた。今回の記事では、この活動において学生からど

          「リレー詩をつくろう」の評価結果

          こんな単元できたらいいな、こんな教師になれたいいな。

           先日の「国語単元学習」の記事の中で、「国語単元学習を構想・実践していくための要件/必要なこととは何だと思いますか。読んだ資料を手がかりに、書き出してみてください」という問いかけについて書いた。  この問いを実際に授業で学生に投げかけてみた。学生からは次のような考えが挙げられた。予め私が選んでおいた、国語単元学習の実践報告を読んだうえで考えた内容である。 1) 個人での学習と全体での学習をうまく組み合わせて授業を進めていくこと。 2) グループや小集団で学びあう時間を設

          こんな単元できたらいいな、こんな教師になれたいいな。

          国語単元学習(7,700字)

           国語単元学習の授業分析と立案演習です。国語科授業方法論の仕上げに当たる内容として行います。この記事では、もと90分授業2回分だったものを1回に集約して書きました。そのため文字数のわりに時間がかかるかもしれません(というか文字数も多いかもしれない)。扱っている資料1~4のうち、資料2と3は、別の実践資料に代替することもできると思います。  この講義に取り組む必要感をもってもらうために、下記のレポート課題を並行させていました。課題を必然性の種にするというのは、若干荒業ではあるの

          ¥500

          国語単元学習(7,700字)

          ¥500

          画用紙の回し書きブレインストーミング

           講義の中で、小学校国語教科書教材の研究をするにあたり、教室に一枚の画用紙を回して、ブレインストーミングをしたことがある。記録によれば2013年度前期の講義だった。取り上げた教材は「お手紙」と「テレビとの付き合い方」。このタイトルを私が画用紙中央に書き込んでおいた。その周囲に、受講者が、連想した言葉、思いついた言葉を順々に書き込んでいく。その結果できあがったものがこちら。  「手紙が返ってこないさみしさ」っていう書き込みが隅っこにありますね。いい感じだ。 「部屋を明るくし

          画用紙の回し書きブレインストーミング

          国語教科書教材に特化したレファレンスサービスというのがもしあったら、積極的に利用していくと思う。

          国語教科書教材に特化したレファレンスサービスというのがもしあったら、積極的に利用していくと思う。

          ノート指導。個性あふれるノートを。画一的ではなく。ひとりひとりちがうノートになっていい。そう思います。

          ノート指導。個性あふれるノートを。画一的ではなく。ひとりひとりちがうノートになっていい。そう思います。

          到達目標の設定について考える

           授業実践の到達目標や到達度評価について考える機会があった。そこで国語科におけるこの領域の代表的著書、水川隆夫『国語科到達度評価の理論と方法』(明治図書、1981年)を読み直している。興味深い点が多い。授業のしかた、目標設定や評価のしかたについて考えてみたいと思っている、若手や中堅の先生には役立つ本であると思う。 (引用開始)  次に、各学校での到達目標を設定する際の、留意点を三つばかり挙げておくことにする。 ⑴ 教育の目的と教科の目標に照らし、各学校段階、各学年の到達目標

          到達目標の設定について考える

          高大接続と教師教育

           下記の記事において、キャリア意識形成の一環として行われる高校出前授業は、学習センターの一種と捉えられるのではないかと書いた。複数のブースを設け、生徒は自分の関心に近いブースに参加し、それぞれのブースの内容が同時並行的に進められる。この進め方、考え方は、教室を学習センターにしてその中にコーナーを並置する発想と近い。講師を数名呼ぶなどの条件はあるけれど。  これをもっと推し進めて、生徒の好奇心を調べ、実際に体験をさせることまでが視野に入っている。  一斉授業として複数の職場

          高大接続と教師教育

          ことばについて探究する人間(4,000字)

           中学校・高等学校国語科教育論の入門的内容であり、詩の授業方法論です。中等国語科教育法で「国語科の学習をつくるための重要事項を考える」と題して行ったこともあります。谷川俊太郎「はる」を取り上げていますが、別の詩教材を使うこともできると思います。  この文章は、2021年3月に佐賀県中学校教育研究会国語部会が発行した『創立六十周年記念誌』に特別寄稿として掲載されており、それが初出になります。掲載にあたり、加筆し、「わたしはいつまでものぼってゆける」と改題(「はる」の一節です)し

          ことばについて探究する人間(4,000字)

          教師の「厳しさ」について(随想)

           授業映像に登場する教師の指導、授業者側は適切だと思って教材化したしているのですが、学習者側はそうは受け取らないことってあります。厳しすぎる、この先生のやり方には引っかかるところがあった。そういう反応が寄せられることがある。以前そう言うことがあった時に書いた、受講者向けの文章です。  *  教師にとって「厳しさ」とは何でしょうか。学習指導において教師の「厳しさ」はどのくらい必要でしょうか。  私が思うに、すばらしい授業とは、国語に限らず、見る人に「違和感」や「引っ掛かり

          教師の「厳しさ」について(随想)